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商 品 詳 細
サイズ高さ21cm/横13cm/奥行13cm
備 考・プリザーブドフラワーは生花を加工して作られている為、大きさ・お色・質感などが異なる場合があります。
その都度一番素敵になるように全て手作りで制作しています。
・パープル・ラズベリーで使用しているニゲラオリエンタリスの色が変更になる場合がございます。
・パープル・イエローの小菊の色が変更になる場合があります。
・他花材も変わる場合がございますが、イメージは変わりません。
ご了承いただきますようお願い申し上げます。
・色違いご注文総数2個で対をご希望の場合、備考欄に対希望とご記入をお願い致します。
・ドーム本体の製造上、気泡や微細な傷が入ることがあります。ご了承の上、ご購入いただきますようお願い致します。

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2021年11月 9日 (火)

信仰について2(信仰についての一般的解釈と聖句から教えられること)

 コトバンクに掲載されている日本大百科全書の「信仰」の解説(担当筆者は藤田富雄氏)の項には、次のように記されています。

“〔信仰とは、(筆者挿入)〕神仏のように、自分にとって究極的な価値や意味をもっている対象と全人格的な関係をもち、その対象に無条件に依存し献身する心的態度をいう。
〔信仰とは、(筆者挿入)〕経験できぬ不確実なものを主観的に確実であると思い込むことではない。
宗教的体験や儀礼を繰り返すことによって、しだいに人格の内部に一定の心的態度が信仰として形成される。
信仰は個人生活を統合する中心の役割を果たすと同時に、その信仰の表現である信条、組織、制度などにより、共同体の生活を統合する活動の中心にもなっている。”

 上記の説明は、一般的日本人にとって分かり易いものであると思います。

 聖書は、どの神がまことの神なのか、
ということを啓示し、繰り返し教え、またその神は、神の民にヤハウェ(主)という神がおられることを経験させるということを行ってきたことを記しています。

 創世記1章では、聖書の神こそが、創造者であり、他のものは、被造物である、と述べています。
創世記2:4には、“これは、天と地が創造されたときの経緯である。神である主〔主なる神(口語訳、新共同訳)、神である主(2017、聖書協会共同訳、フランシスコ会訳)〕が、地と天を造られたときのこと。”(2017)と記され、
創造者なる神について、「主」というお名前を明らかにしています。
ここの「主」と訳されている語のヘブライ語原語は、「ヤハウェ」です。
創世記2:4において、既にヤハウェのお名前が明らかにされていることに、私は感銘を受けます。
「ヤハウェ」のヘブライ語を英語のアルファベットで表記すると、“YHVH”となります。
VはWとしても使います。
それ故、“YHVH”に母音記号をつけたときのつけ方と、Hは伸ばす記号としても機能しますので、その読み方は、ヤハウェ、orヤハヴェ、orヤーウェ、orヤーヴェ、orイェホバ、orエホバ、等と読むのではないだろうかと考えられてきたようです。
私は、岩波訳聖書の翻訳に従ってこのブログでは「ヤハウェ」として書いています。

 「神である主」or「主なる神」と訳されている語の原語は、2語で「ヤハウェ エロヒーム」とあります。
エロヒームは、神の複数形です。神は本質においては唯一であられると共に3位のお方です(三位一体)。
マタイ28:19には、“the name of the Father and of the Son and of the Holy Spirit”{父と子と聖霊の御名(「名は単数形」)}という箇所があります。

 出エジプト3:13-15には次のような記述があります。
“13 モーセは神に言った。
「今、私がイスラエルの子らのところに行き、『あなたがたの父祖の神が、あなたがたのもとに私を遣わされた』と言えば、彼らは『その名は何か』と私に聞くでしょう。私は彼らに何と答えればよいのでしょうか。」
14 神はモーセに仰せられた。
「わたしは『わたしはある』という者である。」また仰せられた。「あなたはイスラエルの子らに、こう言わなければならない。『わたしはある』という方が私をあなたがたのところに遣わされた、と。」
15 神はさらにモーセに仰せられた。「イスラエルの子らに、こう言え。『あなたがたの父祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が、あなたがたのところに私を遣わされた』と。これが永遠にわたしの名である。これが代々にわたり、わたしの呼び名である。”(2017)と記されています。

 ヤハウェは、「わたしはある」という者、と自己紹介しておられます。
これは、永遠にして自存であることを表していると思います。
ここまでで、ヤハウェは、永遠にして自存の神であられ、万物の創造者であられることが分かります。

 話は変わりますが、
イエス様が、十字架にかかられる前、祭司長たちがイエス様を逮捕しにやって来た場面がヨハネ18章に次のように記述されています。
“3 それでユダは、一隊の兵士と、祭司長たちやパリサイ人たちから送られた下役たちを連れ、明かりとたいまつと武器を持って、そこにやって来た。
4 イエスはご自分に起ころうとしていることをすべて知っておられたので、進み出て、「だれを捜しているのか」と彼らに言われた。
5 彼らは「ナザレ人イエスを」と答えた。イエスは彼らに「わたしがそれだ」と言われた。イエスを裏切ろうとしていたユダも彼らと一緒に立っていた。
6 イエスが彼らに「わたしがそれだ」と言われたとき、彼らは後ずさりし、地に倒れた。
7 イエスがもう一度、「だれを捜しているのか」と問われると、彼らは「ナザレ人イエスを」と言った。
8 イエスは答えられた。「わたしがそれだ、と言ったではないか。わたしを捜しているのなら、この人たちは去らせなさい。」”(2017)と記されています。

 「わたしがそれだ」(5.6.8)と訳されている語句のギリシア語原語は、「エゴ― エイミー」です。
これは、「わたしはある」とも訳せます。
ご自身で「わたしはある」と言えるのは、神であるヤハウェ(主)だけです。
6節を、“イエスが彼らに「わたしはある」と言われたとき、彼らは後ずさりし、地に倒れた。”と訳すと、私にとっては理解しやすいです。

 1コリント10:19.20には、
“19 私は何を言おうとしているのでしょうか。偶像に献げた肉に何か意味があるとか、偶像に何か意味があるとか、言おうとしているのでしょうか。20 むしろ、彼らが献げる物は、神にではなくて悪霊に献げられている、と言っているのです。私は、あなたがたに悪霊と交わる者になってもらいたくありません。”(2017)と記されています。

 偶像の神と言われているものに宿っているのは悪霊であるとパウロは言っています。
神に造られた被造物が、堕罪して悪霊となっているのです。
その親分が悪魔(ザ サタン)です。
サタンは、非常に高位の天使として造られました。しかし、堕罪し堕天使となり、自分に従う天使たちを引き連れて神に敵対したのです。彼らは悪しき霊として働いています。悪しき霊について、異なるタイプの者たちもいるかも知れませんが、それは想像の域を出ないので、省略します。
 
 エジプトにおいて、ヤハウェ(主)は、10の災いをもたらしました。
それは、エジプトの神々が本物ではないことを証明するためでもありました。
イスラエルが、ヤハウェ(主)に聖戦として戦うようにと命令されている箇所が聖書にはあります。
当時の戦争は、神と神との戦争と考えられていたのです。
ヤハウェ(主)は、ヤハウェ(主)こそまことの神であることを証明していったのです。

 新約(新契約)の時代に移り、パウロは、「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。」(ローマ10:17・新共同訳)と語りました。
「キリストの言葉」の箇所を新改訳は「キリストについてのことば」と訳し、欄外に、別訳として「キリストのことば」としています。

 時代は下って、私たちは皆、自分の聖書を持つことが許されています(許されていない国の民もいます)。
私たちの信仰の始まりは、キリストのことばorキリストについてのことばを聞くことから始まる場合もあるでしょうし、聖書を読んで、という場合もあるでしょう。

 まとまりのない文章になってしまいましたことをお許しください。
まことの神は、どなたなのか、
まことの神でない神を信仰しても、裁きの時には、まことの神が裁きをなさるのです(ヨハネ5:22.27)。

 聖書は、まことの神についてあかしをしています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
父、子、聖霊の三位一体の神を神として認識させてくださり、まことの神様を神様として信じ歩ませて頂けておりますことを感謝します。
まことの神様に、賛美と誉れと栄光と力が代々限りなくありますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
 

2021年11月 8日 (月)

信仰について1(救いに至る信仰)

 最初に、キリスト者にとっての基礎的信仰について考えてみます。

 キリスト者とされるための信仰は、ギフトです。

エペソ2:8には、“事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物〔ギフト(筆者挿入)〕です。”(新共同訳)と記されています。

使徒11:18には、“人々はこれを聞いて沈黙した。そして「それでは神は、いのちに至る悔い改めを異邦人にもお与えになったのだ」と言って、神をほめたたえた。”(2017)と記されています。
この箇所の、「それでは神は、いのちに至る悔い改めを異邦人にもお与えになったのだ」という言葉が何故発せられたのかについては、使徒10:1からお読みください。

 聖書辞典は次のように述べています(抜粋)。
“聖書の中で基本的に重要なものとして教えられているのは,いわゆる「救われるための信仰」である。これは私たちに永遠の救いをもたらす信仰である(ヨハネ3:16)。この信仰は自分自身が罪人であり(マルコ1:15)、救いを受ける資格も力もない者であることを認め(ローマ3:23)、キリストが自分の罪のために十字架の上で贖罪のみわざをなし遂げてくださったことを認め受け入れることである(ローマ3:22‐30)。それは一般的な真理としてこの福音の事実を受け入れるだけでなく,個人的に自分自身のこととして受け入れることである(使徒16:31)。”とあります。これを書いたのは、羽鳥順二先生です。

 上記の( )内の聖句を下記します。

 ヨハネ3:16 
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(2017)
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(新共同訳)
「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」(口語訳)

 マルコ1:15
「時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」(2017)
「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」(口語訳)
「いよいよ来るべき時が来ました。神の国が近づいたのです。みな、悔い改めて、福音を信じなさい。」(リビングバイブル)

 ローマ3:23
「すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、」(2017)
「凡ての人、罪を犯したれば神の榮光を受くるに足らず、」(文語訳)

 ローマ3:22-30
「22 すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません。
23 人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、24 ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。
25 神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。それは、今まで人が犯した罪を見逃して、神の義をお示しになるためです。
26 このように神は忍耐してこられたが、今この時に義を示されたのは、御自分が正しい方であることを明らかにし、イエスを信じる者を義となさるためです。
27 では、人の誇りはどこにあるのか。それは取り除かれました。どんな法則によってか。行いの法則によるのか。そうではない。信仰の法則によってです。
28 なぜなら、わたしたちは、人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、信仰によると考えるからです。
29 それとも、神はユダヤ人だけの神でしょうか。異邦人の神でもないのですか。そうです。異邦人の神でもあります。
30 実に、神は唯一だからです。この神は、割礼のある者を信仰のゆえに義とし、割礼のない者をも信仰によって義としてくださるのです。」(新共同訳)

「22 それは、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、すべて信じる人に与えられるものである。そこにはなんらの差別もない。
23 すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、24 彼らは、価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないによって義とされるのである。
25 神はこのキリストを立てて、その血による、信仰をもって受くべきあがないの供え物とされた。それは神の義を示すためであった。すなわち、今までに犯された罪を、神は忍耐をもって見のがしておられたが、26 それは、今の時に、神の義を示すためであった。こうして、神みずからが義となり、さらに、イエスを信じる者を義とされるのである。
27 すると、どこにわたしたちの誇があるのか。全くない。なんの法則によってか。行いの法則によってか。そうではなく、信仰の法則によってである。
28 わたしたちは、こう思う。人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるのである。
29 それとも、神はユダヤ人だけの神であろうか。また、異邦人の神であるのではないか。確かに、異邦人の神でもある。
30 まことに、神は唯一であって、割礼のある者を信仰によって義とし、また、無割礼の者をも信仰のゆえに義とされるのである。」(口語訳)

 リビングバイブル(旧版)は次のように意訳しています。
“21.22 しかし今や、神様は、天国へ行く別の道を示してくださいました。
その新しい道は、「善人になる」とか、神様のおきてを守ろうと努力するような道ではありません〔とはいっても、この道については、ずっと前から旧約聖書で教えられていたのですから、実際には新しい道とは言えませんが〕。
神様は今、「もし私たちが、イエス・キリストを信じきるなら、あなたがたを受け入れ、『罪のない者』と宣言する」と言われます。
どんな人間であろうと、私たちはみな、キリストを信じきるという、この方法によって救われるのです。
23 そうです。すべての人は罪を犯しました。神の輝かしい標準にはほど遠い存在です。
24 けれども、もし私たちがキリスト・イエスを信じきるなら、神様は私たちを「罪のない者」と宣言してくださいます。
このキリスト・イエスが、恵みにより、無償で私たちの罪を帳消しにしてくださるからです。
25 神様はキリスト・イエスを遣わして、私たちの罪のための刑罰を受けさせ、私たちへの怒りをとどめてくださいました。
神様は、私たちをご自分の怒りから救い出すための手段として、キリスト様の血と私たちの信仰とをお用いになりました。
ですから、それまでの時代に罪を犯した者たちを罰せられなかったとしても、神様は完全に公正であられたわけです。
キリスト様が来て人々の罪を取り除く時を、神様は待ち望んでおられたからです。
26 そして今日でも、神様はこの同じ方法で罪人を受け入れてくださいます。
イエス様が彼らの罪を帳消しにしてくださったからです。
しかし、このように、罪を犯した者を赦し、無罪を宣告するのは、神様の公正なやり方に反するのではないでしょうか。
いいえ、そんなことはありません。
なぜなら、彼らが自分の罪を帳消しにしてくださったイエス様を信じたという事実に基づいて、神様はそうなさるからです。
27 それでは、救われるために、私たちは何か誇れるようなことをしたでしょうか。
何もしていません。
なぜでしょう。
私たちは自分の善行によって無罪とされるのではないからです。
それは、キリスト様が成し遂げてくださったことと、キリスト様に対する私たちの信仰に基づいているのです。
28 つまり、私たちが救われるのは、キリスト様を信じる信仰だけによるのであって、善行によるのではありません。
29 神様はこの方法で、ユダヤ人だけをお救いになるのでしょうか。
いいえ、それ以外の外国人も、同じようにして神様のもとに行くことができます。
30 神様はすべての人を全く平等に取り扱われます。ユダヤ人であろうと外国人であろうと、人はみな、信仰があれば無罪とされるのです。”

 使徒16:31
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」(2017)

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
私をもイエス様を信じることが出来るようにしてくださいましたことを感謝します。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2021年11月 7日 (日)

祈りについて(稚拙な小論)

 「絶えず祈りなさい」(1テサロニケ5:17・2017)、
「たゆみなく祈りなさい」(コロサイ4:2・2017)、
「ひたすら祈りなさい」(ローマ12:12・2017)
という聖句がありますが、そんなことは無理だ、と思いますよね。
ごく一部の人を除いては。

 祈りとは、「人の魂と神との会話」と述べた人がいましたが、聖書を読んでいると、人の魂と神との会話、というだけではなく、人の霊と神との会話、という場合もあります。会話は、交わりです。

 マリアの賛歌(マグニフィカト)の冒頭は、
わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。」(ルカ1:46.47・新共同訳)とあり、マリアは、魂でも霊でも主を賛美したのです。
 少し脱線しますが、
「喜びたたえます」と訳されている語の原語は、“ἀγαλλιάω”で、正確には、“to jump for joy”とStrong辞書にあります。
フランシスコ会訳は、「喜び躍ります」と訳しています。

 私たちの内側で、すなわち魂、更にはその内側にある霊で主と会話することを増やすことは出来そうですね。
何かを心配していたら、心配している代わりに祈る、
思い煩っていたら、思い煩う代わりに祈る、
景色を見てきれいであったら、主を賛美する、
あのこと、このことをおしゃべりする、
この様に書くと、不謹慎に思われるかもしれませんが、主はとこしえに変わらないお方です。
主イエス様が地上におられたとき、弟子たちは一緒に生活していました。
ペテロなどは、イエス様とよくおしゃべりしたのではないかと思います。
 今の時代も同じです。
主イエス様は共にいてくださるのです。

 イエス様は、友として接してくださる時もあれば、主人として接してくださる時もあるでしょう。 
御父や主イエス様を礼拝する場合には、少し様子が異なりますが。
礼拝のときには、礼拝のときの様に。

 祈りは、人と神との会話、ということであれば、当然、神様も語って来られるのです。
神様は、聖書の中の御言葉、あるいは御言葉が意味している内容の中の事柄を語って来られることがほとんどであると思います。
(それ以外の場合には、悪しき霊から、ということもあります)
神様が語ってくださることを聞くことも会話であり、主との交わりです。

 聖書をよく読み、聖句が心に蓄えられている人には、神様も語りかけ易いのではないかと思います。
聖句を暗記していなくても、聖霊は折に触れて思い起こさせてくださる、ということもあるでしょう。

 祈りの基本形として、主は、いわゆる「主の祈り」を教えてくださいました。
「9 ・・・。『天にいます私たちの父よ。御名が聖なるものとされますように〔御名があがめられますように(第三版)〕。
10 御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように。
11 私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
12 私たちの負い目をお赦しください。私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦します。
13 私たちを試みにあわせないで、悪〔悪しき者(口語訳)〕からお救いください。』」(マタイ6章・2017)と。
最古の写本には欠けているそうですが、13節の後に、「国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。」と加えて祈られる場合が多いと思います。

 9節は、主への賛美の祈りです。
10節aは、神の摂理が成就するようにとの祈りです。(神のみ旨が成就するようにとの嘆願であり、私たちの待望の祈りでもあります)
10節bは、神の摂理の成就と共に、私たち神の子どもとされた者たちが、神の子どもとしてふさわしく整えられた歩みをすることが出来るようにという私たちの願いの祈りでもあります。
神様は、神の子どもたちを、神の御性質にあずかる者とさせたいと思っておられるのですから。
11節は、私たちの必要を祈る祈りです。
12節は、罪の告白の祈り、赦しの宣言の祈りです。
13節は、私たちの守りための祈りです。

 また聖書の中には、「いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって、父である神に感謝しなさい。」(エペソ5:20・2017)とあります。
1テサロニケ5:18には、「すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(2017)と記されています。
 私が愛犬を失って非常に悲しい
気持ちでいたときに、主は、「その愛犬を与えた主に感謝しなさい」と教えてくださったのです。
「天のお父様。とても素晴らしい、愛する相棒のような犬を与えてくださいましたあなたに感謝し、あなたを賛美します。」というような意の内容の祈りを幾度かささげました。
主が教えてくださったので、上記の様に実行してみたところ、悲しみよりも主への感謝と賛美が勝ったのでした。
これは愛する人を失った時も使えるな、と思いました。
ただ残念なことに幾人かに証したのですが、どうも受け入れてもらえないようでした。
このあかしを書いたのは、自分にとって極めて大切なものを失った時でさえ、主に感謝することができる、ということを分かって頂くためです。
私は、肉体の健康を失いました。それ故、このブログを書く機会を与えられたのです。肉体が健康であった時にはとても忙しかったのです。
本当に、主は良くしてくださるお方です。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
ローマ8:28に「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さる」(口語訳)とありますが、あなたは、そのようなお方ですから御名を賛美し、感謝します。
日々あなたをほめたたえ、あなたに感謝し、あなたを愛し、あなたに従い続けて歩む者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2021年11月 6日 (土)

進化論と創造論

 私は、私が触れた宗教書の中で聖書が一番嫌いでした。
(50年近く前の話です)
嫌った理由は、主権が神にあることを読んだからです。

 イエス様の救いにあずかる前の私の思考は支離滅裂でした。
聖書を読んでみようと思って読んだときの最初の感想は、創世記1:1の、“はじめに神は天と地とを創造された。”(口語訳)と書いてあるのを読んで、何をばかなことを言っているのだろう、という思いでした。

 その当時の私は、学校教育での進化論をすっかり信じ切っていたのです。
中学、高校のみならず大学でも進化論を学んだからです。

 私がイエス様を信じたのは、結婚後のことです。
妻との会話の中で、妻が、「創造論というのもあるんじゃないの」と語ったことが、事の発端でした。
「事」というのは、真理を探究し始めたことです。
妻は、幼少の頃から母親に連れられて教会に行っていたのです。
しかし、彼女も大学まで、進化論を学んだのです。
進化論ではなく、創造論を信じている彼女の間違いを、私は論破しようと思い、進化論の書物を手当たり次第に読んでいきました。
その結果、私の勢いは段々と下降していきました。
論じ合って屈服させることは出来そうにないことが分かったからです。

 ある日の朝、私は、庭の朝顔を見ていました。
その時、次のような声がしたように思えたのです。
その声が、神であったのか、自分の脳からのものであったのか、証明は出来ませんが、その時、直感的に、神様に語られたような気がしたのです。
その内容は、
「その朝顔をそっくり絵にかくことができるか?」
実は、私は絵も字も下手なのです。
「朝顔の造花をつくることができるか?」
私は、そのようなことは苦手なのです。とても出来ない相談です。
「あなたに朝顔の種を構成している原子を与えたら、あなたは朝顔の種を作れるか?」
三つの質問に、すべて、「いいえ、できません。」と答えなければなりませんでした。

 そんなこともできないのに、あなたは何を考えているのか?
と言われた気がしました。

 このやり取りで、私は進化論を探究することを止めたのです。

進化論を信じている人は、進化論を信じる信仰によっているのです。
創造論を信じる人も、創造論を信じる信仰によっているのです。
それが私の結論となりました。

 私は、現在も、論理的に完全に進化論を論破することは出来ません。
状況証拠を羅列して、進化論は間違っているのではないだろうか、としか言えません。

 しかし、キリスト様が地上に再臨された後には、進化論は葬り去られます。
イエス・キリスト様は、「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」(ヨハネ14:6)と語られたお方です。
イエス様ご自身が真理であられ、真理を語られたのです。
イエス様は、幾つかの別名を持っておられます。
その中には、「神のことば」という名があります。

 パウロは、“天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、王座も主権も、支配も権威も、万物は御子において造られたからです。つまり、万物は御子によって、御子のために造られました。”(コロサイ1:16・新共同訳)と記しました。
「見えないもの」というのは、この文が書かれた時代を考慮すると、肉眼では見ることの出来ない分子や原子、素粒子、等も含まれるでしょうが、天使を含んでいる言葉であると思います。

 さて、聖書を信じるのか、聖書を否定して、それ以外のものを信じるのか、
それは、信じる人の自由意思に基づいたところの決定に任されています。

 私は聖書を信じます。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
聖書を信じることを得させてくださいましたことを感謝します。
慈しみ深いあなたの御名を賛美し、私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2021年11月 5日 (金)

「愛」って何だろう? 神の愛とは

 私は、あまり深く考えることもなく、「愛」という語を用いてきました。
「愛」という概念について、ギリシア語には、いくつかの種類があることは知っていましたが。
それは多くのキリスト者も同じであろうと思います。そこで愛について短く纏められている文章を探してみました。

 愛について、コトバンクの中の、日本大百科全書の「愛」の解説(解説者:伊藤勝彦氏)を引用させて頂くと次のように記されています。

 “愛は文学、道徳、哲学、宗教いずれの観点からいっても、もっとも根本的な観念の一つである。
 とりわけ、キリスト教の文化圏ではこの観念をめぐって思想が展開していった。
 東洋にも、「仁」とか「慈悲」という思想がある。孔子(こうし)(孔丘(こうきゅう))の「孝悌(こうてい)は仁の根本である」ということばからもわかるように、仁は親子兄弟という血縁に根ざす親愛感に発するもので、この感情を無縁の人にまで広げていくことが仁道である。
 孟子(もうし)(孟軻(もうか))は「惻隠(そくいん)の心は仁の端(はじめ)なり」(『孟子』公孫丑(こうそんちゅう)・第29)と説き、人を慈しみ、哀れむ同情の心から愛への展開を論じている。墨子(ぼくし)(墨翟(ぼくてき))は「天下互いに兼愛すべし」(『墨子』兼愛篇(へん))と主張し、親族と他人を区別しない平等の愛を唱えた。仏教でいう「慈」は真実の友情で、「悲」は哀れみ、優しさを意味する。両者はほとんど同じ心情をさしており、中国や日本では、慈悲という合成語で一つの観念として表される。
 親鸞(しんらん)は仏の広大無辺な慈悲を太陽の光に例え、人間を超えて一木一草に至るまで仏の大慈大悲に浴するものとみなした。作家伊藤整(せい)によれば、「他者を自己とまったく同じには愛しえないがゆえに、憐(あわ)れみの気持ちをもって他者をいたわり、他者に対して本来自己がいだく冷酷さを緩和する」というのが東洋的な知恵のあり方で、この考えから、孔子の「己の欲せざるところを人に施すなかれ」という教えが出てくるのだという。他人を自分と同じに愛することの不可能が自明の前提になっていて、そこから相互に相手を哀れみ、いたわりあう愛が生まれてきたというわけである。
 キリスト教はこの不可能に挑戦し、「己のごとく汝(なんじ)の隣人を愛すべし」と命じる。イエス・キリストは十字架の死によって、真の愛は自己を犠牲にしなければ達成することができないことを自ら示した。そういう絶対の愛が原型として考えられていたからこそ、常人には不可能と思われる厳しい生き方が命じられたのであろう。
 ギリシア語では愛は、エロスerōsとアガペーagapēとピリア〔フィリア(筆者挿入)〕philiaという三つの語によって示される。
これらは、愛にとって本質的な三つの位相をそれぞれ指示しているように思われる。
エロスは情愛に根ざす情熱的な愛で、哲学者プラトンの『パイドロス』でいわれるように、しばしば狂気の姿をみせ、究極的には一者と合一し、真実在に溶け込むことを求めている。地上において肉体的生存を続けている限り、神的なものとの一体化を実現することはできないから、忘我恍惚(こうこつ)を求め続けていけば、エロスは必然的に死と結び付く。エロスの哲学者プラトンが生涯、真実在との出会いを求め続けたあげく、「生より死が望ましい」という一見奇怪な結論に達したのは、その意味では当然の成り行きであった。
 キリスト教的なアガペーの愛は、こういうエロスの愛と根本的に相違する。神と人間との間には、哲学者キルケゴールが「無限の質的差異」と名づけたものが介在する。だから神と人間との融合も、実体的合一もおこりえない。ただあるのは、神と人との交わりである。神と人とは絶対の深淵(しんえん)によって隔てられていながら、どうして交わることができるのであろうか。そこにこそ、イエスの真の存在意義が認められる。イエス・キリストはいわば、神と人間との仲保者であった。神の子イエスがこの地上に人間の肉において生まれたということが、いわば神の愛の唯一の証(あかし)である。「われわれはイエス・キリストによってのみ神を知る。この仲保者がないならば、神とのあらゆる交わりは断ち切られる」(パンセ)。そういうアガペーの愛にあっては、自我の神に向かう高まりも、熱狂的解体もない。神と人との間の交わりが可能となるためには、二つの主体が向かい合って存在しなければならない。同様に、人と人とが向かい合って存在することによってのみ、隣人としての愛の交わりも可能となるのである。
 ピリア〔フィリア(筆者挿入)〕の愛も、相互に独立な理性的存在者の間に成り立つ友愛である。哲学者アリストテレスによれば、人は「自分自身と同じ考えをもち、同じ事柄を望む人」や「自分自身とともに悲しみ、ともに喜ぶ人」を愛するという。つまり、親が子を愛するように、自分自身と等しい者を愛するということで、ピリアの愛は結局、利己愛に帰着する。
 利己愛に堕さないようにするためには、志を同じくしない者でも、あるいは愚者や悪人をも愛さなければならない。それには、ピリア〔フィリア(筆者挿入)〕の愛がアガペーにまで高まる必要があるだろう。だが、神ならぬ身で人類すべてを平等に愛することができるはずがなく、それを実践していると自称すれば、たちまち偽善に陥る。けっして偽善に陥ることのない愛は、自己愛的なエロスのみで、ピリア〔フィリア(筆者挿入)〕は、エロス的要素を失う度合いに応じて、虚偽の愛に陥りがちとなる。こうしてピリア〔フィリア(筆者挿入)〕の愛は、アガペーとエロスの両極の間を揺れ動くことになる。”と伊藤勝彦氏はまとめています。
(上記の文章に対して、色々なご意見があろうとは思いますが、これはこれまでとさせて頂きます。)

 神の愛に関して記されている聖句は数多くありますが、その内のいくつかを下記します。

 “神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世〔世の人(筆者挿入)〕を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。”(ヨハネ3:16・2017)

 “6 実にキリストは、私たちがまだ弱かったころ、定められた時に、不敬虔な者たちのために死んでくださいました。
7 正しい人のためであっても、死ぬ人はほとんどいません。善良な人のためなら、進んで死ぬ人がいるかもしれません。
8 しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。
9 ですから、今、キリストの血によって義と認められた私たちが、この方によって神の怒りから救われるのは、なおいっそう確かなことです。
10 敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させていただいたのなら、和解させていただいた私たちが、御子のいのちによって救われるのは、なおいっそう確かなことです。
11 それだけではなく、私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神を喜んでいます。キリストによって、今や、私たちは和解させていただいたのです。”(ローマ5章・2017)

 “この方〔イエス・キリスト(筆者挿入)〕こそ、私たちの罪のための、いや、私たちの罪だけでなく、世全体の罪のための宥めのささげ物です。”(1ヨハネ2:2・2017)

 “9 神様は、かけがえのないひとり息子を、この不正な世に遣わし、その方の死によって、私たちに永遠のいのちを与えてくださいました。そのようにして、どんなに私たちを愛しておられるかを、証明されたのです。10 この神様の行為によって、私たちは、何がほんとうの愛か、知ることができました。真の愛とは、神様に対する私たちの愛ではなく、私たちに対する神様の愛なのです。それは、私たちの罪を責める自らの怒りをなだめるために、神様がひとり息子を差し出された愛に尽きるのです。”(1ヨハネ4章・リビングバイブル旧版)

 神様は、愛なる神ですが、義なる神でもあります。
神様は、義という御性質を捨てて、愛の御性質だけをあらわすということは出来ないお方です。
神様の御性質の中には、愛と義は同居しているのです。
 エゼキエル18章には、次のような記述があります。
“23 わたしは悪しき者の死を喜ぶだろうか──である主〔アドナイ・ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──。彼がその生き方から立ち返って生きることを喜ばないだろうか。30 ・・・、イスラエルの家よ、わたしはあなたがたを、それぞれその生き方にしたがってさばく──神である主〔アドナイ・ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──。立ち返り、あなたがたのすべての背きから身を翻せ。不義に引き込まれることがないようにせよ。31 あなたがたが行ったすべての背きを、あなたがたの中から放り出せ。このようにして、新しい心と新しい霊を得よ。イスラエルの家よ、なぜ、あなたがたは死のうとするのか。32 わたしは、だれが死ぬのも喜ばない──神である主〔アドナイ・ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──。だから立ち返って、生きよ。”(2017)と記されています。

<お祈り>
天のお父様。 
あなたの御名を崇め賛美します。
御父の愛、御子イエス様の愛について、私が説明すると陳腐なものに堕してしまいますので、上記の聖書の御言葉を聖霊様が語ってくださいますように。
あなたの御性質が、義のみで、あなたの御性質に愛がなかったとしたら、私達人類はすべて地獄に放り込まれたことでしょう。
イエス・キリスト様が、私たちすべての人々の罪を身代わりに負って、十字架の上で、神様の裁きを受けてくださった故に、そしてイエス様がよみがえられた故に、イエス様を信じる私たちは、罪赦されただけではなく義とされておりますから感謝します。
愛なる御父と御子の御名に感謝し、御名をほめたたえます。
私たちの主キリスト・イエス様の御名によって、アーメン。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
あなたがたの救われたのは、実に、恵み〔キリストの十字架と復活(筆者挿入)〕により、信仰〔イエス・キリストを信じる信仰(筆者挿入)〕によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物〔ギフト(筆者挿入)〕である。”(エペソ2:8・口語訳) 

2021年11月 4日 (木)

ヤハウェ(主)は義なる神(正しい神)なのか、そうではないのか?

 ヤハウェ(主)は、正しい神なのでしょうか?
ヤハウェ(主)ご自身の証言をイザヤ45:18-24は次のように記しています。
“18 天を創造した方、すなわち神、地を形造り、これを仕上げた方、これを堅く立てた方、これを茫漠としたものとして創造せず、住む所として形造った方、まことに、この主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が言われる
「わたしは主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕。ほかにはいない。
19 わたしは隠れたところ、闇の地の場所で、語らなかった。茫漠としたところで、ヤコブの子孫に『わたしを尋ね求めよ』とは言わなかった。
わたしは主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕。正義を語り、公正を告げる者
20 諸国からの逃亡者たちよ。集まって来て、ともに近づけ。彼らは自分たちの木の偶像を担ぐ者、救えもしない神に祈る者たちで、知識がない。
21 告げよ。証拠を出せ。ともに相談せよ。だれが、これを昔から聞かせ、以前からこれを告げたのか。わたし、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕ではなかったか。わたしのほかに神はいない。正しい神、救い主、わたしをおいて、ほかにはいない。
22 地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。わたしが神だ。ほかにはいない。
23 わたしは自分にかけて誓う。ことばは、義のうちにわたしの口から出て、決して戻ることはない。すべての膝はわたしに向かってかがめられ、すべての舌は誓い、24 わたしについて、『ただ主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕にだけ、正義と力がある』と言う。主に向かっていきり立つ者はみな、主のもとに来て恥を見る。”(2017)とあります。

 以上のようにヤハウェ(主)というお名前の神(永遠にして自存の神)、そして創造主(18)であられるお方が、わたしのほかに神はいない。正しい神、救い主、わたしをおいて、ほかにはいない(21)。と語っておられるのです。

 イエス・キリスト様は、十字架に向かわれる前に、父なる神に祈っています。その祈りの中で、イエス様は、
正しい父よ。この世はあなたを知りませんが、わたしはあなたを知っています。」(ヨハネ17:25・2017)と言っておられます。

 上記のイエス様の御言葉の中に、「正しい父よ」という言葉と共に「この世はあなたを知りません」とあります。

 現代人に限りませんが、自分を神とし、ヤハウェ(主)を神としない人たちにあっては、ヤハウェ(主)を義なるお方(正しいお方)とは考えていません。
現代においては、ヤハウェ(主)が罪としたことを、正しいとして、成文化している事柄もあるのです。

 ヤハウェ(主)は、何が罪なのかということを聖書で明らかにしました。
ヤハウェ(主)の仰せを斥ける者たちや、ヤハウェ(主)を認めない者たちに対するヤハウェ(主)の対処は次のようなものです。
ローマ人への手紙1章は次のように記しています。
“18 ・・、不義によって真理を阻(はば)んでいる人々のあらゆる不敬虔と不義に対して、神の怒りが天から啓示されているからです。
19 神について知りうることは、彼らの間で明らかです。神が彼らに明らかにされたのです。
20 神の、目に見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、世界が創造されたときから被造物を通して知られ、はっきりと認められるので、彼らに弁解の余地はありません。
21 彼らは神を知っていながら、神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その鈍い心は暗くなったのです。
22 彼らは、自分たちは知者であると主張しながら愚かになり、23 朽ちない神の栄光を、朽ちる人間や、鳥、獣、這うものに似たかたちと替えてしまいました。
24 そこで神は、彼らをその心の欲望のままに汚れに引き渡されました。そのため、彼らは互いに自分たちのからだを辱めています。
25 彼らは神の真理を偽りと取り替え、造り主の代わりに、造られた物を拝み、これに仕えました。
造り主こそ、とこしえにほめたたえられる方です。アーメン。
26 こういうわけで、神は彼らを恥ずべき情欲に引き渡されました。すなわち、彼らのうちの女たちは自然な関係を自然に反するものに替え、27 同じように男たちも、女との自然な関係を捨てて、男同士で情欲に燃えました。男が男と恥ずべきことを行い、その誤りに対する当然の報いをその身に受けています。
28 また、彼らは神を知ることに価値を認めなかったので、神は彼らを無価値な思いに引き渡されました。それで彼らは、してはならないことを行っているのです。
29 彼らは、あらゆる不義、悪、貪欲、悪意に満ち、ねたみ、殺意、争い、欺き、悪巧みにまみれています。また彼らは陰口を言い、30 人を中傷し、神を憎み、人を侮り、高ぶり、大言壮語し、悪事を企み、親に逆らい、31 浅はかで、不誠実で、情け知らずで、無慈悲です。
32 彼らは、そのような行いをする者たちが死に値するという神の定めを知りながら、自らそれを行っているだけでなく、それを行う者たちに同意もしているのです。”(2017)とあります。

 ヤハウェ(主)の仰せを斥ける者たちや、ヤハウェ(主)を認めない者たちに対するヤハウェ(主)の対処は、
➀その心の欲望のままに汚れに引き渡した(24)
➁無価値な思いに引き渡した(28)
とあります。

 ヤハウェ(主)というお名前の神、すなわち、父、子、聖霊なる神の御名(マタイ28:19)を知らない人たちや、認めない人達は、いくらでも反論を繰り広げることでしょう。

 私にとっては、イエス様の御言葉だけで十分です。
イエス様は語られました。
「まことに、あなたがたに言います。天地が消え去るまで、律法の一点一画も決して消え去ることはありません。」(マタイ5:18・2017)、
「天地は消え去ります。しかし、わたしのことばは決して消え去ることがありません。」(マタイ24:35・2017)、
「律法の一画が落ちるよりも、天地が滅びるほうが易しいのです。」(ルカ16:17・2017)、
「天地は消え去ります。しかし、わたしのことばは決して消え去ることがありません。」(ルカ21:33・2017)
と記されています。
ルカ21:33の文語訳は、「天地は過ぎゆかん、されど我が言(ことば)は過ぎゆくことなし。」とあります。
いい響きですね。

 ローマ6:23には、「罪の報酬は死です」(2017)と記され、
エゼキエル18:4には、「すべてのたましいは、わたしのもの。父のたましいも子のたましいも、わたしのもの。罪を犯したたましいが死ぬ。」(2017)というヤハウェ(主)の御言葉が記されています。

 ヤハウェ(主)は、罪を罰せられますが、罪を罰せられるべき者の身代わりをも受け入れることをなさいました。
その予型が、罪のためのいけにえ(罪のきよめのささげ物or罪祭)であり(レビ記4章)、その本体が、十字架につけられたイエス・キリスト様であったのです。
ガラテヤ3:13には、“キリストは、ご自分が私たちのためにのろわれた者となることで、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。「木にかけられた者はみな、のろわれている」と書いてあるからです。”(2017)と記されています。

 キリスト者とは、イエス・キリスト様を信じたことの故に神の裁きを受けずに済むようになった者たちです。
ヨハネ3:18には、「御子を信じる者はさばかれない。」(2017)と記され、
ヨハネ3:36には、「御子を信じる者は永遠のいのちを持っている」(2017)と記され、
ヨハネ3:16には、「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(2017)と記されています。

<お祈り>
天のお父様。
義なるお方にして、慈しみ深いあなたの御名をほめたたえます。
救い主イエス・キリスト様に感謝します。
あなたの律法の御言葉は、新天新地をあなたが創造なさるまで変わることのないものであることを教えてくださっておられますから感謝します。
あなたは聖なるお方、義なるお方であると共に慈しみ深いお方ですから御名を賛美します。
御父とイエス様の上に栄光と誉れと賛美と力とが代々限りなくありますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2021年11月 3日 (水)

主と共に歩む

 弟子の一人がイエス様に、神殿をほめそやした場面があります。
マルコ13:1.2に次のように記されています。
“1 イエスが宮から出て行かれるとき、弟子の一人がイエスに言った。「先生、ご覧ください。なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう。」
2 すると、イエスは彼に言われた。「この大きな建物を見ているのですか。ここで、どの石も崩されずに、ほかの石の上に残ることは決してありません。」”(2017)とあります。

 この情景は、今から約2000年弱前の出来事です。
そしてイエス様一行は、宮から出て宮の東側にあるオリーブ山に行ったようです。
オリーブ山からは、宮をはじめエルサレム一体がよく見えます。

 イエス様がオリーブ山で宮に向かって座っているときに、ペテロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレが、ひそかに、宮がひどく崩れ去るようなときがいつ来るのかをイエス様に尋ねたのです(マルコ13:3.4)。

 この時、「あなたが来られ、世が終わる時のしるしは、どのようなものですか。」という質問もしたようです(マタイ24:3)。

 イエス様は、質問に対して、
「人に惑わされないように気をつけなさい。
わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『私こそキリストだ』と言って、多くの人を惑わします。
また、戦争や戦争のうわさを聞くことになりますが、気をつけて、うろたえないようにしなさい。そういうことは必ず起こりますが、まだ終わりではありません。
民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、
あちこちで飢饉と地震が起こります。
しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりなのです。」(マタイ24:4-8・2017)と答えました。

 「これらはすべて産みの苦しみの始まり」とありますが、何が生み出されるのでしょうか?
私たちは、「御国が来ますように」と祈っていますが、主キリスト・イエス様が王の王、主の主として支配なさる御国、キリストの千年王国が生み出される前兆なのです。

 世界各地で起こる民族間の争い、国と国の戦争、異常気象や昆虫の害及び人口増加や戦争による農地の荒廃などの結果もたらされている飢饉、20世紀以降多発してきた大地震は、すべて産みの苦しみの始まりなのです、とイエス様は語られたのではないでしょうか。

 更に加えてイエス様は、
「また、偽預言者が大勢現れて、多くの人を惑わします。不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えます。」(マタイ24:11.12・2014)とも語られました。

 ルカは、マタイとは異なり、「疫病」についてもイエス様が語られたということで、「大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい光景や天からの大きなしるしが現れます。」(ルカ21:11・2017)と記しています。

 黙示録を読むと、現在はやっているコロナ感染症の比ではない疫病に見舞われるのではないかということも予想されます。
剣と飢饉と死病と地の獣によって地上の1/4の人が死ぬことになるらしいのです(黙示録6:8)。

 私は、黙示録6章の預言よりも前にキリストの空中再臨があり、携挙が起こって、主の現れを待ち望んでいる人たち(ヘブル9:28参照)は、天に引き上げられると推測しています。とは言え、生みの苦しみの出来事を見、黙示録に預言されている事象が迫ってきていることを予想しながら日々を過ごしています。

 世界情勢は上記のような状態ではありますが、キリスト者個人としては、「日々、主イエス様と共に歩む」ということが、何時の時代にも、そして今も、大切なことであると考えています。

 創世記5:24には、「エノクは神とともに歩み、神が彼を取られたので、いなくなった。」(新共同訳)とあります。
エノクは、死を体験することなく天に引き上げられました。
ヘブル11:5には、「信仰によって、エノクは死を経験しないように、天に移されました。神が彼を移されたので、見えなくなったのです。移される前に、神に喜ばれていたことが証明されていたからです。」(新共同訳)と記されています。
預言者エリヤも死を体験することなく天に引き上げられました(2列王記2:1.11)。

 キリストの空中再臨の時、霊を新生されているキリスト者は、肉体の死を経験することなく、神のラッパの響きとともに一瞬にして霊の体に変えられて(1テサロニケ4:16、1コリント15:52)、天に引き上げられるのです(1テサロニケ4:17)。
信じようと努力しなくても信じることの出来る人は幸いです。「あなたの信じたとおりになるように。」(マタイ8:13他・新改訳)とイエス様はよく言われました。
 クリスチャンと呼ばれる人の中でも、携挙を信じない人がいます。ヘブル11:5には、エノクについて、「信仰によって、エノクは死を経験しないように、天に移されました。神が彼を移されたので、見えなくなったのです。」とあります。その時が来れば分かることですけれども、キリストの空中再臨の時の携挙を信じない人の取り扱いについて神様はどうなさるのでしょう。神は全能です。肉の体を霊の体に一瞬の内に変えて天に携え挙げることなど神様にとってはたいしたことではないのだろうと思うのです。

 大切なことは、日々or一瞬一瞬、主と共に歩むことです。
地上で、主と共にある人は、キリストの空中再臨前に、地上の肉体が使い物にならなくなり、脱ぎ捨てねばならない場合でも、その人の霊は、いつも主と共にあるのです。1コリント6:17に、“主に結び付く者は主と一つの霊となるのです”(新共同訳)と記されているように。これは霊における結婚です。

 A.B.Simpsonの詩に次のようなものがあります。
“主と共に歩むその楽しさよ
エノクの如くに我をも上に 移させたもうまで 日々主と歩まん
ひと足、一足、主にすがりて、絶えず絶えず我は進まん”(抜粋)

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
あなたの恵みによって、日々主と歩み続ける生涯を送らせてください。
天において主イエス様とあなた様の御顔を拝する時を待ち望みつつ
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2021年11月 2日 (火)

マタイ6:9 御名が聖なるものとされますように

 マタイ6:9を
 2017は、
 「ですから、あなたがたはこう祈りなさい。
『天にいます私たちの父よ。 御名が聖なるものとされますように』」と訳し、
 聖書協会共同訳は、
 「だから、こう祈りなさい。
『天におられる私たちの父よ 御名が聖とされますように。』」と訳しています。

 「御名が聖とされますように」という箇所を、今までの日本語訳聖書は、
御名があがめられますように」(口語訳、第三版)
御名が崇められますように」(新共同訳)
あなたの名が聖なるものとされますように」(岩波訳)
御名の崇められん事を」(文語訳)
と訳していました。
これらのすべての訳は言語学的には正しいのです。

 天において、父なる神様はどのように賛美されていたのでしょうか?
イザヤ6:1-3には次のように記されています。
“1 ウジヤ王が死んだ年に、私は、高く上げられた御座に着いておられる主を見た。その裾は神殿に満ち、
2 セラフィムがその上の方に立っていた。彼らにはそれぞれ六つの翼があり、二つで顔をおおい、二つで両足をおおい、二つで飛んでいて、
3 互いにこう呼び交わしていた。「聖なる、聖なる、聖なる、万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕。その栄光は全地に満ちる。」”(2017)とあります。
これはイザヤが見せて頂いたものでした。
「聖なる、聖なる、聖なる」のヘブライ語聖書は、「カードーシュ、カードーシュ、カードーシュ」です。

 使徒ヨハネも似たような情景を見させて頂いています。
黙示録4:6b-8には次のように記されています。
“6 ・・・。そして、御座のあたり、御座の周りに、前もうしろも目で満ちた四つの生き物がいた。
7 第一の生き物は獅子のようであり、第二の生き物は雄牛のようであり、第三の生き物は人間のような顔を持ち、第四の生き物は飛んでいる鷲のようであった。
8 この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その周りと内側は目で満ちていた。そして、昼も夜も休みなく言い続けていた。「聖なる、聖なる、聖なる、主なる神、全能者。昔おられ、今もおられ、やがて来られる方。」”(2017)とあります。

 ヤハウェ(主)ご自身が、ご自分を「私は聖である」と語っておられます。
レビ11:44.45には次のように記されています。
わたしはあなたがたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕であるからだ。あなたがたは自分の身を聖別して、聖なる者とならなければならない。わたしが聖だからである。あなたがたは、地の上を這ういかなる群がるものによっても、自分自身を汚してはならない。わたしは、あなたがたの神となるために、あなたがたをエジプトの地から導き出した主であるからだ。あなたがたは聖なる者とならなければならない。わたしが聖だからである。」(2017)とあります。

 人に対して「聖なる者」となれ、と言われるときには、神へときよめ分かたれた(分離された)者となれ、ということです。

 「聖」のヘブライ語原語は、「カードーシュ」or「コーデシュ」です(母音記号の付き方の違いで読み方が変わります)。
聖書辞典は、“きよい 聖い,清い 「聖」を表す〈ヘ〉コーデシュの原意は「分離」であり,「聖」とは,ある二者の間に分離がある状態を指している。聖が神の属性として用いられる時,神がすべての被造物から隔絶していること,悪や罪からも全く分離していることを指す。聖はまた神の栄光(レビ10:3)や正義とさばき(詩篇99:3‐4)と関係づけて用いられている。”と述べています。

 レビ10:3には、
モーセはアロンに言った。「主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕がお告げになったことはこうだ。
『わたしに近くある者たちによって、わたしは自分が聖であることを示し、
民全体に向けて わたしは自分の栄光を現す。』」 ”(2017)と記され、
 詩篇99:1-5には、
“1 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は王である。国々の民は恐れおののけ。ケルビムの上に座しておられる方に。地よ震えよ。
2 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はシオンにおられる大いなる方。主はすべての国々の民の上に高くいます。
3 大いなる恐れ多い御名をほめたたえよ〔彼らが偉大な畏るべきあなたの名をほめたたえるように(聖書協会共同訳)〕。主は聖なる方。
4 王は力をもってさばきを愛する。あなたは公正を堅く立てさばきと正義をヤコブの中で行われた。
5 われらの神主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕をあがめよ。その足台のもとにひれ伏せ。主は聖なる方。”(2017)と記されています。

 キリスト者が「聖徒」(1コリント1:2)と呼ばれるのは、神のためにきよめ分かたれた者であるからです。それ故「聖なる者」、とも言われます(1コリント1:2)。それは、キリストの故です。
1コリント1:30に、“あなたがたは神によってキリスト・イエスのうちにあります。キリストは、私たちにとって神からの知恵、すなわち、義と聖と贖いになられました。”(2017)とあるように、キリストが私たちの聖となってくださったからです。

 本題に移ります。
ヤハウェ(主)なる神は「聖なるお方」です。
ヤハウェ(主)は、自存にして永遠のお方であり、神以外のすべてもののをつくられたお方、即ち創造者です。
宇宙に存在する見えるすべてのものは、ヤハウェ(主)なる神の作品です。
また、見えない存在、霊的な存在もあれば、人間の目には見えない物質的なもの、例えば素粒子なども皆ヤハウェ(主)なる神の作品です。
主なる神は、被造物とは隔絶しているのです。即ち聖なるお方なのです。

 聖なるお方が、聖なるお方として崇められることこそ、調和のものとです。
ヤハウェ(主)は、王の王、主の主です。
ヤハウェ(主)を、すべての被造物が、聖なるお方であると心から認め、へりくだり、ひれ伏したときに、本当の平和は訪れます。
それはやがて来ますから感謝です。
 ピリピ2章には、
イエスの名によって、
天にあるもの、地にあるもの、
地の下にあるもののすべてが膝をかがめ、
すべての舌が
「イエス・キリストは主です」と告白して、
父なる神に栄光を帰する
”(10.11抜粋・2017)時が来ることを告げています。
ハレルヤ

<お祈り>
天のお父様。
あなたの聖なる御名が崇められますように。
御国が来ますように。
御心が天で行われているように、地でも行われますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2021年11月 1日 (月)

ヤハウェ(主)なる神様は変わることのないお方

 旧約の神は怖い神、厳しい神と思っている人々もいますが、旧約の神も新約の神も同じ神です。
私が初めて旧約聖書を読んだとき、聖書の神は厳しく、自分中心の怖い神だと、私は感じたのです。

物事を考える主体は人間である自分自身です。ですから、自分の状態に影響されます。
多くの人は、考えや感情や意志がくるくる変わりますから、神様も同様であると考える人がいても不思議ではありません。
それで、旧約聖書を読んでいると、旧約の神は怖い神で、新約の神であるイエス様は優しい神様だ、と捉えるのかも知れません。
信仰を持ちたての頃の私はそのようでした。

マタイ28:19に、「父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け」というイエス様の御言葉があります。
「父、子、聖霊の名において」と記されている元のギリシア語聖書の単数、複数を知るには英訳聖書を見ると分かり易いです。
NKJVには、“in the name of the Father and of the Son and of the Holy Spirit”と訳されています。
父と子と聖霊の名、の名は、複数ではなく単数です。ですから、神は三位一体なのです。
本質が同じであるのです。

 神様は、人を祝福しようとして、ある時は、厳しく接し、ある時は優しく接する、ということをなさるのです。
イエス様でも、人にきびしく接している箇所があります。

 次に聖句を見ていきます。
 マラキ3:6.7には、
“まことに、主であるわたしは変わることがない
あなたたちヤコブの子らにも終わりはない。
あなたたちは先祖の時代からわたしの掟を離れ、それを守らなかった。
立ち帰れ、わたしに。
そうすれば、わたしもあなたたちに立ち帰ると
万軍の主は言われる。”(抜粋・新共同訳)と記されています。

 2テモテ2:13には、
“私たちが真実でなくても、
キリストは常に真実である。
ご自分を否むことができないからである。”(2017)と記されています。

神様が変わらないお方だからこそ、神様が語られた御言葉に信頼することができるのです。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を賛美します。
あなたの正しさは変わることなく、あなたの愛は変わることがありません。
それだからこそ安心してあなたに信頼することができます。
あなたの御言葉に信頼することができます。
今や私たちは、あなたの愛に包まれて日々を過ごさせて頂けますことを感謝します。
変わることのないあなたの御言葉を与えられて地上生涯を送ることを得させて頂けることを感謝し、私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・・・・
(マタイ5:18)「まことに、あなたがたに言います。天地が消え去るまで、律法の一点一画も決して消え去ることはありません。すべてが実現します。」(2017)
(ルカ16:17)「・・、律法の一画が落ちるよりも、天地が滅びるほうが易しいのです。」(2017)
(マタイ24:35)「天地は消え去ります。しかし、わたしのことばは決して消え去ることがありません。」(2017)

2021年10月31日 (日)

全能の神

 創世記17:1には、
さて、アブラムが九十九歳のとき、主はアブラムに現れ、こう言われた。「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前に歩み、全き者であれ。」”(2017)と記されています。

 ヤハウェ(主)ご自身が、「アニー エル シャダイ」(私は 神 全能)と言われたのです。ヘブライ語には、名詞文というのがあるので、訳すときには、「私は全能の神である」となります。

 「全能の神」と聞くと、何でもできる神、と考えてしましますが、そうではありません。少しの例を下記します。

①神は偽ることができない
 ヘブル6:18をリビングバイブルは、「神は、約束と誓いの両方を与えてくださいました。神は偽りを言われることがありませんそのため、救いを求めて神のもとに逃れて来る人たちは、確かな保証を頂いて、新たな勇気を奮い起こすことができます。そして、神の救いの約束を、少しの疑いもなく確信できるのです。」と意訳しています。

 1コリント1:9には、「神は真実な方です。この神によって、あなたがたは神の子、わたしたちの主イエス・キリストとの交わりに招き入れられたのです。」(新共同訳)と記され、
 2テモテ2:13には、「たとい、わたしたちは不真実であっても、彼は常に真実である。彼は自分を偽ることができないのである。」(口語訳)と記されています。

➁神は人を悪へと誘惑することができない
 ヤコブ1:13には、「だれでも誘惑されているとき、神に誘惑されていると言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれかを誘惑することもありません。」(2017)と記されています。

 その他、神様は、神様の御性質に反することは出来ないのです。

ルカ1:37には、「神にとって不可能なことは何もありません。」(2017)という天使ガブリエルの言葉がありますが、この箇所の直訳は、文語訳の、「神の言(ことば)には能はぬ所なし」という訳が近いのです。
ルカ1:37の「ことば」のギリシア語の原語は、「レーマ」で、神が語られたことばの意でしょう。
更にギリシア語聖書には、「パス」(すべて)の語が入っていて、37節は、「神が語られたすべての言葉に不可能はない」となると思います。
神が、語られていない事柄も、神は出来る、とは言っていないのです。

 いずれにしても天地創造前から存在していた天使ガブリエル(ヨブ38:7参考)は、長きに亘って、ヤハウェ(主)の御言葉の力を見てきたのです。

 結論として、神様は、ご自身の御性質に基づき、み旨に叶うすべてのことがお出来になるということでしょう。
「全能の神」とは、「神のみ旨に従い、神ご自身が行いたいと思うことのすべてを行うことの出来る神である。」ということを言っているのであろうと思います。

このことを考えるとき、私は、祈りに思いが行きます。

イエス様は、「13 わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。14 わたしの名によって何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。」(ヨハネ14章・新共同訳)と語られました。

「名によって」のギリシア語原語は、「エン トー オノマティ」と記されています。英語では、“in the name”となります。
「名」は、その方(or人)をあらわします。この聖句の中の「私の名の中で」というのは、キリストのみ旨の中での意になるのではないかと思います。
使徒ヨハネは、「何事でも神の御心に適うことをわたしたちが願うなら、神は聞き入れてくださる。」(1ヨハネ5:14・新共同訳)とも記しています。

 キリストの御名を使えば、祈りがきかれる、というのではなく、御心にかなう祈りをすれば、祈りは聞かれる、ということでしょう。

<お祈り>
天のお父様。
あなたは全能の神です。
あなたの御名をほめたたえます。
あなたのみ旨にかなう祈りをささげる者であらせてください。
私たちが祈りを献げるとき、天地万物を創造された全能の神である御父に祈りをささげているということを、いつも忘れずにいることができますように。
あなたのみ旨を把握する能力を増し加えてください。
また、あなたの御約束は、全能の神であられるあなたの御約束であるということを決して忘れることがありませんように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2021年10月30日 (土)

神様は何でも知っておられるのだろうか(全知の神)3

 果たして神様はすべての人を見ておられるのでしょうか?

箴言15:3には、「主の目はどこにもあり、悪人と善人を見張っている。」(2017)と記されています。
この聖句をリビングバイブルは、「主はあらゆる所で、悪人も正しい人も一人残らず見張っておられます。」と訳しています。

エレミヤ23:23.24には、「わたしは近くにいれば、神なのか。──主のことば──遠くにいれば、神ではないのか。 人が隠れ場に身を隠したら、
わたしはその人を見ることができないのか。──主のことば──天にも地にも、わたしは満ちているではないか。──主のことば。」(2017)と記されています。
この聖句をリビングバイブルは、「わたしはどこか一つの場所にだけにいて、彼のしていることが見えないような神だろうか。人はわたしから姿を隠せるだろうか。わたしは、天にも地にも、どこにでもいるではないか。」と訳しています。

 神様は、すべての人を見ているのです。
そして、裁きの時には、イエス様が裁きをなさるのです。
ヨハネ5章に次のように記されています。
“22 また、父はだれをも裁かず、裁きは一切子に任せておられる。
23 すべての人が、父を敬うように、子をも敬うようになるためである。子を敬わない者は、子をお遣わしになった父をも敬わない。
24 はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。
25 はっきり言っておく。死んだ者が神の子の声を聞く時が来る。今やその時である。その声を聞いた者は生きる。
26 父は、御自身の内に命を持っておられるように、子にも自分の内に命を持つようにしてくださったからである。
27 また、裁きを行う権能を子にお与えになった。子は人の子〔ダニエル7:13.14参照(筆者挿入)〕だからである。
28 驚いてはならない。時が来ると、墓の中にいる者は皆、人の子の声を聞き、29 善を行った者は復活して命を受けるために、悪を行った者は復活して裁きを受けるために出て来るのだ。
30 わたしは自分では何もできない。ただ、父から聞くままに裁く。わたしの裁きは正しい。わたしは自分の意志ではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行おうとするからである。」”(新共同訳)とあります。

 神様は、私たちの心の中まで全部知っているのでしょうか?
神様は、私たちの心の思いを知っているばかりではなく、私たちが未来においてどのように考えるのか、ということまで知っています。
詩篇139篇には次のように記されています。
“1 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕よ あなたは私を探り 知っておられます。
2 あなたは 私の座るのも立つのも知っておられ 遠くから私の思いを読み取られます。
3 あなたは私が歩くのも伏すのも見守り 私の道のすべてを知り抜いておられます。
4 ことばが私の舌にのぼる前に なんと主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕よ あなたはそのすべてを知っておられます。”(2017)とあります。

特にキリスト者の霊はキリストの霊と一つとされています(1コリント6:17)。
キリスト者の場合には、内奥からすべてキリスト・イエス様に知られているのです。

神様は、見える世界のものも、見えない世界のものも、全部知っておられます。
何しろ、神様が造られたのですから。
素粒子を発見してノーベル賞をもらった人がいますが、それを造ったのは神様です。
ニュートンは万有引力を発見しましたが、それを規定したのは神様です。
卵が先か鶏が先かという議論がありますが、神様は初めに鶏を造ったのです。
おそらく御父のご計画に基づいて御子イエス様が造られたのでしょう。
コロサイ1:16をリビングバイブルは次のように訳しています。
“事実、キリストはすべてのものの創造者なのです。天にあるものも地にあるものも、目に見えるものも見えないものも、霊の世界の王座も主権も支配も権威もすべて、この方がご自分の目的と栄光のために造られたのです。”と記されています。

どうやらヤハウェ(主)という神様は、何でも知っているようです。
この神様に、隠し立てすることは出来ません。
何かを隠していたとしても、隠している物が何かまで、知っておられるのです。
ですから神様の前には、ありのまま出ることが大切です。
神様に自分を良く見せようとすることは滑稽なことです。
また神様のみ前で、演技してみせても何にもなりません。すべてお見通しだからです。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を賛美します。
何から何までお見通しの上で、こよなく愛してくださりありがとうございます。
人知をはるかに超えたあなたの愛の中で生かされていることを感謝し、私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2021年10月29日 (金)

神様は何でも知っておられるのだろうか(全知の神)2

 人と神様の知的能力の違い

 マタイ10:30を
2017は、「あなたがたの髪の毛さえも、すべて数えられています。」と訳し、
新共同訳は、「あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。」と訳しています。

 マタイ10章は、12使徒に対してイエス様が訓話している箇所なので、12使徒の髪の毛はみな数えられているということは確かなことですが、それ以外の人の髪の毛の本数は数えられているのでしょうか。
12使徒以外の人の髪の毛も数えられている可能性があることを、前の節の、「二羽の雀は一アサリオンで売られているではありませんか。そんな雀の一羽でさえ、あなたがたの父の許しなしに地に落ちることはありません。」(マタイ10:29・2017)という聖句から12使徒以外の人の髪の毛も数えられているのではないかと思います。

 脱線しますが、
一羽のすずめでさえ、父なる神様の許可なしに地に落ちることはない、という聖句がありますが、ここで私の体験を記します。
今から約13年弱前、私は虚血性心不全で、「助からないでしょう」と担当医に告げられていました。
心臓が弱って、尿がほとんど出ないのです。利尿薬を2種類服用していてもほとんど出ません。注射薬の利尿薬を用いた時だけ、その時だけ尿が出るという状態でした。
しかし、今も生きています。天国に迎え入れることを許可する、という御父の許可が下りなかったのです。
私の脈拍数は80くらいでしたが、昨年は、1分間の心拍数が33になったことがあります。その状態がしばらく続きました。少し立っていると腰砕けのような感じが起こるのです。しかし御父は、相変わらず天国に迎え入れることを許可しませんでした。まだ地上で為すべきことを為しなさい、ということのようです。その後、心拍数は40位となり、家の中での生活は困らないくらいになりました。ペースメーカーは入れていませんが、服薬については、主の一般恩寵として、西洋医学的にも東洋医学的にも必要な薬剤を用いています。それ以上に、家族をはじめ多くの人々に祈られているということの方が、まだ地上にいる理由なのかもしれません。
「生きることはキリスト、死ぬことは益です」(ピリピ1:21)
が。
御父が許可しなければ、この世から脱出することもできないのです。
私の肉体は、死と隣り合わせなのですが、これは私にとっては幸いなことです。
私の肉体は、いつも聖霊によって強められる必要を忘れることができないからです。

 予知能力について
未来を予知できる人に対して、この世の人々は驚嘆します。
もし、この世の予言者が、100の預言をして90くらいでも的中したら、この世の人たちはその予言者を大予言者だと言うでしょう。 
しかし、ヤハウェ(主)は、「預言者が主の名によって語っても、そのことが起こらず、実現しないなら、それは主が語られたことばではない。その預言者が不遜にもそれを語ったのである。彼におびえることはない。」(申命記18:22・2017)とモーセに語られたことがありました。
ヤハウェ(主)の預言者は、一つの預言もはずしてはいけないのです。
 ヤハウェ(主)は、未来に起こることを預言者に知らせ続けてきました。聖書に預言の言葉がどれだけあるのか数えたことはありませんが、非常にたくさんあります。
イザヤ46:10前半には、「私は、終わりのことを初めから、まだなされていないことを昔から告げてきた」(聖書協会共同訳)というヤハウェ(主)の御言葉があります。
この箇所をリビングバイブルは、「何が起こるかを教えることができるのは、このわたしだけだ。」と意訳しています。

 私は、創世記1:1で、すぐに聖書に躓いた人です。私に対して、進化論は、サタンの側からすると大いなる成功例であったのです。
しかし、私が、イエス様の救いにあずかる前に、聖書は正しいものらしいと信じることが出来たのは、聖書に記されている預言のおかげでした。
ただし私が、イエス様を個人的に信じることができたのは、神様の直接的関与があったからでした。

 1ペテロ1:2には、「・・、父なる神が予知されたことに従って、霊により聖なる者とされ、イエス・キリストに従い、また、その血の注ぎを受けるために選ばれた人たちへ。・・・。」(聖書協会共同訳)と記されています。

 キリスト者とされた人たちは、天地創造の前に選ばれていたと記されています(エペソ1:4)。
予知と選びの関係について、筆者は、1ペテロ1:2の箇所に次のように記しておきました(2013年12月の記事)。
ペテロは、2節でキリスト者と三位一体の神との関係について述べています。
 父なる神は、キリストの救いが提示された時、信じる人が誰であるのかを予知され、選ばれました。そのことに関連する他の書簡のみことばに、「神はキリストにあって、天上で霊のもろもろの祝福をもって、わたしたちを祝福し、みまえにきよく傷のない者となるようにと、天地の造られる前から、キリストにあってわたしたちを選び、わたしたちに、イエス・キリストによって神の子たる身分を授けるようにと、御旨のよしとするところに従い、愛のうちにあらかじめ定めて下さったのである。」(エペソ1:3‐5)、「神はあらかじめ知っておられる者たちを、更に御子のかたちに似たものとしようとして、あらかじめ定めて下さった。」(ローマ8:29)などを思い浮かべます。私は、神学によってではなく聖書のみことばのみによって書き進めたいと思います。
 子なる神であるイエス・キリスト様との関係については、「イエス・キリストに従い、かつ、その血の注ぎを受けるために」と書かれています。
十字架の上でイエス・キリストの血が流され、キリストの身代わりの死が無ければ、罪の赦しも、罪のきよめもありませんでした。人間はただ絶望したまま神の裁きの前に立つことになったのです。しかし、キリストの血による贖いの故に信じる者は喜びを持って父なる神と御子なるキリストの前に立つことが出来たのです。
 聖霊は、父なる神の予知に従い、キリストが流された血を、キリストを受け入れる人に適用し、聖別して下さったのです。聖別のみならず、心の思いや行いにおいても、「わたしたちが光の中を歩んでいるなら、キリスト者同士は互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪より私たちをきよめ続けるのです。」(1ヨハネ1:7)。聖霊は、キリストの血を用いてこのことを行って下さいます。”と記しました。

 兎に角、人には予知できないことを、神様は予知しておられます。
30年以上前に、私は
次の歌詞の歌をよく歌っていました。
“明日はどんな日か私は知らない
 晴れか、嵐か、曇りになるか
 私は明日を心配しない
 イェスが私を守られるから
 明日は私にはわからないけど
 明日を守られるイェスがおられる”と。
そのように賛美して自分を信仰に立たせ、自分を励ましていたのでしょう。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を賛美します。
あなたはこれから起こることもすでに教えてくださっておられ、その対処方法も教えてくださっておられますことを感謝します。
あなたの御名の中で生かされていることを感謝し、私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・・
 御手の中で
 “み手のなかで
 すべてはかわるさんびに
 わがゆくみちを
 みちびきたまえ
 あなたのみ手の中で

 み手のなかで
 すべてはかわるかんしゃに
 わがゆくみちに
 あらわしたまえ
 あなたのみ手のわざを ”

2021年10月28日 (木)

神様は何でも知っておられるのだろうか(全知の神)1

 神様は全知のお方であるという。
私もそのように思いますが、それを証明しきることは私には出来ません。
何故なら、神様は、たとえ全知であったとしても人間には理解しきれないからです。

 1コリント2:11に、「神の霊以外に神のことを知る者はいません。」(聖書協会共同訳)と記されているように、自存にして永遠、かつ創造者であられる神様を、被造物である人間が、「私は神様のことを全部知っています」などとは言えません。

 人は、聖書に啓示されている範囲内において、神様がどの位のことを知っておられるお方であるのかということを、知ることができるのであろうと思います。

 聖書に啓示されている神の知識、予知だけでも驚嘆すべきものであると思います。

 エフェソ(エペソ)1:4には、「天地創造の前に、キリストにあって私たちをお選びになりました。・・」(聖書協会共同訳)とあります。
上記の「キリストにあって」と訳されている箇所を、2017は「この方にあって」と訳していますが、直訳すると2017のような訳になります。
「この方にあって」という箇所を、KJVは“in him”と訳しています。

 私は、私自身が0ー2歳の頃のことを思いだそうとしても思い出すことは出来ませんが、神様は、私が存在する前から私の存在をご存知であったのです。それどころか天地創造の前に、既に私のことをご存知であったということです。

 時間軸的には、小さなスケールになりますが、アケメネス朝ペルシア帝国の創立者キュロス(在位年:B.C.559年―B.C.530年)の名前が、イザヤ44:28、45:1に次のように記されています。
“44:28 キュロスに向かって、わたしの牧者、わたしの望みを成就させる者、と言う。・・・。45 :1 主が油を注がれた人キュロスについて主はこう言われる。・・・。
”(新共同訳)

 これを預言したイザヤは、ウジヤ王の死んだ年(B.C.742年頃)に召命を受け(イザヤ6:1.9)、その後約50年間預言した人です。
B.C.742年の50年後はB.C.692年になります。この年には、まだキュロスは生まれていませんでした。

 エペソ1:4に関連した聖句の一つに、ローマ8:29.30があります。そこには次のように記されています。
“29 神は前もって知っておられた者たちを、御子のかたち〔あるいは「像」(欄外注)〕に似たものにしようとあらかじめ定められました。それは、御子が多くのきょうだいの中で長子となられるためです。30 神はあらかじめ定めた者たちを召し出し、召し出した者たちを義とし、義とされた者に栄光をお与えになったのです。”(聖書協会共同訳)とあります。

 ローマ8:29.30の聖句は、人間的には、過去、現在、未来の出来事が包含されていますが、神様は、未来のことも摂理の内に過去形として記させています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を賛美します。
私たちは、あなたにすべてのことを知っていただいている上で、愛され、覚えられていることを感謝します。
あなたの御前においては、常にありのままでいられますから感謝します。
とこしえに愛してくださいますことを感謝し、私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2021年10月27日 (水)

力は神のもの

 詩篇62篇に、
神は一度告げられた。
二度私はそれを聞いた。
力は神のものであることを。”(2017)と記されています。

 詩篇62篇の表題に、ダビデの賛歌、とあります。
ダビデは主なる神様から「力は神のものである」という御言葉を聞いたのです。

 キリスト者は、神の霊から生まれた霊を持っている存在です。というかキリスト者の本体は「霊」です。
ヨハネ3:3.6を、
 新共同訳は、“3 イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」6 肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。”と訳し、
 口語訳は、“3 イエスは答えて言われた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」。6 肉から生れる者は肉であり、霊から生れる者は霊である。”と訳しています。

 ペテロは天国に帰る前に、「私たちの主イエス・キリストが示してくださったように、私はこの幕屋〔仮の宿(新共同訳)、肉体(筆者挿入)〕を間もなく脱ぎ捨てることを知っています。」(2ペテロ1:14・2017)と語りました。
 またパウロは、「たとえ私たちの地上の住まいである幕屋が壊れても、私たちには天に、神が下さる建物、人の手によらない永遠の住まいがあることを、私たちは知っています。」(2コリント5:1・2017)と語りました。
 リビングバイブルはこの箇所を、「私たちが住んでいる地上の家が取りこわされても、すなわち、私たちが死んでこの肉体を離れても、天には新しい体、永遠に保証された家があります。それは、人の手ではなく、神の手でつくられた家です。」と意訳しています。

以上はキリスト者の本体は「霊」であることの説明です。

 1ヨハネ3:2に「私たちは今すでに神の子どもです。」(2017)と記されているように、キリスト者は神の子どもです。
神から生まれた霊だからです。
それ故、神の御性質にあずかる者とならせて頂ける
のです(2ペテロ1:4)。

 キリスト者が、神の子どもであるとはいっても、神であるヤハウェ(主)が私たちに与えてくださるものは、永遠のいのちと、神の性質です。

 キリスト者には、神の力は与えられていません。
神の子どもであるキリスト者が力を必要とする時は、その力を神から供給されて歩んでいくのです。
イエス様は、「聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。」(使徒1:8・2017)と語られました。
キリスト者は、イエス様を信じた時に、聖霊を与えられていますが、その聖霊の働きは、神の子どもとしてふさわしい性質をつくることや、真理を教えること等、すべてのキリスト者にキリスト者として必要なものを与えることですが、御霊の賜物に属するもの〔1コリント12:1-12、28他(筆者挿入)〕は個々人で異なるのです。
{新改訳が「御霊の賜物」と訳した語句を、新共同訳は「霊的な賜物」、口語訳・文語訳は「霊の賜物」、リビングバイブルは「聖霊があなたがたに授けてくださった特別な賜物(贈り物)」と訳しています。}

 人には人の分に応じた力が与えられていますが、キリスト者が神の子どもであるからといって神の力は与えられていないのです。
力は神のものであり、聖霊なる神から、その都度、頂くのです。とはいっても、御旨に叶う事柄の範囲ですが(1ヨハネ5:14参照)。

 その模範を示してくださったのは、神の力を封印して、人となられたイエス・キリスト様です。
ピリピ2章に、“6 キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、7 ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。”(2017)と記され、
使徒10:38には、“それは、ナザレのイエスのことです。神はこのイエスに聖霊と力によって油を注がれました。イエスは巡り歩いて良いわざを行い、悪魔に虐げられている人たちをみな癒やされました。それは神がイエスとともにおられたからです。”(2017)と記されています。

 私たちは力の必要なとき、聖霊なる神から力を付与されて歩んで行くのです。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
私たちは、あなたの御勧めに従って、事ごとに祈りをなし、願いをなし歩んでいきます。
私たちに必要な物を備えてくださるあなたの御名をほめたたえ、私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・
「何事をも思ひ煩ふな、ただ事ごとに祈をなし、願をなし、感謝して汝らの求を神に告げよ。」(ピリピ4:6・文語訳)
「かくてわが神は己の富に隨ひ、キリスト・イエスによりて汝らの凡ての窮乏を榮光のうちに補ひ給はん。」(ピリピ4:19・文語訳)

2021年10月26日 (火)

神様はどこにいるのか?

 神様はどこにいるのでしょうか?

 マルコ16:19は、“主イエスは彼らに語った後、天に上げられ、神の右の座に着かれた。”(2017)と記していますから、父なる神様も主イエス様も天におられるのでしょう。

 ところが、エレミヤ23:24の聖句を、幾つかの聖書は次のように記しています。
 新改訳2017は、
“人が隠れ場に身を隠したら、
わたしはその人を見ることができないのか。
──主のことば──
天にも地にも、わたしは満ちているではないか。
──主のことば。”と訳し、

 新共同訳は、
“誰かが隠れ場に身を隠したなら
わたしは彼を見つけられないと言うのかと
主は言われる。
天をも地をも、わたしは満たしているではないかと
主は言われる。”と訳し、

 口語訳は、
“主は言われる、人は、ひそかな所に身を隠して、わたしに見られないようにすることができようか。
主は言われる、わたしは天と地とに満ちているではないか。”と訳し、

 リビングバイブルは、
“人はわたしから姿を隠せるだろうか。
わたしは、天にも地にも、どこにでもいるではないか。”と訳しています。

 エレミヤ23:24の、“主は言われる”(新共同訳、口語訳)、“主のことば”(新改訳)と記されている「主」のヘブライ語原語は、「ヤハウェ」です。
「言われる(仰せられる)」や「ことば」と訳されている語のヘブライ語原語は、「ネウム」で、託宣、言う、仰せられる等の意があります。

 エレミヤ23:24の聖句は、ヤハウェ(主)が、「私はどこにでもいるよ」と語られた内容です。

 ダビデは、エレミヤよりも前に地上にいた人ですが、次のように言っています。
“7 どこに行けばあなたの霊から離れることができよう。
どこに逃れれば、御顔を避けることができよう。
8 天に登ろうとも、あなたはそこにいまし
陰府に身を横たえようとも、見よ、あなたはそこにいます。
9 曙の翼を駆って海のかなたに行き着こうとも10 あなたはそこにもいまし
御手をもってわたしを導き、右の御手をもってわたしをとらえてくださる。
11 わたしは言う。「闇の中でも主はわたしを見ておられる。夜も光がわたしを照らし出す。」
”(詩篇139篇・新共同訳)と。

 イザヤは次のような体験をしました。
“ウジヤ王が死んだ年に、私は、高く上げられた御座に着いておられる主を見た。その裾は神殿に満ち”(イザヤ6:1・2017)と記され、主の裾は地上にある神殿に満ちたのです。

 主の裾が神殿に満ちても不思議なことはありません。
イエス様は次のように語っています。
「わたしはあなたがたに言います。決して誓ってはいけません。天にかけて誓ってはいけません。そこは神の御座だからです。地にかけて誓ってもいけません。そこは神の足台だからです。」(マタイ5:34.35・2017)と。

 ヤハウェ(主)という神様は、天にも地にも、どこにでもおられるお方です。

 では何故、一部の人しか、その神様とかかわりが持てないのでしょうか?

それは、新約時代においては、イエス・キリスト様を信じないから、というのが答えです。

イエス・キリスト様を信じた人、すなわちイエス・キリスト様を心にお迎えした人に、まことの神様、すなわちヤハウェ(主)という神様は、ご自身をあらわし、交わりを持ってくださるのです。

 イエス様は、イエス様を信じる弟子たちに、次のように語られました。
「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者〔助け主(新改訳)〕を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。/・・、弁護者〔助け主(新改訳)〕、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。」(ヨハネ14:16.17/26・新共同訳)と。

 イエス様は、また次のようにも語られました。
「わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛している人です。わたしを愛している人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身をその人に現します。/だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。」(ヨハネ14:21.23)と。

 イエス様は十字架にかかられる前に次のように言われました。
「わたしはあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(ヨハネ13:34・2017)と。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
イエス様に贖われた兄弟姉妹といっても、育ちも環境も考え方も色々と異なっていることが普通のことです。
自分の考え方、感じ方とは異なる考え方、感じ方をする兄弟姉妹であっても、あなたを愛し、イエス様を愛している兄弟姉妹であれば、その一人一人を愛して歩むものであらせてください。
何よりも、三一の主がいつもともにいてくださることを心から望みます。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。 
・・・・・・・・・・・
“愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、苛立たず、人がした悪を心に留めず、不正を喜ばずに、真理を喜びます。すべてを耐え、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを忍びます。”(1コリント13:4-7・2017)

2021年10月25日 (月)

死んだら無になるのでしょうか?/死んだら終わりなのでしょうか?

 人は死んだら何も残らない、と考える人たちがいます。
かつての私はその様に考える人達の中の一人でした。
わたしの場合は、学校で受けた進化論教育の故でもあったのではないかと思います。
そのような事柄において、サタン(悪魔)は、成功を収めていました。
なぜそのようなことを言うかというと、
コロサイ2:8に、“あの空しいだましごとの哲学によって、だれかの捕らわれの身にならないように、注意しなさい。それは人間の言い伝えによるもの、この世のもろもろの霊によるものであり、キリストによるものではありません。”(2018)と記されているからです。
口語訳はこの箇所を、“あなたがたは、むなしいだましごとの哲学で、人のとりこにされないように、気をつけなさい。それはキリストに従わず、世のもろもろの霊力に従う人間の言伝えに基くものにすぎない。”と訳しています。

 かつての私は、人には霊も魂も無いと考えていました。
ですから、人を構成している原子は、犬やサル、地の中をうごめいている虫たちとそう変わらないものであろうと考えていたのです。
救われる前の私の話を書いていくと非常に時間がかかるので、話を変えます。

 聖書の中に、死んだ後の状態の描写の記されている箇所があります。
イエス様が語られた話の中に次のようなものがあります。ルカ16章に記されている話を下記します。
“19 ある金持ちがいた。紫の衣や柔らかい亜麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。
20 その金持ちの門前には、ラザロという、できものだらけの貧しい人が寝ていた。
21 彼は金持ちの食卓から落ちる物で、腹を満たしたいと思っていた。犬たちもやって来ては、彼のできものをなめていた。
22 しばらくして、この貧しい人は死に、御使いたちによってアブラハムの懐に連れて行かれた。金持ちもまた、死んで葬られた。
23 金持ちが、よみで苦しみながら目を上げると、遠くにアブラハムと、その懐にいるラザロが見えた。
24 金持ちは叫んで言った。『父アブラハムよ、私をあわれんでラザロをお送りください。ラザロが指先を水に浸して私の舌を冷やすようにしてください。私はこの炎の中で苦しくてたまりません。』
25 するとアブラハムは言った。『子よ、思い出しなさい。おまえは生きている間、良いものを受け、ラザロは生きている間、悪いものを受けた。しかし今は、彼はここで慰められ、おまえは苦しみもだえている。
26 そればかりか、私たちとおまえたちの間には大きな淵がある。ここからおまえたちのところへ渡ろうとしても渡れず、そこから私たちのところへ越えて来ることもできない。』
27 金持ちは言った。『父よ。それではお願いですから、ラザロを私の家族に送ってください。
28 私には兄弟が五人いますが、彼らまでこんな苦しい場所に来ることがないように、彼らに警告してください。』
29 しかし、アブラハムは言った。『彼らにはモーセと預言者がいる。その言うことを聞くがよい。』
30 金持ちは言った。『いいえ、父アブラハムよ。もし、死んだ者たちの中から、だれかが彼らのところに行けば、彼らは悔い改めるでしょう。』
31 アブラハムは彼に言った。『モーセと預言者たちに耳を傾けないのなら、たとえ、だれかが死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない。』」”(2017)と記されています。

 ラザロ(ギリシア語で、ラザロス)という名前は、恐らくヘブライ語ではエルアザルという名であり、その意味は、神は助けるお方である、の意です。(Strong辞書を参照)
文面には表れていませんが、イエス様は、ラザロという名の中に、ラザロは神様を信じているということをほのめかしていたものと思います。

 イエス様は陰府(よみ)があること、よみの世界は均一ではないことを教えてくれています。

 イエス様の十字架と復活が成就した後は、イエス様を信じた人の魂と霊は直ちに天に行っています。

 旧約聖書の中にも陰府についての言及がいくつかあります。その中から、ヤハウェ(主)が語られた御言葉の一つの箇所を下記します。
“17 第十二年の、その月〔エゼキエル32:1より「B.C.586年の第12の月」(筆者挿入)〕の十五日、私〔エゼキエル(筆者挿入)〕に次のような主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことばがあった。
18 「人の子よ、エジプトの大軍のために嘆け。その民と力強い国々の娘たちを、穴に下る者たちとともに地下の国に下らせよ。
19 『あなたは麗しさの点でだれよりもまさっているというのか。下って行って、無割礼の者たちとともに横たわれ。』
20 彼らは、剣で刺し殺された者たちの間に倒れる。その国は剣に渡された。その国とその大軍すべてを引きずり降ろせ。
21 勇敢な勇士たちは、国を助けた者たちとともに、よみの中から彼について語る。『彼らは下って来て、剣で刺し殺された者、無割礼の者たちとともに横たわった』と。
22 そこにはアッシリアとその全集団がいる。周りには彼らの墓があり、みな、刺し殺された者、剣に倒れた者である。
23 アッシリアの墓は穴の奥〔地獄の最深部(筆者挿入)〕の方にあり、その集団はその墓の周りにいる。彼らはみな、刺し殺された者、剣に倒れた者で、生ける者の地に恐怖をもたらした者たちである〔蒔いた種を最もひどい地獄で刈り取っています(筆者挿入)〕。
24 エラムとその大軍がその墓の周りにいる。彼らはみな、刺し殺された者、剣に倒れた者で、無割礼のまま地下の国に下った者、生ける者の地に恐怖をもたらした者たちで、穴〔地獄(筆者挿入)〕に下る者とともに自らの恥辱を負っている。
25 その寝床は刺し殺された者たちの間に置かれ、その大軍すべてもその墓の周りにいる。みな、無割礼の者、剣で刺し殺された者である。彼らの恐怖が、生ける者の地にあり、穴に下る者とともに自らの恥辱を負っている。彼らは刺し殺された者たちの間に置かれる。
26 そこにはメシェクとトバル〔現トルコの中の地域の国々(筆者挿入)〕がおり、その大軍のすべてもその墓の周りにいる。みな、無割礼の者、剣で刺し殺された者で、生ける者の地に恐怖をもたらしたからである。
27 無割礼の者として倒れた勇士たちとともに彼らは横たわることはできない。勇士たちは武具を持ってよみに下り、剣は頭の下に置かれている。咎が彼らの骨の上にある。勇士たちのもたらした恐怖が、生ける者の地にあったからである。
28 しかしあなたは、無割礼の者たちの間で砕かれ、剣で刺し殺された者たちとともに横たわる。
29 そこにはエドムとその王たち、そのすべての族長たちがいる。彼らは、その勇敢さにもかかわらず、剣で刺し殺された者たちとともに、無割礼の者たち、および穴に下る者たちとともに横たわる。
30 そこには北のすべての君主たち、すべてのシドン人がいる。彼らの勇敢さは恐怖をもたらしたが、恥を見、刺し殺された者たちとともに下ったのである。それで無割礼の彼らは、剣で刺し殺された者たちとともに横たわり、穴に下る者たちとともに自分たちの恥辱を負っている
31 ファラオは彼らを見て、剣で刺し殺された自分の大軍、ファラオとその全軍勢のことで慰められる──神である主〔アドナイ・ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──。
32 わたしが生ける者の地に恐怖をもたらしたので、ファラオとその大軍は、無割礼の者たちの間で、剣で刺し殺された者たちとともに横たわる──神である主〔アドナイ・ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば。」”(エゼキエル32章・2017)と記されています。

 預言者エゼキエルにヤハウェ(主)は、地獄の預言を与えています。
人は、死んだらそれで終わりではないのです。
今置かれている自分の状態が苦しいので、死んで終わりにしたいと願う人もいるでしょうが、死んで無になるわけではなく、その魂の状態は継続されていくのです。

 唯一の救いは、地上にいる間に、イエス・キリスト様を自分の救い主、主、と信じること、イエス様を心に受け入れることです。
他に方法はないのです。
 イエス様は言われました。
わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。」(ヨハネ14:6・2017)と。
 ペテロは次のように語りました。
この方〔イエス・キリスト(筆者挿入)〕以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人間に与えられていないからです。」(使徒4:12・2017)と。

 今は背教の時代です。
キリスト教世界の中でも色々な考えが述べられています。
私は、聖書の記述を信じます。
モーセ五書の中の一つの申命記4:2には、「私があなたがたに命じることばにつけ加えてはならない。また減らしてはならない。」(2017)と記され、
聖書の中央辺りにある箴言30:6には、「神のことばに付け足しをしてはならない。神があなたを責めて、あなたが偽り者とされないために。」(2017)と記され、
聖書の終わりにある黙示録22:18.19には、「私は、この書の預言のことばを聞くすべての者に証しする。もし、だれかがこれにつけ加えるなら、神がその者に、この書に書かれている災害を加えられる。また、もし、だれかがこの預言の書のことばから何かを取り除くなら、神は、この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、その者の受ける分を取り除かれる。」(2017)と記されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
もし、これを読んだ人の中に、この世からいなくなって楽になりたいと考えている人がいましたら、その思いを止め、イエス様を求めるようにさせてください。
あなたにお委ねし、私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2021年10月24日 (日)

律法(主なる神様の教え)を守ろうとする生き方をしても天国に入ることは出来ません。天国に入ることができるのはイエス・キリスト様を信じることによってだけです。

 自分の善行が自分の悪行よりも多ければ天国に入ることができると考えている人が結構多くいます。

 おそらくユダヤ人は律法を守ることによって、義と認められる、すなわち神様から「あなたは正しい」と言ってもらえると思っていたのではないかと思います。

 ところが、人は律法を守ることが出来ません。
律法の根底は、神と人への愛です。

 「律法の中でどの戒めが一番重要ですか。」(マタイ22:36・2017)という律法学者の質問に対して、イエス様は、次のように語られました。
「『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』これが、重要な第一の戒めです。
『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』という第二の戒めも、それと同じように重要です。
この二つの戒めに律法と預言者の全体がかかっているのです。」(マタイ22:37-40・2017)と記されています。

 愛についての定義とは言い切れませんが、愛についてパウロは次のように述べています。
「愛は寛容であり、愛は親切です。
また人をねたみません。
愛は自慢せず、高慢になりません。
礼儀に反することをせず、
自分の利益を求めず、
苛立たず、人がした悪を心に留めず、
不正を喜ばずに、真理を喜びます。
すべてを耐え〔あるいは「おおい」(欄外注)〕、
すべてを信じ、
すべてを望み、
すべてを忍びます。」(1コリント13:4-7・2017)と。

 ヤコブの手紙の中には次のように記されている箇所があります。
“8 もし本当に、あなたがたが聖書にしたがって、「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」という最高の律法を守るなら、あなたがたの行いは立派です。9 しかし、もし人をえこひいきするなら、あなたがたは罪を犯しており、律法によって違反者として責められます。10 律法全体を守っても、一つの点で過ちを犯すなら、その人はすべてについて責任を問われるからです。”(ヤコブ2章・2017)と。

 パウロはローマ人への手紙の中で、「義人はいない。一人もいない。」(ローマ3:10・2017)と述べています。
律法に熱心であった救われる前のパウロの場合はどのようであったのでしょうか?
パウロは次のように述べています。
「律法によらなければ、私は罪を知ることはなかったでしょう。実際、律法が『隣人のものを欲してはならない』と言わなければ、私は欲望を知らなかったでしょう。しかし、罪は戒めによって機会をとらえ、私のうちにあらゆる欲望を引き起こしました。」(ローマ7:7.8抜粋・2017)と記しています。
 同じ個所を新改訳第三版は、「律法によらないでは、私は罪を知ることがなかったでしょう。律法が、『むさぼってはならない』と言わなかったら、私はむさぼりを知らなかったでしょう。しかし、罪はこの戒めによって機会を捕らえ、私のうちにあらゆるむさぼりを引き起こしました。」と訳しています。

 人間同士の間で、「あの人は善人だ」と言われるような人であっても、主なる神様の前では、そのようには認められないのです。
しかし、主なる神様は行いとは別の方法、すなわち主イエス・キリスト様を信じるという信仰によって信じる者に救いをもたらしてくださったのです。
ローマ人への手紙3章には次のように記されています。
ローマ3:21-28をリビングバイブル(旧版)は次のように意訳しています。
“21.22 しかし今や、神様は、天国へ行く別の道を示してくださいました。
その新しい道は、「善人になる」とか、神様のおきてを守ろうと努力するような道ではありません〔とはいっても、この道については、ずっと前から旧約聖書で教えられていたのですから、実際には新しい道とは言えませんが〕。
神様は今、「もし私たちが、イエス・キリストを信じきるなら、あなたがたを受け入れ、『罪のない者』と宣言する」と言われます。
どんな人間であろうと、私たちはみな、キリストを信じきるという、この方法によって救われるのです。
23 そうです。
すべての人は罪を犯しました。
神の輝かしい標準にはほど遠い存在です。
24 けれども、もし私たちがキリスト・イエスを信じきるなら、神様は私たちを「罪のない者」と宣言してくださいます。
このキリスト・イエスが、恵みにより、無償で私たちの罪を帳消しにしてくださるからです。
25 神様はキリスト・イエスを遣わして、私たちの罪のための刑罰を受けさせ、私たちへの怒りをとどめてくださいました。
神様は、私たちをご自分の怒りから救い出すための手段として、キリスト様の血と私たちの信仰とをお用いになりました。
ですから、それまでの時代に罪を犯した者たちを罰せられなかったとしても、神様は完全に公正であられたわけです。
キリスト様が来て人々の罪を取り除く時を、神様は待ち望んでおられたからです。
26 そして今日でも、神様はこの同じ方法で罪人を受け入れてくださいます。
イエス様が彼らの罪を帳消しにしてくださったからです。
しかし、このように、罪を犯した者を赦し、無罪を宣告するのは、神様の公正なやり方に反するのではないでしょうか。
いいえ、そんなことはありません。
なぜなら、彼らが自分の罪を帳消しにしてくださったイエス様を信じたという事実に基づいて、神様はそうなさるからです。
27 それでは、救われるために、私たちは何か誇れるようなことをしたでしょうか。
何もしていません。
なぜでしょう。
私たちは自分の善行によって無罪とされるのではないからです。
それは、キリスト様が成し遂げてくださったことと、キリスト様に対する私たちの信仰に基づいているのです。
28 つまり、私たちが救われるのは、キリスト様を信じる信仰だけによるのであって、善行によるのではありません。”とあります。

 上記27節の中に、“それは、キリスト様が成し遂げてくださったことと、キリスト様に対する私たちの信仰に基づいているのです。”という箇所があります。

 これと同じことをエペソ2:8は、「この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。」(2017)と述べています。

 善き行いは、救われた後に、主なる神様が私たちを変えてくださることによって行うことが出来るようになっていくのです。

使徒ペテロは次のように述べています。
“3 私たちをご自身の栄光と栄誉によって召してくださった神を、私たちが知ったことにより、主イエスの、神としての御力は、いのちと敬虔をもたらすすべてのものを、私たちに与えました。
4 その栄光と栄誉を通して、尊く大いなる約束が私たちに与えられています。それは、その約束によってあなたがたが、欲望がもたらすこの世の腐敗を免れ、神のご性質にあずかる者となるためです
5 だからこそ、あなたがたはあらゆる熱意を傾けて、信仰には徳を、徳には知識を、6 知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、7 敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。
8 これらがあなたがたに備わり、ますます豊かになるなら、私たちの主イエス・キリストを知る点で、あなたがたが役に立たない者とか実を結ばない者になることはありません。”(2ペテロ1章・2017)と記されています。

 パウロは、「わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです。」(2コリント3:18・新共同訳)と述べました。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
私たちは皆、罪をもって生まれ、人に教えてもらわなくても様々な罪、すなわちあなたのみ旨に反することどもを犯してきた者です。
それ故、行いによっては、天にあるあなたの御国に入ることは出来ない者でした。
しかし、罪なき神のひとり子であられ、霊のお身体を持っておられる御子が、私たちの罪とその罰を、身代わりとして引き受けるために、肉体を纏われてマリアから誕生され、十字架の上で贖いを成し遂げてくださいましたことを感謝します。
私たちはイエス様の贖いにより、また、イエス様を信じさせて頂けたことの故に、主の霊の働きによって、神の御性質に似たものとしてつくり変えられ中であることを覚えて感謝します。
すべてのキリスト者は、つくり変えられ中ですから、お互いに忍び合い、赦し合いながら、共に主を賛美しつつ、地上生涯を歩んでいくことができますように。
唯々、三一の主なる神様の御名をほめたたえ、私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2021年10月23日 (土)

申命記24:1-4 離婚、再婚についての規定(2018.3.30にupしたつもりがupされていなかった原稿です)

“24:1人が妻をめとって、結婚したのちに、その女に恥ずべきことのあるのを見て、好まなくなったならば、離縁状を書いて彼女の手に渡し、家を去らせなければならない。
24:2
女がその家を出てのち、行って、ほかの人にとつぎ、
24:3
後の夫も彼女をきらって、離縁状を書き、その手に渡して家を去らせるか、または妻にめとった後の夫が死んだときは、
24:4
彼女はすでに身を汚したのちであるから、彼女を去らせた先の夫は、ふたたび彼女を妻にめとることはできない。これは主の前に憎むべき事だからである。あなたの神、主が嗣業としてあなたに与えられる地に罪を負わせてはならない。(口語訳1955

 1節には、「人が妻をめとって、結婚したのちに、その女に恥ずべきことのあるのを見て、好まなくなったならば、離縁状を書いて彼女の手に渡し、家を去らせなければならない。」とあります。
「恥ずべきこと」とは、何を意味するのでしょうか。
「恥ずべきこと」と訳された原語は、「エルヴァ・ダーバー(ル)」です。「ダーバー(ル)」は、言葉、事柄、もの、原因等の意味があります。「エルヴァ」は、裸、外陰部、(美・完全を損なうような)傷、欠点、汚点等の意味があります。申命記2314の「エルヴァ・ダーバー」を新改訳第三版は「醜いもの」と訳しています。新改訳2017は「恥ずべきもの」と訳しています。申命記2220.21によると、淫行は石打による死刑でしたから、この箇所の「恥ずべきこと」は、淫行以外の事柄であったと思います。ですから、「エルヴァ・ダーバー」は、夫にとって、受け入れられない何か、であったのではないかと推測します。
1
節は、妻の何か(外見、言葉、事柄・・)を、夫が離縁するしかないと思うほどに受け入れることのできない場合には、ただ追い出してしまうのではなく、離縁状を書いて彼女に渡して離縁しなければならない、ということであろうと思います。

 元来、ヤハウェ(主)なる神様は、夫婦の離婚を嫌っていました。特に夫の横暴で離婚するということなどもってのほかでした。旧約聖書の他の個所に、
“2:14
「それはなぜなのか」とあなたがたは言う。それは主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が、あなたとあなたの若いときの妻との証人であり、あなたがその妻を裏切ったからだ。彼女はあなたの伴侶であり、あなたの契約の妻であるのに。
2:15 神は人を一体に造られたのではないか。そこには、霊の残りがある。その一体の人は何を求めるのか。神の子孫ではないか。あなたがたは、自分の霊に注意せよ。あなたの若いときの妻を裏切ってはならない。
2:16
「妻を憎んで離婚するなら、──イスラエルの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は言われる──暴虐がその者の衣をおおう〔離婚する人は、不法でその上着を覆っていると(新共同訳)〕。──万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は言われる。」あなたがたは自分の霊に注意せよ。裏切ってはならない。(マラキ・新改訳2017)と記されています。

 次にイエス様が語られた御言葉を見ることにします。
マタイ531.32には、「また『妻を出す者は離縁状を渡せ』と言われている。しかし、わたしはあなたがたに言う。だれでも、不品行以外の理由で自分の妻を出す者は、姦淫を行わせるのである。また出された女をめとる者も、姦淫を行うのである。」(口語訳)と記されています。
別の言い方をすると、不品行以外の理由で妻と離縁しても、主なる神様は、離縁を認めていない、ということでしょう。ですから、離縁された妻と性的関係を持つ者は、そのどちらも姦淫を犯したことになるのだろうと思います。

 マタイ193には、パリサイ人たちが、イエス様に、「何か理由があれば、夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか。」(3・新共同訳))と質問した、とあります。
この質問に対するイエス様の答えが、4-9節に、
“19:4
イエスは答えて言われた、「あなたがたはまだ読んだことがないのか。『創造者は初めから人を男と女とに造られ、
19:5
そして言われた、それゆえに、人は父母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりの者は一体となるべきである』。
19:6
彼らはもはや、ふたりではなく一体である。だから、神が合わせられたものを、人は離してはならない」。
19:7
彼らはイエスに言った、「それでは、なぜモーセは、妻を出す場合には離縁状を渡せ、と定めたのですか」。
19:8
イエスが言われた、「モーセはあなたがたの心が、かたくななので、妻を出すことを許したのだが、初めからそうではなかった。
19:9
そこでわたしはあなたがたに言う。不品行のゆえでなくて、自分の妻を出して他の女をめとる者は、姦淫を行うのである」。(口語訳)と記されています。
イエス様は、申命記241の主の命令は、人がかたくなであるがゆえに、譲歩した命令であった、と語られたのです(マタイ198)。

 結婚の奥義がエペソ531.32に、「それゆえに、人は父母を離れてその妻と結ばれ、ふたりの者は一体となるべきである」。この奥義は大きい。それは、キリストと教会とをさしている。(口語訳)と記されています。
夫である主イエス様が、妻である教会(キリスト者の総体)を構成する一人一人に、あなたの~を受け入れることができない、・・・は嫌いだ、と言われたとしたら、キリスト者は誰も主イエス様の妻となることは出来ないでしょう。主イエス様は、ご自身が流された血によって「きよく傷のない者」(エペソ14、ヘブル1010)としてくださったのです。
主イエス様は、「怠惰な者を戒め、小心な者を励まし、弱い者を助け、すべての人に対して寛容」(1テサロニケ514・口語訳)に接してくださっておられるのです。

 <お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
イエス様の花嫁の一員としてくださいましたことを感謝します。
父なる神の子どもとして、主イエス様の花嫁としてふさわしい歩みをさせて頂けますように。
主イエス・キリスト様の御名でお祈りします。アーメン

主を賛美することのすばらしさ

 ピリピ4:6.7に次のような聖句があります。
 2017は、“何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。”と訳し、
 リビングバイブルの旧版は、“何事も心配してはなりません。むしろ、どんなことでも祈りなさい。神様にお願いしなさい。そして、祈りに答えてくださる神様に感謝するのを、忘れてはなりません。そうすれば、人間の理解をはるかに超えた、すばらしい神様の平安を経験できます。キリスト・イエスに頼る時、その平安は、あなたがたの心と思いとを静め、安らかにしてくれるのです。”と意訳しています。

 心配事があると、私たちはその心配事に支配されてしまします。
自分で解決できるようなことは誰も心配しません。
心配事があるとき、心配事、思い煩いを、一度脇に置いて、先ず主なる神様を賛美する(ほめたたえる)と、或いは賛美し続ける(ほめたたえ続ける)とそれだけで問題が解決してしまうことがあります。
 
 神様の天地創造の御業の偉大さを賛美していると神様の全能の力が如何程のものであるのか、ということに心が留まります。
アインシュタインは、E=MC²という法則を提示してくださいました。
M(質量)=E(エネルギー)/C(光速度)²と書くこともできると思います。
神様は無から有を創りだしたのです。
信じられないほどのエネルギーが必要であるということが上記の式より分かります。

 イエス様は言われました。
あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」(ヨハネ14:1・2017)と。

 聖歌の中に
「望みも消えゆくまでに 世の嵐に沈むとき 数えてみよ 主の恵み なが心は安きを得ん」という歌詞があります。
ただ数えるだけではなく、イエス様によって救っていただく前の自分の状態を思い起こし、そこからイエス様によって救って頂いた後の一つ一つの出来事について感謝と賛美の祈りをささげていくとき、主なる神様の真実及び愛に感動し、心が満たされることと思います。
そして、今度の心配事も大丈夫だ、となるのです。
イエス様は、「あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」とお語りくださるのです。

 神は全能です。
 神は全知です。
 神は全き愛のお方です。
 神は真実、誠実、契約を守るお方です。
 私たちはこの神に祈り求めているのです。
 それもご自身の身を捨ててまで愛してくださった主イエス様の御名によってor御名の中でor御名を通して祈らせて頂けるのです。
 聖霊の助けを頂きながら。

 「わたしには天においても地においても、すべての権威が与えられています。」(マタイ28:18・2017)とイエス様は言うことの出来る権威を持っておられるお方です。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
私は今まで、三一の主に助けられ続けてここまで来ました。
これからも、信じられないほど愛してくださり、とこしえに養ってくださり、助け、導き、支え、・・・してくださいますから御名を崇めて感謝します。
あなたの御名をほめたたえ私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・・・・・
“一人のみどりごがわたしたちのために生まれた。
一人の男の子がわたしたちに与えられた。
主権がその肩にあり、
その名は、「驚くべき指導者〔別訳「助言者」(欄外注)〕、力ある神
永遠の父、平和の君」と呼ばれる。”{イザヤ9:5・聖書協会共同訳(新改訳、口語訳は、9:6)}

2021年10月22日 (金)

祈りの家

 イエス様は宮について、「『わたしの家は祈りの家と呼ばれる』と書いてある。それなのに、おまえたちはそれを『強盗の巣』にしている。」(マタイ21:13・2017)と語られたことがあります。

 この箇所は、「宮きよめ」と呼ばれている箇所の中にあります。この聖句が語られた宮きよめの箇所は、マタイ21:12.13に次のように記されています。
“12 それから、イエスは宮に入って〔神殿の境内に入り(新共同訳)〕、その中で売り買いしている者たちをみな追い出し、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒された。
13 そして彼らに言われた。「『わたしの家は祈りの家と呼ばれる』と書いてある。それなのに、おまえたちはそれを『強盗の巣』にしている。」”とあります。

 イエス様の十字架と復活の後、イエス様を信じる者に聖霊が住まわれました。
聖霊がイエス様を信じる者の内に住んでくださることを、最後の晩餐の席で、イエス様は弟子たちに語られました。
 ヨハネ14:16.17に次のように記されています。
“16 そしてわたしが父にお願いすると、父はもう一人の助け主をお与えくださり、その助け主がいつまでも、あなたがたとともにいるようにしてくださいます。
17 この方は真理の御霊です。世はこの方を見ることも知ることもないので、受け入れることができません。あなたがたは、この方を知っています。この方はあなたがたとともにおられ、また、あなたがたのうちにおられるようになるのです。”(2017)とあります。

 聖霊が与えられるのは、11弟子だけではありませんでした。イエス様を信じる者すべてに与えられたのです。
1コリント3:16には、“あなたがたは、自分が神の宮〔神の神殿(新共同訳)〕であり、神の御霊が自分のうちに住んでおられることを知らないのですか。”(2017)と記され、
更に、
1コリント6章には、“19 あなたがたは知らないのですか。あなたがたのからだは、あなたがたのうちにおられる、神から受けた聖霊の宮であり〔神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり(新共同訳)〕、あなたがたはもはや自分自身のものではありません。20 あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから、自分のからだをもって神の栄光を現しなさい。”(2017)
と記されています。

 キリスト者の体は神の神殿です。
ですから、キリスト者である私たちに対して、主なる神様は、「わたしの家は祈りの家と呼ばれる」と言うこともお出来になるのです。
そのことを思うとき、私などは、もっと祈る必要があることを覚えます。

 エペソ6:18には、「絶え間なき祈りと願いとによって、どのような時でも霊にあって祈りなさい。またその〔祈りの(訳者挿入)〕ために〔霊的に(筆者挿入)〕目を覚ましていなさい、すべての聖なる者たちのために最大限の根気強さをもって〔神の執り成しを(訳者挿入)〕願いつつ。」(岩波訳)と記されています。
「霊にあって」と訳されている語の原語は、ギリシア語で、「エン プニューマティ」で、“in spirit”です。この箇所の霊には定冠詞はついていません。

 イエス様は、天でとりなしの祈りをしておられます。
ローマ8:34には、“だれが、私たちを罪ありとするのですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、しかも私たちのために、とりなしていてくださるのです。”(2017)と記されています。
私たちの霊の内におられるキリスト・イエス様は、私たちの内にあってもとりなしの祈りを導かれるのです。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
主と一つとされている霊においてもっと祈ることができますよう祝福してください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「キリストの霊を持たない者は、キリストに属していません。」(ローマ8:9抜粋・新共同訳)
「主と交わる者は、主と一つの霊となるのです。」(1コリント6:17抜粋・聖書協会共同訳)

2021年10月21日 (木)

マタイ5章3節

 マタイ5:3を
 2017は、「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」と訳し、
 
 聖書協会共同訳は、「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。」と訳し、「心の貧しい人々」について、直訳は「霊において貧しい人々」と欄外に注しています。

 NIV訳は、“Blessed are the poor in spirit, for theirs is the kingdom of heaven.”と記されています。

 日本語訳聖書の多くが、「心」と訳した原語は「プニューマ」で「霊」です。
聖書協会共同訳の欄外注には、「霊において貧しい人々」と記されています。
NIV訳やKJV訳NKJV訳等の英語訳聖書は、「霊において貧しい人々」の意で訳されています。

 心は、新生されていない人も持っています。
 心は、感情の主体(ローマ9:2)であり、かつ思考活動の主体(ローマ1:21)であり、また意志の主体(ダニエル1:8)であることが、( )内の聖書箇所etc.により理解されます。
 
 新生されていない人の心は神と交わることが出来ません。
神との交わりは霊によるのですから。

 次に「天の御国」or「天の国」or「the kingdom of heaven」について考察してみます。

 「国」と訳されている語の原語は、ギリシア語の「バシレイア」で、国の領土、王族、規則、支配、統治、・・・の意があります。

 少し話が飛びますが、1コリント15:24には、“それから終わりが来ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、王国を父である神に渡されます。”(2017)という聖句があります。
この聖句からは、最終的に王国は御父のものとされ、その前には、キリストが王として君臨していることが分かります。キリストが、天においても地においても、すべての権威が与えられた(マタイ28:18)のは、推測ですが、復活されて御父の右の座につかれた時(マルコ16:19)だろうと思います。
それ故、天の王国の主権者、所有者は、御父や御子です。

 「貧しい」と訳されている語のギリシア語原語は、「プトーコス」で、beggar(物乞い、貧乏人)の意です。
また、新生された霊についてですが、その霊は、“主と交われば、一つ霊となるのです。”(1コリント6:17・第三版)と記されています。
新生された霊が、霊である主に、私の霊の内に満ち満ちてください、と願うのが貧しい霊、物乞いの霊であろうと思います。
そのような状態は、パウロが、「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ2:20・2017)と述べた状態でしょう。

 以上のようなことどもを考えて
、マタイ5:3を、「幸いなるかな。霊においてへりくだり、復活のキリスト・イエス様に満ちていただくことを願う者は。神の支配はその人のものです(神がすべてにおいて支配してくださるのです)。」という解釈で捉えると、この御言葉は、まさしく現在の信仰生活にあてはまるものだと思います。
そしてこれは永遠へと続くのです。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
イエス様が内に満ちてくださいますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。 
・・・・・・・・・・・・・
“1 全地よ 主に向かって喜びの声をあげよ。
2 喜びをもって主に仕えよ。喜び歌いつつ御前に来たれ。
3 知れ。主こそ神。主が私たちを造られた。私たちは主のもの主の民その牧場の羊。
4 感謝しつつ主の門に賛美しつつその大庭に入れ。主に感謝し御名をほめたたえよ。
5 主はいつくしみ深くその恵みはとこしえまでその真実は代々に至る。”(詩篇100篇・2017)

2021年10月20日 (水)

地の塩、世の光

 マタイ5:13-16には、イエス様の御言葉が次のように記されています。
“13 あなたがたは地の塩です。もし塩が塩気をなくしたら、何によって塩気をつけるのでしょうか。もう何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけです。
14 あなたがたは世の光です。山の上にある町は隠れることができません。
15 また、明かりをともして升の下に置いたりはしません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいるすべての人を照らします。
16 このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためです。”(2017)

 16節の聖句より、13-16節の箇所はキリスト者に対して語られていることが分かります。
「天におられるあなたがたの父」とありますから。

 私たち人間は、罪{単数の罪(ローマ7:20)、原罪、罪の性質}をもって生まれ、好むと好まざるとにかかわらずサタン(悪魔)の支配の下に置かれていました(エペソ2:1-3)。

 神のひとり子であられる御子{霊としての存在(ヨハネ4:24)}は、全世界の人々を救おうとして(1ヨハネ2:1)、人間の肉体を纏うことにし(ヘブル10:1-10参照)、マリアから誕生することになったのです(ルカ1:26-38参照)。
肉体を持ってマリアから生まれた神の御子に、御父は、「イエス」{イェシュア(ヘブライ語)}とつけるようにと天使ガブリエルを通してマリアに語られ、その後、ヨセフには夢の中で天使によって告げられたのです。
マリアもヨセフもイスラエル人でしたからヘブライ語で語られたことでしょう。
「イェシュア」の意味は、ヤハウェ(主)は救い、の意です。
ですから、イエス様は主であられ、救い主であるということです。
ヤハウェという名は、神の呼称であり、主と訳されています。神は三位一体です。
新約時代はおもに「主」といえば、イエス様を指して使われました。
御父は、主イエス・キリストの父なる神です。

 イエス様は十字架上で全人類の罪の贖いを成し遂げられました。イエス・キリストの罪の贖いを基にして、神様は、イエス様を信じる者を救うことにしたのです。
イエス様の贖いの恵みの故に信仰によって救われるのです(エペソ2:8参考)。
 イエス様を信じた者は、罪を赦されただけではなく、イエス様がよみがえられたことによって神から新たに霊の誕生をしたのです(1ペテロ1:3、ヨハネ3:3.6)。それ故、キリスト者の霊は神の子どもです(1ヨハネ3:1.2)。
キリストの空中再臨の時、キリスト者は霊の体を与えられます(1コリント15:52、1テサロニケ4:16.17)。
霊の体を与えられたキリスト者は、だれからも神の子どもとして見られるのです。犬や猫でも分かるのです(ローマ8:19-21参照)。

 話がだいぶ脱線しましたが、
キリスト者になって初めて「地の塩」「世の光」のお役目を果たすスタートにつけるのです。
キリスト様を信じていなくても世の中には善い人がいるではないか、という人もいるでしょう。
しかし、キリスト・イエス様を心にお迎えしていない人は、神様から見ると最も大きな罪を犯しているのです(ヨハネ16:9)。

 イエス様は、律法の根底について次のように言われました。
『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』これが、重要な第一の戒めです。『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』という第二の戒めも、それと同じように重要です。この二つの戒めに律法と預言者の全体がかかっているのです。」(マタイ22:37-40・2017)と記されています。
もし、第二の戒めを守ることができても、第一の戒めを守ることができなければ、罪の内を歩んでいるのです。
実際には、第一の戒めを守らずに第二を守ることは出来ないのです。

 塩には、腐敗防止と、味つけの働きがあります(それ以外の働きもありますが)。
光には、照らす、明るくする働きがあります。
詩聖は、「あなたのみことばは私の足のともしび、私の道の光です。」(詩篇119:105・2017)と記しています。
御言葉の内を歩む人は、光の働きをするのです。

 キリスト・イエス様を信じたばかりの人は、スタートしたばかりの人です。そこから成熟を目指して進むのです(ヘブル6:1)。
2コリント3:18には、「わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです。」(新共同訳)と記されています。

 私たちキリスト者は、主に従っていれば、主の霊の働きによって栄光から栄光へと変えられていくのです。
そのようであるとき、意識することなく、「地の塩」「世の光」としての歩みをしていることでしょう。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
主の霊によって私たちをお整え下さって、私たちを見る人が、キリスト様を、そして御父を賛美しますように。
私たちの主であり、キリストであるイエス様の御名で祈ります。アーメン

2021年10月19日 (火)

キリスト者は祝福を受け継ぐために召されたのです

 使徒ペテロは「あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのです。」(1ペテロ3:9・新改訳2017)と述べています。

 聖書には祝福の言葉もあれば、呪いの言葉もあります。
聖書には様々な聖句が記されていますが、主を愛するキリスト者が受けるものは祝福です。

 ローマ8:28を聖書協会共同訳は、「神を愛する者たち、つまり、ご計画に従って召された者のためには、万事が共に働いて益となるということを、私たちは知っています。」と訳し、「万事が共に働いて」の箇所の別訳を欄外に二つ記しています。{①「神が共に働いて万事において」 ②「霊が共に働いて万事において」と。}

別訳の➀を代入して読むと、「神を愛する者たち、つまり、ご計画に従って召された者のためには、神が共に働いて万事において益となる・・・。」となりますし、

別訳の➁を代入して読むと、「神を愛する者たち、つまり、ご計画に従って召された者のためには、霊〔主の霊(筆者挿入)〕が共に働いて万事において益となる・・・。」となります。

 主が約束してくださっておられる祝福の約束をかみしめることは幸いなことです。

 私たちは祝福を受け継ぐために召されたのですから。

 何故ペテロはこのように言うことができたのでしょうか。
それは、罪の内を歩んできた私たちが受けるべき呪いを、イエス・キリスト様が引き受けてくださったからです。
ガラテヤ3:13には、“キリストは、ご自分が私たちのためにのろわれた者となることで、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。・・・。”(2017)と記されています。
イエス・キリスト様は、いつ呪われた者となられたのでしょうか?
それは十字架上においてです。
そして、霊を御父にお渡しになる直前に、(罪の贖いが)「完了した。」と仰せられたのです(ヨハネ19:30)。
(祝福と呪いについては申命記28章を参考にしてください。そして申命記28章に記されている内容を霊的にも当てはめて読まれると良いと思います。)

 パウロは、キリスト者に与えられた霊的祝福について、「・・・。神はキリストにあって、天上にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。」(2017)と述べています。

 物質的祝福をもって、とは述べられていません。
旧約時代は、祝福されると言えば、物質的なものが顕著であったように思えます。霊的な祝福を受けた人も数多くいましたが。
しかし、新約時代に約束されているのは、霊的祝福です。もちろん霊的祝福のみならず物質的祝福を頂いている人々もいます。

 パウロはテモテに、「衣食があれば、それで満足すべきです。」(2017)と書き送りました。
ヘブル人の著者は、“金銭を愛する生活をせずに、今持っているもので満足しなさい。主ご自身が「わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない」と言われたからです。”(2017)と述べています。

 不治の病の中にある人も、主と共に歩んでいれば祝福された歩みをさせて頂くことができます。
そのような状態に置かれたら、そのような状況の中でも、主の祝福の内を歩むことができる、ということを体験するしかありません。

 霊的祝福を享受するためには、イエス様の御教えに従うことです。
イエス様の御教えに従う歩みは、生まれながらの肉によっては無理なのです。
内におられる主の霊によって歩む必要があります。
主の霊によって歩ませて頂くためには、魂のきよめが必要です。
魂の機能に、思考、感情、意志等がありますが、これらを主と同調するように主に変えていただくことです。
魂が、主のみ前に徹底的にへりくだることができれば、内におられる主の霊は豊かに働いてくださいます。

2021年10月18日 (月)

詩篇46編 大患難時代からキリストの千年王国初期までの預言であると共に、時代に関係なく、まことの神様を信じている者に対する実際

 詩篇46篇を2017は次のように訳しています。
“指揮者のために。コラ人による。アラモテの調べにのせて。歌。
1 神はわれらの避け所また力。苦しむときそこにある強き助け。
2 それゆえわれらは恐れない。たとえ地が変わり山々が揺れ海のただ中に移るとも。
3 たとえその水が立ち騒ぎ泡立ってもその水かさが増し山々が揺れ動いても。セラ

4 川がある。その豊かな流れは神の都を喜ばせる。いと高き方のおられるその聖なる所を。
5 神はそのただ中におられその都は揺るがない。神は朝明けまでにこれを助けられる。
6 国々は立ち騒ぎ諸方の王国は揺らぐ。神が御声を発せられると地は溶ける。
7 万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はわれらとともにおられる。ヤコブの神はわれらの砦である。セラ

8 来て見よ。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のみわざを。主は地で恐るべきことをなされた。
9 主は地の果てまでも戦いをやめさせる。弓をへし折り槍を断ち切り戦車を火で焼かれる。
10 「やめよ。知れ。わたしこそ神。わたしは国々の間であがめられ地の上であがめられる。」
11 万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はわれらとともにおられる。ヤコブの神はわれらの砦である。セラ”
とあります。

 この詩篇は、私にとっては、自分に問題が起こった時、特に地震のときにすぐに思い出されます。
そして、この聖なる詩を思い出し、御言葉に信頼すれば、恐れから解放されます。

 1節に、“神はわれらの避け所また力。苦しむときそこにある強き助け。”とあるように、この聖句は私たちにとって強力な支えです。
しかし、主に信仰を働かせることがなければ、主が与えてくださっておられる聖句もただの文字になってしまいます。

 11節には、“万軍の主はわれらとともにおられる。ヤコブの神はわれらの砦である。”とありますが、主に在るキリスト者の内には主キリストご自身が住んでくださっておられ、また同時に、主キリストは、主に在るキリスト者を包んでいるのです。
コロサイ1:27(抜粋)には、“あなたがたの内におられるキリスト”(新共同訳)とあり、
1コリント1:30(抜粋)には、“あなたがたは神によってキリスト・イエスのうちにあります。”(2017)と記されています。

 イエス様は、十字架につかれる前に、「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」(ヨハネ16:33抜粋・新共同訳)と弟子たちに語られました。

 勝利者である私たちの主キリスト・イエス様が、共におられて地上生涯を歩ませて頂けているのですから様々な苦難に出会っても動揺させられることなく主に在って(in the LORD)歩ませて頂きたいと思います。

 さて、今回は、この詩を預言詩として捉えてみた地と思います。
イエス様は、大患難時代の中間で、YHWH(私は「ヤハウェと読みますが、ユダヤ人は神の御名をみだりに唱えてはいけないということで、アドナイと読んでいます)を信じる者たちに対して、逃げるように、と語られました。
マタイ24章に、「15 それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす忌まわしいもの』が聖なる所に立っているのを見たら──読者はよく理解せよ──16 ユダヤにいる人たちは山へ逃げなさい。・・・21 そのときには、世の始まりから今に至るまでなかったような、また今後も決してないような、大きな苦難があるからです。」(2017)というイエス様の御言葉があります。
マタイ24:15のイエス様の御言葉は、ダニエルの預言と関連しています。
ダニエル9:27には、“彼〔反キリスト{獣}(筆者挿入)〕は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物をやめさせる。忌まわしいもの〔反キリスト{獣}の像(筆者挿入)〕の翼の上に、荒らす者〔反キリスト(筆者挿入)〕が現れる。そしてついには、定められた破滅が、荒らす者の上に降りかかる。”(2017)と記されています。

 しかしどの様な艱難が押し寄せようとも、「神はわれらの避け所また力。苦しむときそこにある強き助け。」(1)なのです。
大患難時代は、ユダヤ人にとっては、絶滅させられるのではないかと思えるような危機です。
イエス様が、「21 そのときには、世の始まりから今に至るまでなかったような、また今後も決してないような、大きな苦難があるからです。22 もしその日数が少なくされないなら、一人も救われないでしょう。しかし、選ばれた者たちのために、その日数は少なくされます。」(マタイ24章・2017)とイエス様が語っておられますから。

 2.3節には、“2 それゆえわれらは恐れない。たとえ地が変わり山々が揺れ海のただ中に移るとも。3 たとえその水が立ち騒ぎ泡立ってもその水かさが増し山々が揺れ動いても。”とありますが、大患難時代には、現実にこのようなことが起こるのです。
 黙示録6:12-17には次のように記されています。
“12 また私は見た。子羊が第六の封印を解いたとき、大きな地震が起こった。太陽は毛織りの粗布のように黒くなり、月の全面が血のようになった。
13 そして天の星が地上に落ちた。それは、いちじくが大風に揺さぶられて、青い実を落とすようであった。
14 天は、巻物が巻かれるように消えてなくなり、すべての山と島は、かつてあった場所から移された
15 地の王たち、高官たち、千人隊長たち、金持ちたち、力ある者たち、すべての奴隷と自由人が、洞穴と山の岩間に身を隠した。
16 そして、山々や岩に向かって言った。「私たちの上に崩れ落ちて、御座に着いておられる方の御顔と、子羊の御怒りから私たちを隠してくれ。
17 神と子羊の御怒りの、大いなる日が来たからだ。だれがそれに耐えられよう。」”(2017)とあります。

 更にキリストの地上再臨の直前には次のようなことも起こります。黙示録16章には次のように記されています。
“17 第七の御使いが鉢の中身を空中に注いだ。すると大きな声が神殿の中から、御座から出て、「事は成就した」と言った。
18 そして稲妻がひらめき、雷鳴がとどろき、大きな地震が起こった。これは人間が地上に現れて以来、いまだかつてなかったほどの、大きな強い地震であった。
19 あの大きな都は三つの部分に裂かれ、諸国の民の町々は倒れた。神は大バビロンを忘れず、ご自分の激しい憤りのぶどう酒の杯を与えられた。
20 島はすべて逃げ去り、山々は見えなくなった
21 また、一タラント〔34kg(筆者挿入)〕ほどの大きな雹が、天から人々の上に降った。この雹の災害のために、人々は神を冒瀆した。その災害が非常に激しかったからである。”(2017)とあります。

 4.5節aには、“4 川がある。その豊かな流れは神の都を喜ばせる。いと高き方のおられるその聖なる所を。5 神はそのただ中におられその都は揺るがない。”と記されています。
キリストの千年王国に入ると、キリストの千年王国時代のエルサレムの神殿の敷居の下から水が流れ、その水が死海迄流れていき、この水が流れて行った所の水が良くなって魚がすむようになるのです。
“1 彼は私を神殿の入り口に連れ戻した。見ると、水が神殿の敷居の下から東の方へと流れ出ていた。神殿が東に向いていたからである。その水は祭壇の南、神殿の右側の下から流れていた。
2 次に、彼は私を北の門から連れ出し、外を回らせ、東向きの外門に行かせた。見ると、水は右側から流れ出ていた。
3 その人は手に測り縄を持って東の方に出て行き、千キュビトを測り、私にその水を渡らせると、それは足首まであった。
4 彼がさらに千キュビトを測り、私にその水を渡らせると、水は膝に達した。彼がさらに千キュビトを測り、私を渡らせると、水は腰に達した。
5 彼がさらに千キュビトを測ると、水かさが増して渡ることのできない川となった。川は泳げるほどになり、渡ることのできない川となった。
6 彼は私に「人の子よ、あなたはこれを見たか」と言って、私を川の岸に連れ帰った。
7 私が帰って来て見ると、川の両岸に非常に多くの木があった。
8 彼は私に言った。「この水は東の地域に流れて行き、アラバに下って海〔死海=塩の海(筆者挿入)〕に入る。海に注ぎ込まれると、そこの水は良くなる。
9 この川が流れて行くどこででも、そこに群がるあらゆる生物は生き、非常に多くの魚がいるようになる。この水が入ると、そこの水が良くなるからである。この川が入るところでは、すべてのものが生きる。
10 漁師たちは、そのほとりに立つ。エン・ゲディからエン・エグライムまでが網を干す場所になる。そこの魚は大海〔地中海(筆者挿入)〕の魚のように、種類が非常に多くなる。
11 しかし、その沢と沼は水が良くならず、塩を取るのに使われる。
12 川のほとりには、こちら側にもあちら側にも、あらゆる果樹が生長し、その葉も枯れず、実も絶えることがなく、毎月、新しい実をつける。その水が聖所から流れ出ているからである。その実は食物となり、その葉は薬となる。」”と記されています。

 神殿の敷居の下から流れる水は命の水です。
霊的には、この水は聖霊を表しているのでしょう。
ヨハネ7章に次のような記述があります。
“37 さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立ち上がり、大きな声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。
38 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。」
39 イエスは、ご自分を信じる者が受けることになる御霊について、こう言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ下っていなかったのである。”(2017)と記されています。

 主に在るキリスト者の内から聖霊が流れ出し、その人の周りの人に命をもたらしていくというのです。
聖霊が豊かに流れるためには、魂がきよめられる必要があります。
きよい状態というのは、主と同じ心の状態にあることです。
2歴代誌16:9には、“主はその御目をもって全地を隅々まで見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力を現してくださるのです。”(2017)と記されています。

 2ペテロ1:4には、“その栄光と栄誉を通して、尊く大いなる約束が私たちに与えられています。それは、その約束によってあなたがたが、欲望がもたらすこの世の腐敗を免れ、神のご性質にあずかる者となるためです。”と記されています。

 5b.6.9節には次のように記されています。
“5 ・・・。神は朝明けまでに〔キリストの千年王国の開始までに、の意であろうと思います。(筆者挿入)〕これを助けられる。
6 国々は立ち騒ぎ諸方の王国は揺らぐ。神が御声を発せられると地は溶ける。
9 主は地の果てまでも戦いをやめさせる。弓をへし折り槍を断ち切り戦車を火で焼かれる。”とあります。

 大患難時代の終局において、反キリストに率いられた諸方の王国は、キリストに敵対しますが、キリストはあっという間に勝利を収められます。
黙示録19章に次のように記されています。
“11 また私は、天が開かれているのを見た。すると見よ、白い馬がいた。それに乗っている方は「確かで真実な方」と呼ばれ、義をもってさばき、戦いをされる。
12 その目は燃える炎のようであり、その頭には多くの王冠があり、ご自分のほかはだれも知らない名が記されていた。
13 その方は血に染まった衣をまとい、その名は「神のことば」と呼ばれていた。
14 天の軍勢は白くきよい亜麻布を着て、白い馬に乗って彼に従っていた。
15 この方の口からは、諸国の民を打つために鋭い剣が出ていた。鉄の杖で彼らを牧するのは、この方である。また、全能者なる神の激しい憤りのぶどうの踏み場を踏まれるのは、この方である。
16 その衣と、もものところには、「王の王、主の主」という名が記されていた。
17 また私は、一人の御使いが太陽の中に立っているのを見た。彼は大声で叫び、中天を飛んでいるすべての鳥たちに言った。「さあ、神の大宴会に集まれ。
18 王たちの肉、千人隊長の肉、力ある者たちの肉、馬とそれに乗っている者たちの肉、すべての自由人と奴隷たち、また小さい者や大きい者たちの肉を食べよ。」
19 また私は、獣と地の王たちとその軍勢が集まって、馬に乗る方とその軍勢に戦いを挑むのを見た。
20 しかし、獣は捕らえられた。また、獣の前でしるしを行い、それによって獣の刻印を受けた者たちと、獣の像を拝む者たちを惑わした偽預言者も、獣とともに捕らえられた。この両者は生きたまま、硫黄の燃える火の池に投げ込まれた。
21 残りの者たちは、馬に乗っている方の口から出る剣によって殺され、すべての鳥が彼らの肉を飽きるほど食べた。”(2017)とあります。

 詩篇2篇にもこの時の情景を思わせるような内容が次のように預言されています。
“1 なぜ国々は騒ぎ立ちもろもろの国民は空しいことを企むのか。
2 なぜ地の王たちは立ち構え君主たちは相ともに集まるのか。主と主に油注がれた者に対して。
3 「さあ彼らのかせを打ち砕き彼らの綱を解き捨てよう。」
4 天の御座に着いておられる方は笑い主はその者どもを嘲られる。
5 そのとき主は怒りをもって彼らに告げ激しく怒って彼らを恐れおののかせる。
6 「わたしがわたしの王を立てたのだ。わたしの聖なる山シオンに。」
7 「私は主の定めについて語ろう。主は私に言われた。『あなたはわたしの子。わたしが今日あなたを生んだ。
8 わたしに求めよ。わたしは国々をあなたへのゆずりとして与える。地の果ての果てまであなたの所有として。
9 あなたは鉄の杖で彼らを牧し陶器師が器を砕くように粉々にする。』」
10 それゆえ今王たちよ悟れ。地をさばく者たちよ慎め。
11 恐れつつ主に仕えよ。おののきつつ震え子に口づけせよ。
12 主が怒りおまえたちが道で滅びないために。御怒りがすぐにも燃えようとしているからだ。幸いなことよすべて主に身を避ける人は。”(2017)とあります。

 “神はわれらの避け所また力。苦しむときそこにある強き助け。万軍の主はわれらとともにおられる。ヤコブの神はわれらの砦である。
アーメン
(20211007の千葉県北西部を震源とする地震があったとき、思い浮かばせて頂いた内容です。)

2021年10月17日 (日)

携挙が起きた時は主が箱舟の戸を閉めた時のよう

人の子の到来はノアの日と同じように実現するのです。」(マタイ24:37・新改訳2017)

主なる神様がノアに造るように命じた箱舟をノアが完成し、入るべき人や動物が箱舟に入った後、箱舟の扉は主なる神様が締めました。

創世記7:16には「入ったものは、すべての肉なるものの雄と雌であった。それらは、神がノアに命じられたとおりに入った。それから、主は彼のうしろの戸を閉ざされた。」(新改訳2017)と記されています。

主が箱舟の戸を閉じると雨が降り出し、また地からも水が噴き出しました。結局40日の間豪雨が降り注いだのです。

聖霊が住んでくださっておられるキリスト者が皆天に引きあげられると地上には、豪雨ではなく、7年間の大患難時代が来るのです。

これは神のみ怒りの時です。

主が天に引き上げてくださることを携挙といいます。携挙される前に霊の体に変えられますから、携挙されない人からは、携挙された人が突然消えたように見えることと思います。

イエス様は「そのとき、男が二人畑にいると一人は取られ、一人は残されます。」(マタイ24:40・新改訳2017)と語られました。

日本の場合は、二人に一人がキリスト者というわけではないので、100人に一人、とか500人に一人というような状態かも知れませんが、主に取られた人は、地上にいる人からすると、「あれ、いなくなった。」というような状態であろうと思います。

このブログを読んでいる人で、まだイエス様を信じていない人は、大患難時代に入る前に、是非、イエス様を心にお迎えしてください。

大患難時代というのは、すさまじくひどい時代です。時は縮まっています。

主が迎えに来てくださるのを待ち望んでいるところの聖霊が内住しているキリスト者の人は、主の御迎えが何時であっても心配いりません。

主が肉の体を霊の体に変え、主がその人を天へ引き上げてくださるのですから。

ヘブル9:28には「キリストも、多くの人の罪を負うために一度ご自分を献げ、二度目には、罪を負うためではなく、ご自分を待ち望んでいる人々の救いのために現れてくださいます。」(新改訳2017)と記されています。

1コリント15:52には「終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちに変えられます。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。」(新改訳2017)と記されています。

1テサロニケ4:16.17には「すなわち、号令と御使いのかしらの声と神のラッパの響きとともに、主ご自身が天から下って来られます。そしてまず、キリストにある死者がよみがえり、それから、生き残っている私たちが、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、空中で主と会うのです。こうして私たちは、いつまでも主とともにいることになります。」(新改訳2017)と記されています。

ピリピ3:20.21には「私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待ち望んでいますキリストは、万物をご自分に従わせることさえできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自分の栄光に輝くからだと同じ姿に変えてくださいます。」(新改訳2017)と記されています。

ハレルヤ!

2021年10月16日 (土)

すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたし(イエス・キリスト)のもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

 マタイの福音書11章28‐30節には、「28 すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。29 わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」(新改訳2017)と記されています。

 徳川家康は、「人の一生は重荷を負て遠き道をゆくがごとし」と語った、と言われています。

イエス様は、「重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。」「疲れた人は私のもとに来なさい。」と語られました。

イエス様は無責任ではありません。イエス様は、重荷を負っている人、疲れている人に、「わたしがあなたがたを休ませてあげます。」と語られました。

このイエス様のお言葉を信じ、イエス様のもとに来て、たくさんの人が救われました。

パウロはローマ人への手紙に、「主の御名を呼び求める者はみな救われる」のです。 (新改訳2017)と書きました。

 

さて、イエス様は、どの様にして安らぎを得させてくださると言ったのでしょうか?

イエス様は、「わたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。」と語られました。

マタイ10:29は、「あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。」というイエス様のお言葉を記しています。

イエス様のくびきを負うというのは、イエス様に合わせて、イエス様と二人三脚で歩くということです。

イエス様を信じた人が直ちにイエス様と二人三脚で歩くのはまず無理です。

イエス様と歩き続けることによって可能になります。

そのような人は平安に満ちて歩むことが出来るようになるのです。

イエス様は、「あなたがたの思いと心を安らかにしてあげる、それがわたしの贈り物です。わたしが与える平安は、この世が与える、はかない平安とは比べものになりません。」(ヨハネ14:27・リビングバイブル)と語られました。

2021年10月15日 (金)

わたし(イエス・キリスト)を信じる者は死んでも生きるのです

 ヨハネ11:25には、“イエスは彼女に言われた。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。」”(新改訳2017)とあります。

 リビングバイブルはヨハネ11:25を、“しかし、イエスは言われました。「このわたしが、死人を生き返らせ、もう一度いのちを与えるのです。わたしを信じる者は、たとえほかの人と同じように死んでも、また生きるのです。」”と意訳しています。

 人間は誰でも死にます。

しかし、イエス様はよみがえられました。

イエス様と同じように、イエス様を信じた人は、肉体が死んでも、ある定めの時に霊の体が与えられるのです。

前回記しましたように、イエス様を信じている人の霊とたましいは永遠です。

肉体が滅びてもイエス様を信じた人の霊は天で生活しています。

さて、霊の体が与えられる定めの時とはいつでしょうか?

それは、イエス様の空中再臨の時です。

1テサロニケ4:16.17には、「・・、号令と御使いのかしらの声と神のラッパの響きとともに、主ご自身が天から下って来られます。そしてまず、キリストにある死者がよみがえり、 それから、生き残っている私たちが、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、空中で主と会うのです。こうして私たちは、いつまでも主とともにいることになります。」(新改訳2017)と記され、

1コリント15:52には、「終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちに変えられます。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。」(新改訳2017)と記されています。

これは、イエス様が迎えに来てくださるのを待ち望んでいる人を、イエス様が 天に迎え入れる時に起こるのです。

ヘブル9:28には、「キリストも、多くの人の罪を負うために一度ご自分を献げ、二度目には、罪を負うためではなく、ご自分を待ち望んでいる人々の救いのために現れてくださいます。 」(新改訳2017)と記されています。

霊の体が与えられることは大いなる祝福です。

テトス2:13には、「祝福に満ちた望み〔希望(新共同訳)〕、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるイエス・キリストの、栄光ある現れを待ち望むように教えています。」(新改訳2017)と記されています。

霊の体は永遠です。

 上記の内容は、キリストの空中再臨の時までに肉体の死を経験したキリスト者とキリストの空中再臨の時に肉体を持って生きているキリスト者についてのことです。 

 次に、キリストの空中再臨以降にイエス・キリストを信じ、殉教した人の場合については、黙示録20:4に、
“・・・。また私は、イエスの証しと神のことばのゆえに首をはねられた人々のたましいを見た。彼らは獣〔反キリスト(筆者挿入)〕もその像〔反キリストの像(筆者挿入)〕も拝まず、額にも手にも獣の刻印〔666(筆者挿入)〕を受けていなかった。彼らは生き返って、キリストとともに千年の間、王として治めた。”(新改訳2017)と記されています。
この人たちの復活は、キリストの千年王国直前に起こる出来事であろうと思います(黙示録20:4aより)。

 しかし、こんなよみがえりは嫌だ、というよみがえりもあるのです。
ヨハネ5章に、次のようなイエス様の御言葉があります。
“27 また父は、さばきを行う権威を子〔イエス・キリスト(筆者挿入)〕に与えてくださいました。子は人の子〔ダニエル7:13.14、マタイ24:30、黙示録1:13、14:14参照(筆者挿入)〕だからです。
28 このことに驚いてはなりません。墓の中にいる者がみな、子〔イエス・キリスト(筆者挿入)〕の声を聞く時が来るのです。
29 そのとき、善を行った者〔イエス・キリストを信じた者(筆者挿入)〕はよみがえっていのちを受けるために、悪を行った者〔イエス・キリストを信じなかった者(筆者挿入)〕はよみがえってさばきを受けるために出て来ます。”(新改訳2017)と記されています。

 良きよみがえりについては既述した通りです。
 
 ここでは、嫌なよみがえり、すなわち「裁きを受けるためのよみがえり」(ヨハネ5:29後半)について記します。
このよみがえりは、黙示録20:11-15に記されている最後の審判です。次のように記されています。
“11 また私は、大きな白い御座と、そこに着いておられる方を見た。地と天はその御前から逃げ去り、跡形もなくなった。
12 また私は、死んだ人々が大きい者も小さい者も御座の前に立っているのを見た。
数々の書物が開かれた。書物がもう一つ開かれたが、それはいのちの書であった。死んだ者たちは、これらの書物に書かれていることにしたがい、自分の行いに応じてさばかれた。
13 海はその中にいる死者を出した。死とよみも、その中にいる死者を出した。彼らはそれぞれ自分の行いに応じてさばかれた。
14 それから、死とよみは火の池に投げ込まれた。これが、すなわち火の池が、第二の死である。
15 いのちの書に記されていない者はみな、火の池に投げ込まれた。”(新改訳2017)とあります。

 ヨハネ5:29に、“そのとき、善を行った者はよみがえっていのちを受けるために、悪を行った者はよみがえってさばきを受けるために出て来ます。”と記されています。

 悪を行った者の「悪」というと、殺人、強盗、窃盗、強姦、詐欺、・・・等々のような項目を思い浮かべることと思います。
善を行なった者の「善」というと、施し、いたわり、慰め、寄付や献金、・・・等々のような項目を思い浮かべることと思います。
しかしヨハネ5:29でイエス様が言われた「善」とは、イエス様を信じることであったのです。
イエス様を信じた人しか「いのち」すなわち「永遠のいのち」を受けることは出来ないのです。
使徒ヨハネは、「御子を信じる人は永遠の命を得ているが、御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまる。」(ヨハネ3:36・新共同訳)と記しています。

 主なる神様の観点からの善悪の判断は、良心がきよめられないとわからないのです。
ヘブル10:22を、
 新改訳2017は、「心に血が振りかけられて、邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われ、全き信仰をもって真心から神に近づこうではありませんか。」と訳し、
 新共同訳は、「心は清められて、良心のとがめはなくなり、体は清い水で洗われています。信頼しきって、真心から神に近づこうではありませんか。」と訳し、
 リビングバイブルは、「私たちは、まちがいなく受け入れられるという確信と真実な心をもって、神の御前にまっすぐ進み出ようではありませんか。私たちの心はキリストの血を注がれてきよめられ、体はきよい水で洗われているのです。」と意訳しています。

 良心がきよめられると、
「善を行った者」(ヨハネ5:29)とは、イエス・キリストを信じた者、と読むことができます。
イエス様を信じていないこの世の善人と言われる人たちは、「善を行った者」とは、イエス・キリストを信じた者、と読むことはできません。
良心は善悪を判断するところです。

 使徒ペテロは、「この方〔イエス・キリスト(筆者挿入)〕以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人間に与えられていないからです。」(使徒4:12・新改訳2017)と語りました。

2021年10月14日 (木)

イエス様を信じる者は死ぬことがない(ヨハネ11:26)

 ヨハネの福音書11章26節には、生きていてわたしを信じる者はみな、永遠に決して死ぬことがありません。」(新改訳2017)というイエス様の御言葉が記されています。 
病気や事故で地上の命を閉じなければならない場合があります。
元気で100歳を迎えたとしても、いつかこの世を去らねばならない時が来ます。
誰でも肉体が滅びることは知っています。
ですから、イエス様が、「生きていてわたしを信じる者はみな、永遠に決して死ぬことがありません。」と語られた御言葉は、肉体を指していないことは明らかです。

 現代人の中には、魂や霊はない、と考えている人が少なくありません。
聖書は、人は、霊と魂と肉体からできている、と教えています。

 使徒パウロの書簡の中に、「平和の神ご自身が、あなたがたを完全に聖なるものとしてくださいますように。あなたがたの霊、たましい、からだのすべてが、私たちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのないものとして保たれていますように。」(1テサロニケ5:23・新改訳2017)という祈りがあります。

 たましいは、イエス・キリスト様を信じた時に救われました。

 使徒ペテロは、「8 あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、今見てはいないけれども信じており、ことばに尽くせない、栄えに満ちた喜びに躍っています。9 あなたがたが、信仰の結果であるたましいの救いを得ているからです。」(1ペテロ1章・新改訳2017)と述べています。
救われた魂は永遠です。

 霊が無いと人は生きることが出来ません。
ヤコブは、「からだが霊を欠いては死んでいるのと同じように、信仰も行いを欠いては死んでいるのです。」(ヤコブ2:26・新改訳2017)と述べています。ルカ8:55も参考になります。
ここでいう「霊」とは「いのちの息」(創世記2:7・2017)のことです。

 「霊を欠いては死んでいるのです」。死んだ人の霊が戻るとその死んだ人は生き返るのです(ルカ8:55)。この霊は前述の如く「いのちの息」です。
「いのちの息」の「息」のヘブライ語原語は、「ネシャマー」で、息の他に、霊等の意もあります。

 さて、困ったことにエペソ2:1.2には、キリスト者になった人の救われる前の状態が次のように記されています。
“1 さて、あなたがたは自分の背きと罪の中に死んでいた者であり、2 かつては、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って歩んでいました。”(2017)とあります。

 1節に、「あなたがたは自分の背きと罪の中に死んでいた者であり」とありますが、ここの「死んでいた」というのは、霊について言っています。
霊が無いと肉体が死んでしまうのに、・・・?
肉体が生きている限りいのちの息(霊)はその人の内に存在していたのです。
それでは何故(霊が)死んでいたというのでしょう。
エペソ2:1の、「死んでいた」というのは、断絶していた、と捉えるとよく分かると思います。神と断絶していたのです。神との人格的かかわりに関して神に対して死んでいる状態です。ですから神と関係を持つことが出来ません。以上のように私は考えています。
神と交わりを持つことができないと、聖書を読んでもよく分かりません。注解書を読んでもよく分かりません。祈っても何となく無味乾燥の状態です。神様との交わりには、喜び、充実感、癒し、強められること、平安、・・・等々、時には叱責等が伴います。それらの何かを霊の感覚で感じ取ることができるのです。聖書もわかるようになるのです。

 救われていない人にも、肉体を生かすいのちの息(霊)は留まっています(創世記6:3)が、神と交わりを持つことの出来る新生した霊(ヨハネ3:3.6)は無いのです。

 地上に生きている時にイエス様を信じたら何が起こるのでしょうか。
それは、神の霊から霊の誕生をすることです。この霊は永遠です。
使徒ヨハネは、議員であるニコデモとイエス様の会話を次のように記しています。
“1 さて、ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの議員であった。
2 ある夜、イエスのもとに来て言った。「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです。」
3 イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。
4 ニコデモは言った。「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」
5 イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。
6 肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である
7 『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。
8 風〔ギリシア語原語は「プニューマ」で霊の意もあります。(筆者挿入)〕は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。”(ヨハネ3章・新共同訳)とあります。

 ヨハネ3:3の中の、「人は、新たに・・」の「新たに」という語の原語であるギリシア語は「アノーセン」で、上から、新たに、あらためて、もう一度、等の意があります。
人は、上から、新しく生まれなければ、神の国に入ることは出来ないのです。
アノーセンには、from The Firstの意もあり、6節と組み合わせると、「神から生まれる」ということになります。神は霊です(ヨハネ4:24)。
使徒ヨハネは、キリスト者について、「私たちは今すでに神の子どもです」(1ヨハネ3:2・2017)と述べています。
神は永遠の存在です。
 
 使徒ペテロは、「私たちの主イエス・キリストの父である神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせ、・・・。」(1ペテロ1:3・2017)と述べています。

 イエス様が地上にいる間、いつもイエス様につき従ったペテロとヨハネ、この二人がこのように「新しく生まれ」と言っています。
特にヨハネは、イエス様の御言葉として記しています。

 生きていてわたし(イエス・キリスト)を信じる者はみな、永遠に決して死ぬことがありません。」とイエス様が言われた死ぬことのないものとは、新生した「霊」と救われた「たましい」です。

 イエス様を信じるということは、どういうことなのでしょうか?
使徒ヨハネは、「この方(イエス・キリスト)を受け入れた人々、すなわち、その(イエス・キリストの)名を信じた人々 」という表現をしています。
イエス様を信じるとは、イエス様を心にお迎えすることです
(黙示録3:20参照)。

まだイエス様を信じていない人で、イエス様を信じて永遠に生きていたいと思われる方は、次のようにお祈りしてください。

「イエス様、私は、あなたを信じます。あなたが私の心に入って、私が永遠に生きることが出来るようにして下さい。救い主イエス・キリスト様の御名(みな)でお祈りします。アーメン」

イエス様を信じたら、「イエス・キリストの他に救いはない」と明言している教会に集ってください。

2021年10月13日 (水)

ネブカドネツァル王が見た巨大な像の夢とダニエルの解き明かし(付記)

 ダニエル2:31-36aには次のように記されています。
“31 王よ。あなたが見ておられると、なんと、一つの巨大な像が現れました。この像は巨大で、異常な輝きを放って、あなたの前に立っていました。その姿は恐ろしいものでした。
32 その像は、頭は純金、胸と両腕は銀、腹とももは青銅、33 すねは鉄、足は一部が鉄、一部が粘土でした。
34 あなたが見ておられると、一つの石が人手によらずに切り出され、その像の鉄と粘土の足を打ち、これを粉々に砕きました。
35 そのとき、鉄も粘土も青銅も銀も金も、みなともに砕け、夏の脱穀場の籾殻のようになり、風がそれを運んで跡形もなくなりました。そして、その像を打った石は大きな山となって全土をおおいました。
36 これがその夢でした。”(2017)とあります。

 ダニエルはこの解き明かしとして次のように語りました。ダニエル2:37-45節には次のように記されています。
“37 王の王である王よ。天の神はあなたに国と権威と力と栄誉を授け、38 また人の子ら、野の生き物、空の鳥がどこに住んでいても、これをことごとくあなたの手に与えて、治めさせられました。あなたはあの金の頭です。
39 あなたの後に、あなたより劣るもう一つの国が起こり、
その次の第三の青銅の国が全地を治めるようになります。
40 そして第四の王国ですが、それは鉄のように強い国です。鉄はすべてのものを砕いてつぶしますが、その国は、打ち砕く鉄のように、先の国々をすべて粉々に砕いてしまいます。
41 あなたがご覧になった足と足の指は、その一部が陶器師の粘土、一部が鉄でしたが、それは分裂した国のことです。その国にはある程度までは鉄の強さもありますが、あなたがご覧になったように、その鉄は粘土と混じり合っています。
42 その足の指が一部は鉄、一部は粘土であったように、その国は一部は強く、一部はもろいでしょう。
43 鉄と粘土が混じり合っているのをあなたがご覧になったように、それらは子孫の間で互いに混じり合うでしょう。しかし鉄が粘土と混じり合わないように、それらが互いに団結することはありません。
44 この王たちの時代に、天の神は一つの国を起こされます。その国は永遠に滅ぼされることがなく、その国はほかの民に渡されず、反対にこれらの国々をことごとく打ち砕いて、滅ぼし尽くします。しかし、この国は永遠に続きます。
45 それは、一つの石が人手によらずに山から切り出され、その石が鉄と青銅と粘土と銀と金を打ち砕いたのを、あなたがご覧になったとおりです。大いなる神が、これから後に起こることを王に告げられたのです。その夢は正夢で、その意味も確かです。」”(2017)とあります。

1.頭は純金
2.胸と両腕は銀
3.腹とももは青銅
4.すねは鉄
5.足は一部が鉄、一部が粘土

 ネブカドネツァル王にヤハウェ(主)が見せた夢は、イスラエル民族と関係のある国々でした。

 純金で表されたバビロンによって、南イスラエル即ちユダ王国は壊滅させられ、エルサレムは焼かれ、バビロンに捕囚になった者たちも数多くいました。

 銀で表されているのはメディア・ペルシアの国です。
キュロス王(キュロス2世)は、B.C.600年頃、ペルシア王国の王である父カンビュセス1世と母マンダネ(メディアの王アステュアゲスの娘)の間に、王子として生まれた人です。
この人がアケメネス朝ペルシアの初代の王です。
このキュロスがイザヤ44:28、45:1に名前入りで預言されているキュロス(第三版は「クロス」)です。 
キュロスはバビロン捕囚から捕囚民を解放した人です。

 ペルシア帝国の最初の5王の順序は、
1.キュロス(治世年代:B.C.559-530年)
2.カンビュセス(治世年代:B.C.529-522年)
3.ダレイオス(治世年代:B.C.521-486年)
4.クセルクセス(治世年代:B.C.485-465年)
5.アルタクセルクセス(治世年代:B.C.464-424年)
で、アルタクセルクセスが、エズラ記とエレミヤ記に出てくるペルシアの王では最後の王です。
それからも次々と王は立てられペルシアは、B.C.330年に滅びます。

 イスラエル(ユダ+α)は、ペルシア帝国の中の一つの州(ユダ州)として存在していました(エズラ、ネヘミヤ、エステル各記参照)。

 青銅で表されているのは、ギリシアです。
ペルシアを敗北させたのは、古代ギリシアのアルゲアス朝マケドニア王国のバシレウス(王)であるアレクサンドロス三世{アレクサンドロス大王orアレキサンダー大王(在位期間:B.C.336-323年)}です。
アレクサンドロス三世は、イッソスの戦い{(B.C.333年)イッソスは現トルコハタイ県の地中海沿岸にあるイスケンデルン}でペルシアの王ダレイオス3世に勝利し、ダレイオス三世は逃走、次にガウガメラの戦い{(B.C.331年)ガウガメラは現イラク北部}でダレイオス3世に勝利し、ダレイオス三世は逃走、ダレイオス3世はB.C.330年謀反によりベッソス等により殺されました。ダレイオス3世の葬儀を取り行ったのはアレクサンドロス三世でした。

 ペルシア帝国の中の一つの州であったユダ州は、ギリシアの支配下に置かれました。
2019年9月23日の著者のブログ(抜粋)を下記します。
“アレクサンドロス三世に、主(ヤハウェ)なる神様が関与された故に、エルサレムが守られたという話をゼカリヤ書のところで述べましたが、今回、それを引用して記しておきます。これは穂谷牧師が石岡教会の礼拝で用いた原稿に少し加筆したものですが許可を受けています。ゼカリヤ9:1-8の小生のブログより引用します。  
私が親しくさせて頂いている穂谷牧師の原稿の一部には、「〔アレキサンダー大王は、グラニコス川の戦い、次いでイッソスの戦いで(筆者挿入)〕ペルシアを抑えた後、レバント〔厳密な定義なありませんが東部地中海沿岸地方の歴史的な名称です(筆者挿入)〕に進む。諸国が彼に従うなかで、ツロは拒む。アレキサンダー大王が建前でヘラクレスを拝むため、ツロの神殿を訪れたいと言ったとき、〔ツロは(筆者挿入)〕本殿は陸の方にあると言って拒んだ。激怒した大王は、800mと深さのある海に、がれきをなげこんで道を作った。7ヶ月かけた。45mの城壁があり、〔大王が(筆者挿入)〕城壁崩しを揃えても、〔ツロは城壁を(筆者挿入)〕より高くし、登ってくる兵を倒した。そのとき、これまで傲慢だったツロに怒ってたシドンなどの周辺〔の民(筆者挿入)が〔ツロを(筆者挿入)〕裏切って攻撃。見事、〔ツロは(筆者挿入)〕陥落した。〔エゼキエル26:4で、主はツロを、(筆者挿入)〕「裸岩にする」と〔預言されているようにツロは(筆者挿入)〕更地になった。
ツロへの道を作っていた7ヶ月間、〔アレキサンダー(筆者挿入)〕大王は食料を支援するようにペルシャ権力下のユダに使者を送った。そして、今後大王につかえるようにと命じた。
しかし、大祭司ヤドハは、ダレイオスに従うと創造主に約束した手前できないと断る。大王は怒り、片付いたら次はユダを攻めるとメッセージ。
神に大祭司の服装を着て大王に会いに行くよう命じられたヤドハ。大王はマケドニアをでるときに、〔夢で(筆者挿入)〕勝利を約束した人物がその大祭司の服装であったと言って温かく迎える。
その際にヤドハが大王に見せたのがダニエル8:5ー8、20ー22。これは200年前に預言されていた。
大王は喜び、税金軽くし、兵役を免除した。→ヨセフスのユダヤ古代史に記載。」とあります。
 エルサレムは、アレクサンドロス三世の攻撃から守られました。私たちキリスト者も主によって守られています。しかしそうは思えない時もあります。それは、主が私たちを懲らしめ聖くするためであったり(ヘブル12:5-11)、或いは私たちの一見不幸とも見えることを通して主が御業をなされるためです(使徒16:14-34、22:1-21)。主は主のあかしのため、魂の救いのためにキリスト者への迫害や殉教を許可されることがあるのです。しかし、迫害されたり殉教した者への報酬は大いなるものがあります(マタイ5:10-12)。
詩篇4:3には「知れ。主はご自分の聖徒を特別に扱われるのだ。私が呼ぶとき主は聞いてくださる。」(新改訳)と記されています。”とあります。

 アレクサンドロス三世亡き後のこの帝国のことはネブカドネツァル王の見た巨大な像の夢には出て来ませんが、敢えて言えば、青銅の部分は「腹ともも」です。腹は一つですがももは一つではありません。アレクサンドロス三世亡き後、この国は4つの地域に分けられて各統治者が統治しました。
ダニエル7:6には、“その後、見ていると、なんと、豹のような別の獣〔アレクサンドロス三世(筆者挿入)〕が現れた。その背には四つの鳥の翼があり、その獣には四つの頭があった。そしてそれに主権が与えられた。”(2017)との預言が記されています。

 ネブカドネツァル王の見た夢の中の巨大な像のすねは鉄でした。この鉄はローマ帝国を表します。
ユダヤはその後ローマの属州となるのです。
ローマ皇帝アウグストゥスの時代に、神のひとり子である神の御子〔神は霊です(ヨハネ4:24)〕が十字架にかけられるために肉体を纏われマリアから生まれたのです。

 ネブカドネツァル王の見た夢の中の巨大な像の最後は、足で、一部が鉄、一部が粘土でした。
わたしの推測ですが、これは大患難時代の十本の角、すなわち反キリスト{(獣)黙示録13:1ー10}が治める連合国です。反キリストは、携挙後3年半たつと自分を神としないイスラエルの民を迫害するのです。

 イエス様の十字架と復活によって、神様の経綸は、教会時代へと移りました。そして携挙後、神様の経綸はまたイスラエルに回帰するのです(私の推測です)。
その様に考える理由は、ダニエル9:24-27の預言で、次のように記されています。
“24 あなた〔ダニエル(筆者挿入)〕の民〔ユダヤの民(筆者挿入)〕と、あなたの聖なる町〔エルサレム(筆者挿入)〕については、七十週〔1週は7年で490年のこと(筆者挿入)〕が定められています。これはとがを終らせ、罪に終りを告げ、不義をあがない、永遠の義をもたらし、幻と預言者を封じ、いと聖なる者に油を注ぐためです。
25 それゆえ、エルサレムを建て直せという命令が出てから、メシヤなるひとりの君が来るまで、七週と六十二週あることを知り、かつ悟りなさい。その間に、しかも不安な時代に、エルサレムは広場と街路とをもって、建て直されるでしょう。
26 その六十二週の後にメシヤ〔イエス・キリスト(筆者挿入)〕は断たれるでしょう〔イエス・キリストの十字架(筆者挿入)〕。ただし自分のためにではありません〔すべての人の罪のため。但し救われるのはイエス・キリストを信じた人(筆者挿入)〕。またきたるべき君の民〔ローマ軍(筆者挿入)〕は、町と聖所とを滅ぼすでしょう〔ローマ軍がA.D.70年にエルサレムを破壊(筆者挿入)〕。その終りは洪水のように臨むでしょう。そしてその終りまで戦争が続き、荒廃は定められています。
〔イエス・キリストの十字架と復活後からキリストの空中再臨時の携挙まで教会時代、イエス・キリストを信じるだけで救われるという恵みの時代(筆者挿入)〕
27 彼〔反キリスト(筆者挿入)〕は一週の間〔7年間(筆者挿入)〕多くの者と、堅く契約を結ぶでしょう。そして彼はその週の半ばに、犠牲と供え物とを廃するでしょう〔黙示録13:14.15、マタイ24:15参照(筆者挿入)〕。また荒す者が憎むべき者の翼に乗って来るでしょう。こうしてついにその定まった終りが、その荒す者の上に注がれるのです」。
〔彼〔反キリスト(筆者挿入)〕は一週の間〔7年間(筆者挿入)〕、多くの者と同盟〔契約(聖書協会共同訳)〕を固め、半週でいけにえと献げ物を廃止する〔携挙後に建てられるエルサレム第三神殿におけるいけにえと献げ物を廃止する(筆者挿入)〕。憎むべきもの〔獣{反キリスト}の像(筆者挿入)〕の翼の上に荒廃をもたらすものが座す。そしてついに、定められた破滅が荒廃〔荒廃をもたらすもの(聖書協会共同訳)、「荒廃をもたらす者」=反キリスト(獣){筆者挿入}〕の上に注がれる。(新共同訳)〕”(口語訳)とあります。

 70週の預言に関連して、注解付新改訳聖書の注は、二つの解釈をあげていますが、その内の一つを下記します。
“〔25節の「エルサレムを建て直せという」(筆者挿入)〕命令〔エレミヤ2:1-8(筆者挿入)〕をB.C.445年〔アルタクセルクセス王の第20年(筆者挿入)〕のネヘミヤへの勅令とし、ユダヤ式の数え方で、69週後〔173880日(筆者挿入)〕をA.D.32年、キリストのエルサレム入場〔4月6日(筆者挿入)〕と解する説もある。”と記されています。

 ネブカドネツァル王が見た巨大な像の夢は、神様の経綸に基づくユダヤの民とエルサレムに関係するものであったのだろうと推測します。

 ダニエル2章の
“44 この王たちの時代に、天の神は一つの国を起こされます。その国は永遠に滅ぼされることがなく、その国はほかの民に渡されず、反対にこれらの国々をことごとく打ち砕いて、滅ぼし尽くします。しかし、この国は永遠に続きます。
45 それは、一つの石が人手によらずに山から切り出され、その石が鉄と青銅と粘土と銀と金を打ち砕いたのを、あなたがご覧になったとおりです。大いなる神が、これから後に起こることを王に告げられたのです。その夢は正夢で、その意味も確かです。”という解き明かしは、おもに神の王国(神が王として治める王国)のことを言っており、先ずは、キリストが支配する教会、キリストの千年王国、それに続く新天新地における神の王国のことを大雑把に言っているのだろうと思います。

 ダニエル7章も根本的にはダニエル2章と同じです。
 ダニエル11章は、バビロンが滅びた後の預言なので、ペルシアから後の時代の預言がやや詳しく記されています。
特にアンティオコス・エピファネス(治世年代:B.C.175-163年)を「卑劣な者」(ダニエル11:21)と紹介しています。
アンティオコス・エピファネスがどの様な人物であったかについては旧約聖書続編マカバイ記に記されています。
アンティオコス・エピファネスは、大患難時代の反キリストの予型としても見ることができます。
ダニエル書11:1-12:1の預言もダニエル9:24の、
“あなた〔ダニエル(筆者挿入)〕の民とあなたの聖なる都〔エルサレム(筆者挿入)〕について、七十週が定められている。それは、背きをやめさせ、罪を終わらせ、咎の宥めを行い、永遠の義をもたらし、幻と預言を確証し、至聖所に油注ぎを行うためである。”(2017)と記されている神の経綸に基づく範囲内の預言であり、聖書66巻を聖典としている信仰者グループにとっても、ダニエル書は、ネヘミヤ記やマラキ書以降の時代の預言が記されているものであることが分かります。

2021年10月12日 (火)

エステル9:1-10:3 ユダヤ人の復讐、プリムの祭、モルデカイの栄誉

 アダルの月の13日に、ユダヤ人たちは自己防衛のために、クセルクセス王のすべての州にある自分たちの町々で集まったこと、及び宰相モルデカイへの恐れの故に諸州の首長、太守、総督、王の役人もみなユダヤ人たちを支援したことが1-4節に次のように記されています。
“1 第十二の月、すなわちアダルの月の十三日、この日に王の命令と法令が実施された。ユダヤ人の敵がユダヤ人を征服しようと望んでいたまさにその日に、逆に、ユダヤ人のほうが自分たちを憎む者たちを征服することとなった。
2 ユダヤ人たちは、自分たちに害を加えようとする者たちを手にかけようと、クセルクセス王のすべての州にある自分たちの町々で集まったが、だれもユダヤ人に抵抗する者はいなかった。彼らへの恐れが、すべての民族に下ったからである。
3 諸州の首長、太守、総督、王の役人もみなユダヤ人たちを支援した。モルデカイへの恐れが彼らに下ったからである。
4 実際、モルデカイは王宮で勢力があり、その名声はすべての州に広がっていた。実に、この人物モルデカイは、ますます勢力を伸ばしたのであった。”(2017)とあります。

 ハマンが王の名で発布したアダルの月の13日に関する法令の内容は、「第十二の月、すなわちアダルの月の十三日の一日のうちに、若い者も年寄りも、子どもも女も、すべてのユダヤ人を根絶やしにし、殺害し、滅ぼし、彼らの家財をかすめ奪え」(エステル3:13・2017)というものでした。
 それに対して、エステルとモルデカイが王の名で発布したアダルの月の13日に関する法令の内容は、「どの町にいるユダヤ人たちにも、自分のいのちを守るために集まって、自分たちを襲う民や州の軍隊を、子どもも女たちも含めて残らず根絶やしにし、虐殺し、滅ぼし、彼らの家財をかすめ奪うことを許す。このことは、クセルクセス王のすべての州において、第十二の月、すなわちアダルの月の十三日に、一日のうちに行うように。」(エステル8:11.12・2017)というものでした。

 エステルが王妃であり、モルデカイが宰相であるとはいえ、反ユダヤ、反モルデカイの人たちもいたのでしょう。ユダヤ人の敵を処分した様子が5-10節に次のように記されています。
“5 ユダヤ人たちは彼らの敵をみな剣で打ち殺し、虐殺して滅ぼし、自分たちを憎む者を思いのままに処分した。
6 ユダヤ人はスサの城でも五百人を殺して滅ぼし、7 また、パルシャンダタ、ダルフォン、アスパタ、8 ポラタ、アダルヤ、アリダタ、9 パルマシュタ、アリサイ、アリダイ、ワイザタを、10 すなわち、ハメダタの子でユダヤ人を迫害する者ハマンの子、十人を虐殺した。しかし、略奪品には手を出さなかった。”(2017)とあります。

 10節に、“略奪品には手を出さなかった”と記されていることがらに関する理由を注解付新改訳聖書の注は、“この戦いは正当防衛であり、略奪を目的としたものではないことを示している。”と述べています。

 王妃エステルによる王への報告とエステルのさらなる願いが11-13節に次のように記されています。
“11 その日、スサの城で殺された者の数が王に報告されると、
12 王は王妃エステルに言った。
「ユダヤ人はスサの城で、五百人とハマンの息子十人を殺して滅ぼした。王のほかの諸州では、彼らはどうしたであろう。ところで、あなたは何を願っているのか。それを授けてやろう。あなたのさらなる望みは何か。それをかなえてやろう。」
13 エステルは答えた。
「もしも王様がよろしければ、明日も、スサにいるユダヤ人に、今日の法令どおりにすることをお許しください。そして、ハマンの息子十人を柱にかけてください。」”(2017)とあります。

 クセルクセス王はエステルの願いを受け入れました。それ故すでに発布されていた法令を超えて、14日にも反ユダヤである敵を滅ぼしたことが14.15節に次のように記されています。
“14 そこで王は、そのように実施するように命じた。法令がスサで布告され、ハマンの息子十人は柱にかけられた。
15 スサ〔ペルシア帝国の首都(筆者挿入)〕にいるユダヤ人はアダルの月の十四日にも集まって、スサで三百人を殺した。しかし、略奪品には手を出さなかった。”(2017)とあります。

 ペルシア帝国の諸州にいるユダヤ人たちは、13日のみ敵対者を殺し、14日には休んで祝宴と喜びの日としたことが16.17節に次のように記されています。
“16 王の諸州にいる残りのユダヤ人たちも団結して、自分たちのいのちを守り、敵からの安息を得た。すなわち、自分たちを憎む者七万五千人を殺した。しかし、略奪品には手を出さなかった。
17 これはアダルの月の十三日のことであり、その十四日に彼らは休んで、その日を祝宴と喜びの日とした。”(2017)とあります。

 18.19節には、祝宴と喜びの日について次のように記されています。
“18 しかし、スサにいるユダヤ人たちは、その月の十三日にも十四日にも集まり、十五日には休んで、その日を祝宴と喜びの日とした。
19 それで、城壁のない村に住む田舎のユダヤ人は、アダルの月の十四日を喜びと祝宴の祝日とし、互いにごちそうを贈り交わす日としている。”(2017)とあります。

 新聖書注解は、“後にはシュシャン〔スサ(2017)〕以外でも、14日と15日の両日を祝うようになった。”と記しています。

 プリムの祭の制定について20-32節には次のように記されています。
“20 モルデカイはこれらのことを書いて、クセルクセス王のすべての州の、近い所や遠い所にいる、すべてのユダヤ人に書簡を送った。
21 それは、ユダヤ人が毎年アダルの月の十四日と十五日を、22 自分たちの敵からの安息を得た日、悲しみが喜びに、喪が祝いの日に変わった月として、祝宴と喜びの日、互いにごちそうを贈り交わし、貧しい人々に贈り物をする日と定めるためであった。
23 ユダヤ人は、すでに守り始めていたことであるが、モルデカイが彼らに書き送ったことを受け入れた。
24 実に、アガグ人ハメダタの子で、ユダヤ人すべてを迫害する者ハマンは、ユダヤ人を滅ぼそうと企んで、プル、すなわちくじによって決め、彼らをかき乱して滅ぼそうとしたが、
25 そのことが王の耳に入ったときに、王は書簡で命じ、ハマンがユダヤ人に対して企んだ悪い計略をハマンの頭上に返し、彼とその子らを柱にかけたのであった。
26 こういうわけで、ユダヤ人はプル〔「くじ」の意(筆者挿入)〕の名にちなんで、これらの日をプリムと呼んだ。こうして、この書簡のすべてのことばにより、また、このことについて彼らが見たこと、また彼らに起こったことにより、
27 ユダヤ人は、自分たちとその子孫、および自分たちにつく者たちが、その文書のとおりに毎年定まった時期にこの両日を守り行い、これを廃止してはならないと定めた。
28 また、この両日は代々にわたり、すべての家族、諸州、町々において記念され、祝われなければならないとし、これらのプリムの日がユダヤ人の間で廃止されることがなく、この記憶が自分たちの子孫の中で途絶えてしまわないようにした。
29 アビハイルの娘である王妃エステルと、ユダヤ人モルデカイは、プリムについてのこの第二の書簡を全権をもって書き記し、確かなものとした。
30 この書簡は、平和と誠実のことばをもって、クセルクセスの王国の百二十七州にいるすべてのユダヤ人に送られ、
31 ユダヤ人モルデカイと王妃エステルがユダヤ人に命じたとおり、また、ユダヤ人が自分たちとその子孫のために、断食と哀悼に関して定めたとおり、このプリムの両日を定まった時期に守るようにした。
32 エステルの命令はこのプリムに関する事柄を義務づけ、書物に記された。”(2017)とあります。

 イスラエルでは現代でもプリムの祭が祝われています。
「シオンとの架け橋」というホームページの中に、現代のプリムの祭について、次のように記されています。
旧約聖書エステル記に書かれた物語をもとにしており、ユダヤ人が奇跡的に救われたことを記念する祭です。
ペルシャ帝国の時代、悪大臣ハマンがユダヤ人の絶滅を計画しますが、王妃であったユダヤ人のエステルが、 王にその計画を取りやめるよう直訴し、悪大臣ハマンの謀略は失敗に終わり、ハマンは処刑されました。
祭では、このエステルの知恵と勇気の活躍を描くエステル記がシナゴグで子供たちと一緒に朗読され、 音の出るオモチャを持った子供たちは、悪大臣ハマンの名前が読まれるとハマンの名前が聞こえないように騒ぎたてます。
プリムの祭は、子どもたちが仮装をしたり、街ではパレードをしたりと、大変陽気に楽しみます。
この日には、商店や食堂、銀行など接客業の人々の中には、頭に飾りをつけたり、顔に何かを描いたりして、仮装をする人々もいます。
また「ハマンは呪われよ」と「モルデカイに祝福を」が聞き分けられなくなるまでお酒を飲まなければいけないと言われているため、 超正統派の人々は「律法の行い」として、完全に酔いつぶれています。
また、城壁に囲まれた町では1日遅れて祝う「シュシャン・プリム」という風習がありますが、現代ではこの規定はエルサレムだけに適用されます。”とあります。

 歴史を眺めると、サタンは様々な人を使ってイスラエルの抹殺を試みましたが、常にヤハウェ(主)が介入され、絶滅されることを防ぎました。そして、キリストの千年王国では、世界の中心はイスラエルでありイザヤ2章には次のように記されています。
“2 終わりの日に、主の家の山は山々の頂に堅く立ち、もろもろの丘より高くそびえ立つ。そこにすべての国々が流れて来る。
3 多くの民族が来て言う。「さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を私たちに教えてくださる。私たちはその道筋を進もう。」それは、シオンからみおしえが、エルサレムから主のことばが出るからだ。
4 主は国々の間をさばき、多くの民族に判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍を鎌に打ち直す。国は国に向かって剣を上げず、もう戦うことを学ばない。
5 ヤコブの家よ、さあ、私たちも主の光のうちを歩もう。”(2017)と預言されています。

 またキリストの千年王国におけるイスラエル部族の相続地及び聖域については、エゼキエル47:13-48章に記されています。
ヤハウェ(主)は、アブラハムとの契約を履行されるのです。
同じように私たちキリスト者に対する契約も主イエス・キリストの故に履行されるのです。
パウロは、「私たちが真実〔誠実(新共同訳)〕でなくても、キリストは常に真実である。ご自分を否むことができないからである。」(2017)とテモテに書き送りました。
旧約聖書のマラキ書3:6には、万軍の主の御言葉として、「主であるわたしは変わることがない。」(2017)と記されています。
1ペテロ1:24.25には、
人はみな草のよう。その栄えはみな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。しかし、主のことばは永遠に立つ”と記されています。
イエス様は、「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」(マタイ24:35・新共同訳)と語られました。
私たちキリスト者は、主の御言葉を信じて生きる者です。

 エステル記10章2.3節にはモルデカイが実在したこととモルデカイの人柄について書かれています。エステル記10章1-3節には次のように記されています。
“1 クセルクセス王は本土と海の島々に苦役を課した。
2 彼の権威と勇気によるすべての功績、王に重んじられたモルデカイの偉大さについての詳細、それは『メディアとペルシアの王の歴代誌』に確かに記されている。
3 実に、ユダヤ人モルデカイはクセルクセス王の次の位にあって、ユダヤ人にとっては大いなる者であり、多くの同胞たちに敬愛された。彼は自分の民の幸福を求め、自分の全民族に平和を語る者であった。”(2017)とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
あなたは私たちに変わることのない約束の御言葉をたくさん与えてくださっておられますからありがとうございます。
あなたの御言葉を100%信じて歩み続ける者としてお整え下さい。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
粗雑な文章の連続でしたが、一応、聖書66巻について、簡略ではありますが、書き終わりました。
翌日からは書きたいことを書いていきます。

2021年10月11日 (月)

エステル記8章 ユダヤ人を救済するための勅令の発布

 王妃エステルとモルデカイに対する王の対応が1.2節に次のように記されています。
“1 その日、クセルクセス王は王妃エステルに、ユダヤ人を迫害する者ハマンの家を与えた。モルデカイは王の前に来た。エステルが自分とモデルカイとの関係を明かしたからである。
2 王はハマンから取り返した自分の指輪を外して、それをモルデカイに与え、エステルはモルデカイにハマンの家の管理を任せた。”(2017)とあります。

 クセルクセス王は王妃エステルに、ハマンの家を与え、エステルはハマンの家の管理をモルデカイに任せました。
またクセルクセス王は、モルデカイを宰相の座に就かせました。

 ハマンは処刑され、モルデカイが宰相になりましたが、ユダヤ人殲滅の勅令はそのままです。
エステルはクセルクセス王に、ユダヤ人殲滅の勅令を取り消してくださるようにと嘆願しました。3-6節には次のように記されています。
“3 エステルは再び王に告げて、その足もとにひれ伏し、アガグ人ハマンがユダヤ人に対して企んだ、わざわいとその計略を取り除いていただきたいと、泣きながら嘆願した。
4 王がエステルに金の笏を差し伸ばしたので、
エステルは身を起こし、王の前に立って、5 言った。
「もしも王様がよろしければ、また私が王様のご好意を受けることができ、このことを王様がもっともだとお思いになり、私のことがお気に召すなら、アガグ人ハメダタの子ハマンが、王のすべての州にいるユダヤ人を滅ぼしてしまえと書いた、あのたくらみの書簡を取り消すように、詔書を出してください。6 どうして私は、自分の民族に降りかかるわざわいを見て我慢していられるでしょう。また、どうして、私の同族が滅びるのを見て我慢していられるでしょう。」”(2017)とあります。

 クセルクセス王は、エステルに、王の名で書かれ、王の指輪で印が押された文書は、だれも取り消すことができないので、別の方法でユダヤ人を救う方法を考え、それを王の名で書き、王の指輪でそれに印を押し、それを発布するように、と言ってくれました。7-14節には次のように記されています。
“7 クセルクセス王は、王妃エステルとユダヤ人モルデカイに言った。
「見よ。ハマンの家を私はエステルに与え、彼は柱にかけられた。ハマンがユダヤ人たちに手を下そうとしたからである。8 あなたがたは、ユダヤ人についてあなたがたのよいと思うように王の名で書き、王の指輪でそれに印を押しなさい。王の名で書かれ、王の指輪で印が押された文書は、だれも取り消すことができない。」
9 そのとき、王の書記官たちが召集された。それは第三の月、すなわちシワンの月の二十三日であった。
そして、すべてモルデカイが命じたとおりに、ユダヤ人と、太守、総督たち、およびインドからクシュまで百二十七州の首長たちに、詔書が書き送られた。各州にその文字で、各民族にはその言語で、ユダヤ人にはその文字と言語で書き送られた。
10 モルデカイはクセルクセス王の名で書き、王の指輪でそれに印を押し、その書簡を、御用馬の早馬に乗る急使に託して送った。
11 その中で王は、どの町にいるユダヤ人たちにも、自分のいのちを守るために集まって、自分たちを襲う民や州の軍隊を、子どもも女たちも含めて残らず根絶やしにし、虐殺し、滅ぼし、彼らの家財をかすめ奪うことを許した。
12 このことは、クセルクセス王のすべての州において、第十二の月、すなわちアダルの月の十三日に、一日のうちに行うようにということであった。
13 各州に法令として発布される、この文書の写しが、すべての民族に公示された。それは、ユダヤ人が自分たちの敵に復讐するこの日に備えるためであった。
14 御用馬の早馬に乗った急使は、王の命令によってせき立てられて、急いで出て行った。この法令はスサの城で発布された。”(2017)とあります。

 モルデカイが王の宰相として正式に民衆の前に姿を現したので、民衆は喜び、特にユダヤ人は喜び楽しみ、祝宴を張って、祝日とした、ということが15-17節に次のように記されています。
“15 モルデカイは青色と白色の王服を着て、大きな金の冠をかぶり、白亜麻布と紫色のマントをまとって、王の前から出て来た。すると、スサの都は喜びの声にあふれた。
16 ユダヤ人にとって、それは光と喜び、歓喜と栄誉であった。17 王の命令と法令が届いたところは、どの州、どの町でも、ユダヤ人は喜び楽しみ、祝宴を張って、祝日とした。この地の諸民族の中で大勢の者が、自分はユダヤ人であると宣言した。それはユダヤ人への恐れが彼らに下ったからである。”(2017)とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
モルデカイが王から宰相に任命されてから民衆の前に宰相の姿で登場するまでの間には時間差があったことを覚えます。
私たちもそれと同じで、霊においてキリストの花嫁とされてから霊の体を頂いて天において婚礼の義がもたれるまでには時間差があることを覚えます。
しかし、すでに主と一つ霊としての交わりを持たせていただけておりますことを感謝します。
あなたの御名をほめたたえ、私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・・・・
主と交わる者は、主と一つの霊になるのです。”(1コリント6:17・2017)
それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである。”(創世記2:24・口語訳)
この奥義は偉大です。私は、キリストと教会を指して言っているのです。”(エペソ5:32・2017)
“6 また私は、大群衆の声のような、大水のとどろきのような、激しい雷鳴のようなものがこう言うのを聞いた。
「ハレルヤ。私たちの神である主、全能者が王となられた。7 私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。子羊の婚礼の時が来て、花嫁は用意ができたのだから。
8 花嫁は、輝くきよい亜麻布をまとうことが許された。その亜麻布とは、聖徒たちの正しい行いである。」
9 御使いは私に、「子羊の婚宴に招かれている者たちは幸いだ、と書き記しなさい」と言い、また「これらは神の真実なことばである」と言った。”(黙示録19章・2017)

2021年10月10日 (日)

エステル記7章 ハマンの失脚

 エステル主催の宴会の2日目が始まり、この日もまたクセルクセス王はエステルに「あなたは何を願っているのか。王妃エステル。それを授けてやろう。何を望んでいるのか。王国の半分でも、それをかなえてやろう。」と言いました。それを受けて、今回エステルは自分と自分の民族の民にいのちを与えてくださるようにと願ったのです。1-4節には次のように記されています。
“1 王とハマンは王妃エステルの宴会にやって来た。
2 この酒宴の二日目にも、王はエステルに尋ねた。
「あなたは何を願っているのか。王妃エステル。それを授けてやろう。何を望んでいるのか。王国の半分でも、それをかなえてやろう。」
3 王妃エステルは答えた。
「王様。もしも私があなた様のご好意を受けることができ、また王様がよろしければ、私の願いを聞き入れて、私にいのちを与え、私の望みを聞き入れて、私の民族にもいのちを与えてください〔直訳は、「私の民を私にお与えください」(筆者挿入)〕。4 私も私の民族も、売られて、根絶やしにされ、虐殺され、滅ぼされようとしています。私たちが男女の奴隷として売られるだけなら、私は黙っていたことでしょうが、そうはいきません。その迫害する者は、王のお受けになる損失を償うことはできないのですから。」”(2017)とあります。

 エステルは自分がどの民族に属するものかを語ったことがありませんでしたが、この時には自分がイスラエル人であることを公言しました。
エステルもモルデカイもベニヤミン族に属する者でした。
この時代、カナンの地はペルシア帝国の属州であり、カナンの地で暮らしているユダ族やベニヤミン族は、ペルシア帝国のユダ州で暮らしていたのです。
エステルやモルデカイのようにエルサレムやユダの地には帰還せず、捕囚の地に住みついていた者たちも多くいました。

 5節には、“クセルクセス王は王妃エステルに言った。
「そんなことをしようと心に企んでいる者は、いったいだれか。どこにいるのか。」”(2017)とあります。

 クセルクセス王は、ユダヤ人殲滅(せんめつ=皆殺し)の勅令について覚えていないのです。
その勅令が発せられたときの様子は、エステル記3章に次のように記されていました。
“8 ハマンはクセルクセス王に言った。「王国のすべての州にいる諸民族の間に、散らされて離れ離れになっている一つの民族があります。彼らの法令はどの民族のものとも違っていて、王の法令を守っていません。彼らをそのままにさせておくことは、王のためになりません。
9 王様。もしよろしければ、彼らを滅ぼすようにと書いてください。私はその仕事をする者たちに銀一万タラントを量って渡します。そうして、それを王の宝物庫に納めさせましょう。」
10 王は自分の手から指輪を外して、アガグ人ハメダタの子で、ユダヤ人の敵であるハマンにそれを渡した。
11 王はハマンに言った。「その銀はおまえに与えられるようにしよう。また、その民族もその銀でおまえの好きなようにするがよい。」
12 そこで、第一の月の十三日に、王の書記官たちが召集され、ハマンが、王の太守、各州を治めている総督、各民族の首長たちに命じたことがすべて、各州にその文字で、各民族にはその言語で記された。それは、クセルクセスの名で書かれ、王の指輪で印が押された。
13 書簡は急使によって王のすべての州へ送られた。それには、第十二の月、すなわちアダルの月の十三日の一日のうちに、若い者も年寄りも、子どもも女も、すべてのユダヤ人を根絶やしにし、殺害し、滅ぼし、彼らの家財をかすめ奪えとあった。
14 各州に法令として発布される文書の写しが、この日の準備のために、すべての民族に公示された。
15 急使は王の命令によって急いで出て行った。この法令はスサの城でも発布された。このとき、王とハマンは酒を酌み交わしていたが、スサの都は混乱に陥った。”(2017)とあります。

 クセルクセス王は、ハマンの言葉を信じて、ハマンに言われたことを再調査することなく、ハマンの言うがままに了承したのです。「おまえの好きなようにするがよい。」と。ですから、クセルクセス王は、ユダヤ人殲滅の勅令を覚えていなかったのだろうと思います。

 クセルクセス王がエステルに、「そんなことをしようと〔愛するエステルを含めたユダヤ人をせん滅しようと(筆者挿入)〕心に企んでいる者は、いったいだれか。どこにいるのか。」と聞いたことに対して、エステルは「それはハマンです」と言いました。その後、ハマンがどの様になったのかということが、6-10節に次のように記されています。
“6 エステルは言った。
「迫害する者、敵とは、この悪人ハマンです。」
ハマンは王と王妃の前で震え上がった。
7 王は憤って酒宴の席を立ち、宮殿の園に出て行った。
ハマンは王妃エステルにいのち乞いをしようとしてとどまった。
王が彼にわざわいを下す決心をしたことが分かったからである。
8 王が宮殿の園から酒宴の広間に戻って来ると、エステルのいた長椅子の上にハマンがひれ伏していたので、王は言った。
「私の前で、この家の中で王妃までも辱めようとするのか。」
このことばが王の口から出るやいなや、ハマンの顔は青ざめた。
9 そのとき、王の前にいた宦官の一人ハルボナが言った。
「ちょうど、王に良い知らせを告げたモルデカイのためにハマンが用意した、高さ五十キュビトの柱がハマンの家に立っています。」
すると王は命じた。
「彼をそれにかけよ。」
10 こうしてハマンは、モルデカイのために準備しておいた柱にかけられた。それで王の憤りは収まった。”(2017)とあります。

 クセルクセス王は、ハマンが、愛するエステルを殺すのだ、ということで憤って酒宴の席を立ち、宮殿の園に出て行きました(7)。
これは、クセルクセス王が、ハマンを処刑することに決めたからです。
ハマンはそのことを理解していました。
それ故ハマンは、王妃エステルに命乞いをしたのです(7.8)。
ハマンがエステルに命乞いをしていた動作、すなわち、エステルのいた長椅子の上にハマンがひれ伏していたことを、自分が席をはずしていた間の経緯を知らないクセルクセス王は、勘違いして、「「私の前で、この家の中で王妃までも辱めようとするのか。」と怒ったのでした(8)。

 結局、ハマンは、モルデカイのために準備しておいた柱にかけられたのです(10)。
これによってサタン(悪魔)のユダヤ人殲滅計画はつぶされたのです。
その次にサタンが行ったのは、イエス様を殺すことでした。
まずは、ヘロデ大王を用いて、次にはイスカリオテのユダを利用して。
最近ではヒットラーを用いて、そして最後には反キリストを用いて。
しかし、ヤハウェ(主)は勝利するのです。当たり前のことですが。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
この世全体は、悪い者の支配下にありますが、悪い者即ちサタンの上部にあって、今の時代、天及び地における権威を持っておられるのは私たちの主キリスト・イエス様ですから御名を賛美します。
これからの未来も、あなたはすでに終わっている未来として私たちに見せてくださっておられますから感謝します。
悪が栄えるようなときがあっても、必ずあなたが勝利を取られますからありがとうございます。
御名を賛美し、私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2021年10月 9日 (土)

エステル記6章 王から栄誉を受けたモルデカイ

 1節には、“その夜、王は眠れなかったので、記録の書、年代記を持って来るように命じた。そしてそれは王の前で読まれた。”(2017)と記されています。

 王宮の中庭において、エステルは王から、「どうしたのだ。王妃エステル。何を望んでいるのか。王国の半分でも、あなたにやれるのだが。」(5:3)と言われ、エステルは王をエステル主催の宴会に招きました(5:4)。
宴会1日目の酒宴の席上、王は再度エステルに、「あなたは何を願っているのか。それを授けてやろう。何を望んでいるのか。王国の半分でも、それをかなえてやろう。」(5:6)と言いました。ところがエステルは、2日目にも宴会を催すので、その時に自分の願いを王に申し上げますからもう一度宴会に来てください、と申し上げたのです。
そのようにエステルに言われたクセルクセス王は、その夜眠れなくなり、過去の記録を記してある年代記を持って来させ、それを読ませました。
1ー4節までを読むと、ハマンが夜中に王を尋ねて来ることはないので、クセルクセス王は朝まで眠れなかったようです。

 年代記の中には、モルデカイが王に善行を行ったことが記されていました。2.3節には次のように記されています。
“2 その中に、入り口を守っていた王の二人の宦官ビグタナとテレシュが、クセルクセス王を殺そうとしていることをモルデカイが報告した、と書かれているのを見つけた。
3 そこで王は尋ねた。
「このことで、栄誉とか昇進とか、何かモルデカイに与えたか。」
王に仕える侍従たちは答えた。「彼には何もしていません。」”(2017)とあります。

 2.3節に関し、新聖書注解は次のように述べています。
“以前モルデカイが立てた功績(2:21-23)は王の年代記に記録されたにもかかわらず、いまだ恩賞が与えられていなかった。ペルシアでは王の命を救う手柄を立てた人は特に「オロサンガイ」と呼ばれ、ほうびを賜ることになっていた(ヘロドトス『歴史』Ⅷ85)。モルデカイは何のほうびももらってはいなかったが、それを不満に思って王に催促したりはしなかった。モルデカイは無欲の人であり、ハマンの貪欲とは対照的である。しかし神はこのことを決して忘れたもうことなく、絶好の機会に王の記憶を呼び起こすことによって、ハマンを屈辱に陥れ、神の民を救われたのである。”とあります。

 翌朝になって、モルデカイを殺したいハマンが王宮の外庭にやってきました。王はハマンを王のもとに通すように侍従たちに言いました。4.5節には次のように記されています。
“4 王は言った。
「庭にだれがいるのか。」
ちょうどハマンが、モルデカイのために準備した柱に彼をかけることを王に上奏しようと、王宮の外庭に入って来たところであった。
5 王に仕える侍従たちは王に言った。
「庭のあそこにハマンがいます。」
王は言った。
「ここに通せ。」”(2017)とあります。

 王とハマンの劇的な会話が6-10節に次のように記されています。
“6 ハマンが入って来ると、王は彼に言った。
「王が栄誉を与えたいと思う者には、どうしたらよかろう。」
ハマンは心のうちで思った。「王が栄誉を与えたいと思う者とは、私以外にだれがいるだろう。」
7 そこでハマンは王に言った。
「王が栄誉を与えたいと思われる人のためには、8 王が着ておられた王服を持って来て、また、王の乗られた馬を、その頭に王冠をつけて引いて来るようにしてください。9 その王服と馬を、貴族である王の首長の一人の手に渡し、王が栄誉を与えたいと思われる人に王服を着せ、その人を馬に乗せて都の広場に導き、その前で『王が栄誉を与えたいと思われる人はこのとおりである』と、ふれまわらせてください。」
10 すると、王はハマンに言った。
「あなたが言ったとおりに、すぐ王服と馬を取って来て、王の門のところに座っているユダヤ人モルデカイにそのようにしなさい。あなたの言ったことを一つも怠ってはならない。」”(2017)とあります。

 ハマンのうぬぼれは頂点に達していました。ハマンは、「王が栄誉を与えたいと思う者とは、私以外にだれがいるだろう。」(6)と思っていたのです。神様の嫌われる考え方です。

 ハマンは自分に栄誉が与えられるものと考え、「王が栄誉を与えたいと思う者には、どうしたらよかろう。」(6)という王の問いかけに対して、「王が栄誉を与えたいと思われる人のためには、王が着ておられた王服を持って来て、また、王の乗られた馬を、その頭に王冠をつけて引いて来るようにしてください。その王服と馬を、貴族である王の首長の一人の手に渡し、王が栄誉を与えたいと思われる人に王服を着せ、その人を馬に乗せて都の広場に導き、その前で『王が栄誉を与えたいと思われる人はこのとおりである』と、ふれまわらせてください。」(7-9)と答えたのでした。
この発想は、イザヤ14:13.14に記されているサタンの思いに通じるものがあります。

 ハマンの有頂天はここまででした。
つぎの10節には、「あなたが言ったとおりに、すぐ王服と馬を取って来て、王の門のところに座っているユダヤ人モルデカイにそのようにしなさい。あなたの言ったことを一つも怠ってはならない。」という王の言葉があります。

 11-13節には、ハマンとモルデカイの大逆転劇が次のように記されています。
“11 ハマンは王服と馬を取って来て、モルデカイに着せ、彼を馬に乗せて都の広場に導き、その前で「王が栄誉を与えたいと思われる人はこのとおりである」と叫んだ。
12 それからモルデカイは王の門に戻ったが、ハマンは嘆き悲しんで頭をおおい、急いで家に帰った。
13 ハマンは自分の身に起こったことの一部始終を、妻ゼレシュと彼のすべての友人たちに話した。
すると、知恵のある者たちと妻ゼレシュは彼に言った。
「あなたはモルデカイに敗れかけていますが、このモルデカイがユダヤ民族の一人であるなら、あなたはもう彼に勝つことはできません。必ずやあなたは敗れるでしょう。」”(2017)とあります。
 
 6章の一連の出来事は、目には見ええませんが、ヤハウェ(主)の関与を推測することができると思います。

 そして14節には、“彼らがまだハマンと話しているうちに、王の宦官たちがやって来て、ハマンを急がせて、エステルの設けた宴会に連れて行った。”(2017)と記されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
あなたは目には見えませんが、いつも私たちキリスト者を御心に留めてくださっておられますからありがとうございます。
何かが起こった時でも、私たちの主イエス様は、天においても地においても一切の権威を持っておられるお方ですから感謝します。
いつも御父と御子に信頼しきって歩み続ける者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この箇所を読んでいる時に「マリアの賛歌」(マグニフィカート)を思い起こしましたので下記します。
“46 マリアは言った。「私のたましいは主をあがめ、47 私の霊は私の救い主である神をたたえます。
48 この卑しいはしために目を留めてくださったからです。
ご覧ください。今から後、どの時代の人々も私を幸いな者と呼ぶでしょう。
49 力ある方が、私に大きなことをしてくださったからです。
その御名は聖なるもの、50 主のあわれみは、代々にわたって主を恐れる者に及びます。
51 主はその御腕で力強いわざを行い、心の思いの高ぶる者を追い散らされました。
52 権力のある者を王位から引き降ろし、低い者を高く引き上げられました。
53 飢えた者を良いもので満ち足らせ、富む者を何も持たせずに追い返されました。
54 主はあわれみを忘れずに、そのしもべイスラエルを助けてくださいました。
55 私たちの父祖たちに語られたとおり、アブラハムとその子孫に対するあわれみをいつまでも忘れずに。」”(ルカ1章・2017)

2021年10月 8日 (金)

エステル記5章 エステルが王とハマンをエステル主催の宴会招待したこと及びハマンのモルデカイへの怒り

 1.2節には、“1 三日目になり、エステルは王妃の衣装を着て、王室の正面にある王宮の奥の中庭に立った。
王は王室の入り口の正面にある王宮の玉座に座っていた。
2 王が、中庭に立っている王妃エステルを見たとき、彼女は王の好意を得た。
王は手にしている金の笏をエステルに差し伸ばした。
エステルは近寄って、その笏の先に触れた。”(2017)とあります。

 1節の、“三日目になり”という「三日」は、4章の断食祈祷のことではないかと思われます。
4:16.17には次のように記されています。
“16 エステルはモルデカイに返事を送って言った。17 「行って、スサにいるユダヤ人をみな集め、私のために断食してください。三日三晩、食べたり飲んだりしないようにしてください。私も私の侍女たちも、同じように断食します。そのようにしたうえで、法令に背くことですが、私は王のところへ参ります。私は、死ななければならないのでしたら死にます。」”(2017)とありました。

 1.2節を理解する上で、前章においてエステルが述べている事柄が参考になります。
4:11にはエステルのことばとして、“王の家臣たちも王の諸州の民も、だれでも知っているように、召されないのに奥の中庭に入って王のところに行く者は、男でも女でも死刑に処せられるという法令があります。ただし、王がその人に金の笏を差し伸ばせば、その人は生きながらえます。私はこの三十日間、まだ王のところへ行くようにと召されていません。”(2017)とありました。

 エステルは呼び出されたわけではないのに、王妃の衣装を着て、王室の正面にある王宮の奥の中庭に立ったのでした。
王は金の笏を伸ばしてくれただけではなく、3節には、“王は彼女に言った。「どうしたのだ。王妃エステル。何を望んでいるのか。王国の半分でも、あなたにやれるのだが。」”(2017)と言ってくれたのです。

 「王国の半分でも、あなたにやれるのだが。」という王の言葉について、新聖書注解は次のように述べています。
“古代の王は宴会などの席ではよくこのようなことを言った(→マルコ6:23、ヘロドトス『歴史Ⅸ109』)。こうした時に、王には相当のほうびを出す意思があっても、受け取る側としては過分のお願いはしないという美徳も必要であったに違いない。”とあります。

 エステルはクセルクセス王に対して次のように答えました。4節には次のように記されています。
“エステルは答えた。「もしも王様がよろしければ、今日、私が王様のために設ける宴会にハマンとご一緒にお越しください。」”(2017)とあります。

 「今日、私が王様のために設ける宴会にハマンとご一緒にお越しください。」の文ですが、ヘブライ語聖書の語順では、お越しください 王様 そしてハマン 今日、という順になっています。この4単語の頭文字を合わせると「ヤハウェ」になります。その後、~に 宴会、ところの わたしが設ける、と続きます。 
新聖書注解は、“直訳「今日、王様とハマンはお越しください」は原語四単語の頭文字を合わせれば、神名「ヤハウェ」となり、そのことを指摘するため大文字で書かれた少数の写本がある。”と記しています。

 エステルは1日目の宴会の中ではユダヤ人絶滅の勅令に関しての話を出すことなく、2日目も宴会を催すのでもう一度来てくださいということを王に願いました。5-8節には次のように記されています。
“5 すると王は「ハマンを急いで来させて、エステルの言ったようにしよう」と言った。
王とハマンはエステルが設けた宴会にやって来た。
6 その酒宴の席上、王はエステルに尋ねた。
「あなたは何を願っているのか。それを授けてやろう。何を望んでいるのか。王国の半分でも、それをかなえてやろう。」
7 エステルは答えて言った。
「私が願い、望んでいることは、8 もしも私が王様のご好意を受けることができ、また王様がよろしくて、私の願いをゆるし、私の望みをかなえていただけますなら、私が設ける宴会に、もう一度ハマンとご一緒にお越しください。そうすれば、明日、私は王様のおっしゃったとおりにいたします。」”(2017)とあります。

 王は、エステルが何を望んでいるのか、益々興味がわいたことでしょう。
エステルが1日目に、ユダヤ人絶滅の勅令に関しての話を出すことが出来なかったのは気後れしたからでしょうか?それとも作戦があったのでしょうか?
私には分かりません。

 しかし、5章には記されていませんが、王はエステルに、エステルの要求を1日延ばされたことによって、1日目の夜は眠れなくなってしまったのです。そして、ヤハウェ(主)は、その夜クセルクセス王に働かれたのです。このことは次の6章に記されています。

 ハマンの上機嫌になった様子、その気持ちを打ち砕くモルデカイの態度が9節に次のように記されています。
“9 ハマンはその日、喜び上機嫌で去って行った。ところが、ハマンは、王の門〔王宮の門(新共同訳)〕のところにいるモルデカイが立ち上がろうともせず、身動きもしないのを見て、モルデカイに対する憤りに満たされた。”(2017)とあります。

 モルデカイからすれば、エステル王妃に招かれたのは、王様の他には自分一人しかいないのですから、有頂天になってもおかしくはありませんでした。ハマンが上機嫌で王宮の門の所まで来た時、そこにモルデカイがおり、モルデカイは立ち上がろうともせず、身動きもしないのです。モルデカイ以外の者であれば、みな平伏するのです。ハマンはモルデカイに対し憤りに満たされました。しかしハマンは我慢して家に帰った(10節前半)のです。

 ハマンの自慢話とモデルカイに対する復讐の準備について10-14節には次のように記されています。
“10 しかし、ハマンは我慢して家に帰り、人を送って、友人たちと妻ゼレシュを連れて来させた。
11 ハマンは自分の輝かしい富について、また子どもが大勢いることや、王が自分を重んじ、王の首長や家臣たちの上に自分を昇進させてくれたことなどを、すべて彼らに話した。
12 ハマンは言った。
「しかも王妃エステルは、王妃が設けた宴会に、私のほかはだれも王と一緒に来させなかった。明日も私は、王と一緒に王妃に招かれている。13 しかし、私が、王の門のところに座っているあのユダヤ人モルデカイを見なければならない間は、これら一切のことも私には何の役にも立たない。」
14 すると、彼の妻ゼレシュと彼の友人たちはみな彼に言った。
「高さ五十キュビト〔約22m~22.5m(筆者挿入)〕の柱を立てさせて、明日の朝、王に話して、モルデカイをそれにかけるようにしなさい。それから、王と一緒に、喜んでその宴会にお出かけなさい。」
ハマンはこの進言が気に入ったので、その柱を立てさせた。”(2017)とあります。

 木にかける処刑について、新共同訳スタディ版の注は次のように述べています。
“古代ペルシアの一般的な処刑法は木につるすことであった。受刑者を杭に突き刺すか、あるいは木に釘で打ちつけてつるし、放置した。その方法は十字架刑に似ていた。”とあります。

 高さ50キュビトの柱について、注解付新改訳聖書の注は次のように述べています。
“このような高い柱を立てたのは、王妃の宴会の席からも見えるように、との意図もあったであろう。”とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
あなたを肉の目で見ることは出来ませんが、ここぞという大切な時に働いてくださっておられるご様子をエステル記から見させて頂くことです。
また肉の目では見えない霊の世界では、サタンとの戦いが繰り広げられていることが分かります。
あなたはサタンなど一声で抹殺することがお出来になりますが、あなたの深いお考えのもと、時が来るまで一定の働きを許されていることを覚えます。
サタンの最後は火と硫黄の池ですが、私たちキリスト者は、サタンの誘惑や敵対の故にあなたによって信仰を成長させて頂ける一面もあることを覚えます。
常に御父と御子に心を留め、与えて下さっておられる多くの御言葉をしっかり信じて歩み続けることができますよう祝福してください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
 

2021年10月 7日 (木)

エステル記4章 命を懸けると意志したエステル/大患難時代の前半の一部

 ユダヤ人絶滅の勅令が発せられ、それがユダヤ人にも知れ渡ったとき、ユダヤ人は大きな悲しみに包まれたということが1-3節に次のように記されています。
“1 モルデカイは、なされたすべてのことを知った。モルデカイは衣を引き裂き、粗布をまとい、灰をかぶり、大声で激しくわめき叫びながら都の真ん中に出て行った。
2 そして王の門の前のところまで来た。王の門の中には、粗布をまとったままでは入ることができなかったのである。
3 王の命令とその法令が届いたどの州においても、ユダヤ人の間には大きな悲しみがあり、断食と泣き声と嘆きが起こり、多くの人たちは粗布をまとって灰の上に座った。”(2017)とあります。

 “粗布をまとって灰の上に座った”(3)について、新共同訳スタディ版の注は、次のように述べています。
“粗布はヤギやラクダの毛で粗く織った暗色の布で穀物を入れる袋などに使われた。悔い改めや悲しみなどを表すとき、粗布を身にまとって塵や灰の中に座った。粗布を着た人は汚れていると見なされ、町の門(ここでは王宮の門)より先には入れなかった。深い悲しみのときや危機に直面したときには断食して祈った。”とあります。

 4節には、“エステルの侍女たちとその宦官たちが入って来て、彼女にこのことを告げたので、王妃は非常に痛み苦しんだ。彼女はモルデカイに衣服を送り、それを着せて、粗布を脱がせようとしたが、彼はそれを受け取らなかった。”(2017)とあります。

 エステルにはユダヤ人殲滅の勅令は届いていなかったようです。
エステルは、モルデカイが粗布を着て灰をかぶり、大声で激しくわめき叫びながら都の真ん中に出て行き、そして王の門の前のところまで来てはいても中に入らない、というようなことをしているということを知りませんでした。モルデカイがそのようにしているということを、エステルはエステルの侍女たちや宦官たちの知らせで知ったのです。
話のいきさつからすると、侍女や宦官たちは、エステルとモルデカイの関係を知っていた可能性が十分あると思います。恐らくエステルがモルデカイは自分の養父であるということを話したことがあったのではないかと想像します。

 エステルがモルデカイに衣服を送ったにもかかわらず、モルデカイは衣服を受け取りませんでした。
エステルは理由を知りたくて宦官ハタクをモルデカイのもとに遣わしました。
モルデカイは衣服を受け取らなかった理由をハタクに告げ、
ハタクはモルデカイの語った内容をエステルに伝え、またモルデカイから受け取ったところのユダヤ人を絶滅するという法令の文書をエステルに渡しました。5-9節には次のように記されています。
“5 エステルは、王の宦官の一人で、王が彼女に仕えさせるために任命していたハタクを呼び寄せ、モルデカイのところへ行って、これはどういうわけか、また何のためかと聞いて来るように命じた。
6 ハタクは王の門の前の、町の広場にいるモルデカイのところに出て行った。
7 モルデカイは自分の身に起こったことをすべて彼に告げ、ハマンがユダヤ人を滅ぼすために王の宝物庫に納めると約束した、正確な金額も告げた。8 また、ユダヤ人を根絶やしにするためにスサで発布された法令の文書の写しを彼に渡した。それは、エステルに見せて事情を知らせ、そして彼女が王のところに行って、自分の民族のために王からのあわれみを乞い求めるように、彼女に命じるためであった。
9 ハタクは帰って来て、モルデカイの伝言をエステルに告げた。”(2017)とあります。

 8節より、モデルカイの最大の意図は、エステルが王に面会し、ユダヤ人せん滅命令を取り下げてくださるようにと願い求めよ、というところにあったのです。
8節の最後の箇所を見ると、これはモルデカイからエステルへの命令であったことが分かります。

 モルデカイからの伝言をハタクはエステルに伝えました。
それを聞いたエステルはモルデカイに自分の立場と王との関係をハタクに伝えてもらいました。10.11節には次のように記されています。
“10 エステルはハタクに命じて、モルデカイにこう伝えた。
11 「王の家臣たちも王の諸州の民も、だれでも知っているように、召されないのに奥の中庭に入って王のところに行く者は、男でも女でも死刑に処せられるという法令があります。ただし、王がその人に金の笏を差し伸ばせば、その人は生きながらえます。私はこの三十日間、まだ王のところへ行くようにと召されていません。」”(2017)とあります。

 エステルの返答に対して、モルデカイは次のような言葉をエステルに送りました。12-14節には次のように記されています。
“12 彼〔ハタク(筆者挿入)〕がエステルのことばをモルデカイに告げると、
13 モルデカイはエステルに返事を送って言った。
「あなたは、すべてのユダヤ人から離れて王宮にいるので助かるだろう、と考えてはいけない。14 もし、あなたがこのようなときに沈黙を守るなら、別のところから〔神からの意(注解付新改訳聖書の注)〕助けと救いがユダヤ人のために起こるだろう。しかし、あなたも、あなたの父の家も滅びるだろう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、このような時のためかもしれない。」”(2017)とあります。

 モルデカイはエステルに、エステルがユダヤ人であることが知れたらエステルも殺されるということを語りました。
エステルは既に侍女たちや宦官たちにユダヤ人であることが知られてしまっています。そして、それは周りに広がっていたことでしょう。

 モルデカイからの返事を聞いたエステルはモルデカイに、ユダヤ人たちに断食祈祷をさせるようにと依頼しました。エステルは自分の命を賭して王の前に出るとモルデカイに返事を送りました。15-17節には次のように記されています。
“15 エステルはモルデカイに返事を送って言った。
16 「行って、スサにいるユダヤ人をみな集め、私のために断食してください。三日三晩、食べたり飲んだりしないようにしてください。私も私の侍女たちも、同じように断食します。そのようにしたうえで、法令に背くことですが、私は王のところへ参ります。私は、死ななければならないのでしたら死にます。」
17 モルデカイは出て行って、エステルが彼に頼んだとおりにした。”(2017)とあります。

 エステルは、「法令に背くことですが、私は王のところへ参ります。私は、死ななければならないのでしたら死にます。」というエステルの言葉を、すごいことだと驚嘆するように、言う人たちもいますが、前述したように、ユダヤ人殲滅の命令が出ており、そのことは日を定めて実行されるのですから、エステルの覚悟が格別すごいことではないのです。

 余談になりますが、キリストの空中再臨に伴う携挙後の大患難時代には、携挙されずに残った人々の中でイエス様を信じた者は殉教していくのです。その時代にイエス様を信じた人はまさに命を賭して信仰を守るのです。その人たちは、天で次のように言われています。
“9 その後、私は見た。すると見よ。
すべての国民、部族、民族、言語から、だれも数えきれないほどの大勢の群衆が御座の前と子羊の前に立ち、白い衣を身にまとい、手になつめ椰子の枝を持っていた。10 彼らは大声で叫んだ。「救いは、御座に着いておられる私たちの神と、子羊にある。」
11 御使いたちはみな、御座と長老たちと四つの生き物の周りに立っていたが、御座の前にひれ伏し、神を礼拝して言った。
12 「アーメン。賛美と栄光と知恵と感謝と誉れと力と勢いが、私たちの神に世々限りなくあるように。アーメン。」
13 すると、長老の一人が私に話しかけて、「この白い衣を身にまとった人たちはだれですか。どこから来たのですか」と言った。
14 そこで私が「私の主よ、あなたこそご存じです」と言うと、
長老は私に言った。
「この人たちは大きな患難を経てきた者たちで、その衣を洗い、子羊の血で白くしたのです。15 それゆえ、彼らは神の御座の前にあって、昼も夜もその神殿で神に仕えている。御座に着いておられる方も、彼らの上に幕屋を張られる。16 彼らは、もはや飢えることも渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も、彼らを襲うことはない。17 御座の中央におられる子羊が彼らを牧し、いのちの水の泉に導かれる。また、神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。」”(黙示録7章・2017)と記されています。

 上記の文章は黙示録7章ですが、その前の章の6章の中の一部を省略しつつその内容を簡略にまとめると次のようになります。
第二の封印が解かれると、地上に平和がなくなり人々が殺し合うようになるとあります。
第三の封印が解かれると、大人が1日働いて得る給与で、1日分の主食しか買えなくなるという状態になっています。
第四の封印が解かれると、地上の4分の1が死ぬのです。死の原因は剣(戦争か個人的殺し合い)と飢饉による飢死(うえじに)、死(リビングバイブルは「疫病」)、獣です。
第五の封印は省略します。
そして第六の封印が開かれるとどうなるのでしょうか?
黙示録6:12-17には次のように記されています。
“12 また私は見た。子羊が第六の封印を解いたとき、大きな地震が起こった。太陽は毛織りの粗布のように黒くなり、月の全面が血のようになった。
13 そして天の星が地上に落ちた。それは、いちじくが大風に揺さぶられて、青い実を落とすようであった。
14 天は、巻物が巻かれるように消えてなくなり、すべての山と島は、かつてあった場所から移された。
15 地の王たち、高官たち、千人隊長たち、金持ちたち、力ある者たち、すべての奴隷と自由人が、洞穴と山の岩間に身を隠した。
16 そして、山々や岩に向かって言った。「私たちの上に崩れ落ちて、御座に着いておられる方の御顔と、子羊の御怒りから私たちを隠してくれ。
17 神と子羊の御怒りの、大いなる日が来たからだ。だれがそれに耐えられよう。」”(2017)とあります。

 黙示録7章に記されていた殉教者たちは、携挙後から第六の封印の終わりまでのどこかでイエス様を信じたことによって殉教した人たちであろうと思います。この人たちは艱難時代の聖徒たちです。携挙されたキリスト者は恵みの時代の聖徒であり、1テサロニケ4:14-17に属する人たちはエクレシア(呼び出された者たち、すなわち教会)であり、キリストの花嫁です。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
あなたが、あなたの義による裁きをキリストによって執行される前に、すなわち恵みの時代にイエス様を信じさせて頂けましたことを感謝します。
救われてほしいと願いつつ数十年にわたって祈り続けていても未だに救われない人々がいます。
憐れんでくださり、キリストの空中再臨までにはその人たちが主キリスト・イエス様を信じること、すなわち心に受け入れることができますようにお願いします。
もしもそれがかないませんでしたら、その人たちが、殉教して天に帰ってくることができますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2021年10月 6日 (水)

エステル記3章 ハマンの陰謀によるユダヤ人を絶滅せよとの布告/サタンについて

 クセルクセス王の次の地位を得たハマンについて、1-2節bには次のように記されています。
“1 これらの出来事の後、クセルクセス王はアガグ人ハメダタの子ハマンを重んじ、彼を昇進させて、その席を彼とともにいる首長たちのだれよりも上に置いた。
2 それで、王の門のところにいる王の家来たちはみな、ハマンに対して膝をかがめてひれ伏した。王が彼についてこのように命じたからである。”(2017)とあります。

 ハマンの先祖については二つの見解がありますが、その大勢は次のようなものです。
新共同訳スタディ版の注は次のように述べています。
“ハマンの先祖はイスラエルの敵アマレク人であった。アガクはエステルの時代よりはるか昔にイスラエルと戦ったアマレク人の王のこと。モルデカイはかつてそのアマレク人を打ち破ったイスラエルの初代の王サウルの子孫である(2:5)。”(抜粋)とあります。
<聖書参考箇所>出エジプト17:8-16、申命記25:17-19、サムエル15:1-33

 宰相ハマンに対して膝をかがめてひれ伏せ、というのが王の命令でした(2)。

 ハマンにひれ伏さないモルデカイに立腹したハマンがすべてのユダヤ人を抹殺しようという思いを持ったことが2節c-6節に次のように記されています。“2 ・・・。・・・。しかし、モルデカイは膝もかがめず、ひれ伏そうともしなかった。
3 王の門のところにいる王の家来たちは、モルデカイに「あなたはなぜ、王の命令に背くのか」と言った。
4 彼らは毎日そう言ったが、モルデカイは耳を貸そうとしなかった。
それで、モルデカイのしていることが続けられてよいものかどうかを確かめようと、これをハマンに告げた。モルデカイが、自分がユダヤ人であることを彼らに打ち明けていたからである。
5 ハマンはモルデカイが自分に対して膝もかがめず、ひれ伏そうともしないのを見て、憤りに満たされた。
6 しかし、ハマンはモルデカイ一人を手にかけるだけでは満足しなかった。モルデカイの民族のことが、ハマンに知らされていたのである。それでハマンは、クセルクセスの王国中のすべてのユダヤ人、すなわちモルデカイの民族を根絶やしにしようとした。”(2017)とあります。

 モルデカイは門番でした(2:19.21)。
モルデカイ以外の門番たちは、ハマンが門を通過する時には、皆ハマンに対して膝をかがめてひれ伏したのです(2)。しかし、モルデカイは膝もかがめず、ひれ伏そうともしなかったのです(2)。
 続く3.4節をリビングバイブルは次のように意訳しています。
周囲の者たちは、来る日も来る日も、「どうして王の言いつけに背くのだ」と言いますが、それでも彼は頑として聞こうとしません。そこでついに人々は、モルデカイだけに勝手なまねをさせてはならないと、そのことをハマンに告げたのです。モルデカイは人々に、自分はユダヤ人だから別だと主張していたからです。 ”とあります。

 宰相となったハマンが、クセルクセス王を言葉巧みに言いくるめ、ユダヤ人絶滅計画の法令を発布するに至った経緯が7-15節に次のように記されています。
“7 クセルクセス王の第十二年〔B.C.474年(筆者挿入)〕の第一の月〔太陽暦では3-4月(筆者挿入)〕、すなわちニサンの月に、日と月を決めるためにハマンの前で、プル、すなわちくじが投げられた。くじ〔ユダヤ人を抹殺するためのくじ(筆者挿入)〕は第十二の月〔太陽暦では2-3月(筆者挿入)〕、すなわちアダルの月に当たった。
8 ハマンはクセルクセス王に言った。
「王国のすべての州にいる諸民族の間に、散らされて離れ離れになっている一つの民族があります。彼らの法令はどの民族のものとも違っていて、王の法令を守っていません。彼らをそのままにさせておくことは、王のためになりません。9 王様。もしよろしければ、彼らを滅ぼすようにと書いてください。私はその仕事をする者たちに銀一万タラント〔430000kg=430トン(筆者挿入)〕を量って渡します。そうして、それを王の宝物庫に納めさせましょう。」
10 王は自分の手から指輪を外して、アガグ人ハメダタの子で、ユダヤ人の敵であるハマンにそれを渡した。
11 王はハマンに言った。
「その銀はおまえに与えられるようにしよう。また、その民族もその銀でおまえの好きなようにするがよい。」
12 そこで、第一の月の十三日に、王の書記官たちが召集され、ハマンが、王の太守、各州を治めている総督、各民族の首長たちに命じたことがすべて、各州にその文字で、各民族にはその言語で記された。それは、クセルクセスの名で書かれ、王の指輪で印が押された。
13 書簡は急使によって王のすべての州へ送られた。それには、第十二の月、すなわちアダルの月の十三日の一日のうちに、若い者も年寄りも、子どもも女も、すべてのユダヤ人を根絶やしにし、殺害し、滅ぼし、彼らの家財をかすめ奪えとあった。
14 各州に法令として発布される文書の写しが、この日の準備のために、すべての民族に公示された。
15 急使は王の命令によって急いで出て行った。この法令はスサの城でも発布された。このとき、王とハマンは酒を酌み交わしていたが、スサの都は混乱に陥った。”(2017)とあります。

 ユダヤ人絶滅計画は、ハマンに悪魔(サタン)がそのような思いを入れたのだと思います。
 サタンは、ユダヤ人を抹殺したいという願いを持っています。
 サタンは神に、大いに良くして頂いた(エゼキエル28:12c-15)存在であるにもかかわらず、神に対して高ぶり(イザヤ14:13.14、エゼキエル28:16-17a)、その結果、よみに落とされ穴の底に落とされるのです(黙示録20:3.4)。
 サタンは、神と直接戦っても勝てないので、神が愛する者を攻撃するのです。それがイスラエルであり、キリスト者です。
 サタンはエデンの園で、エバをだまし、人祖アダムを堕罪させました(創世記3:1-6)。
 罪があると神との関係が途絶えます。罪が神と人との間の壁となるのです。
 サタンは、神から「わたしは敵意を、おまえ〔サタン(筆者挿入)〕と女の間に、おまえの子孫と女の子孫の間に置く。彼はおまえの頭を打ち、おまえは彼のかかとを打つ。」(創世記3:15・2017)と言われました。
 サタンは、神に喜ばれたアベルをカインによって殺しました。恐らく「彼はおまえの頭を打ち」といわれた「彼」はアベルではないかと思ったのではないかと思います。
 その後、神はアブラハムを選び、イスラエルをご自分の民としました。
サタンはイスラエルを抹殺すること、罪の誘惑でイスラエルを罪の中に陥れること、等を実行していきました。
そして、この時代になって、サタンはハマンを用いたのです。それはハマンの心がサタンととても同調しやすかったからであろうと思います。
 私たちキリスト者は、神様から語りかけを頂きます。一方、サタンの思いと同調する人はサタンからの声を聞いたり、聞くという感覚はなくてもサタンの願う思いを持たされるのです。コロサイ2:8には、“あの空しいだましごとの哲学によって、だれかの捕らわれの身にならないように、注意しなさい。それは人間の言い伝えによるもの、この世のもろもろの霊〔サタンや配下の悪しき霊(筆者挿入)〕によるものであり、キリストによるものではありません。”(2017)と記されています。
サタンは神のまねを至る所で行います。
神様は愛と義から行ってくださいますが、サタンは悪から、己の欲望から、神に対する敵対的な思いからことを行っていくのです。
サタンは12使徒のひとりであったイスカリオテのユダにも働きかけました(ヨハネ13:2)。ユダに対してはユダの中に入ることまで成功しました(ヨハネ13:27)。そして、イエス様は逮捕されたのです(イエス様の御意志でもありましたが)。
この世は悪魔(サタン)が支配しています(1ヨハネ5:19、エペソ2:1-3、ルカ4:6b)。
しかし、悪魔の活動範囲は、神に許可された範囲内でしか行為を行うことができないのです(ヨブ1:10-12、2:4-6)。
一方、キリスト者は、神に属しています(1ヨハネ5:19)。
キリスト者の霊にサタンは手を触れることができません(1ヨハネ5:18)。
1ヨハネ5:18の「神から生まれた者は」(2017)とありますが、この「者」は「霊」です。
イエス様は、ヨハネ3章で、「3 人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。6 霊から生まれたものは霊である。」(新共同訳)と語られました。
1ペテロ1:3には、「神は・・・、私たちを新しく生まれさせ・・・てくださいました。」(2017)と述べています。
新しく生まれさせて頂いたのは霊であり、サタンはキリスト者の霊には触れることができないのです(1ヨハネ5:18)。キリスト者の霊は神から生まれた神の子どもです。キリスト者は、やがては天的な霊の体(1コリント15:40.44.46・新共同訳)を頂けますから、そのようになったときには、被造物は、神の子どもたちが出現したのを見ることになるのです。
キリスト者のたましいと肉体は、悪魔(サタン)から攻撃されうるのです。
使徒パウロもサタンから肉体を打たれました。
2コリント12:7には、“その啓示のすばらしさのため高慢にならないように、私は肉体に一つのとげを与えられました。それは私が高慢にならないように、私を打つためのサタンの使いです。”(2017)と記されています。
肉体を打たれることも幸いなことがあります。それは私も経験していますが、パウロは、「主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである』と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」(2コリント12:9・2017)と語っています。
ハレルヤ!

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
あなたはすべてを見通したうえで、あなたの良いと思われることを行ってくださいますから感謝します。
あなたは、聖であられ、義であられると共に愛なるお方です。
私たちは、あなたに愛され、あなたは、私たちには想像できないほどの豊かさで私たちを愛してくださっておられますから感謝します。
あなたの御名の中で生かされていることを感謝し、私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2021年10月 5日 (火)

エステル記2章 王妃に選ばれたエステル

 1節には、“これらの出来事の後、クセルクセス王の憤りが収まると、王はワシュティのこと、彼女のしたこと、彼女について決められたことを思い出した。”(2017)と記されています。

 1節について、新聖書注解は、次のように述べています。
“〔「これらの出来事の後」とは、(筆者挿入)〕クセルクセス1世がギリシア遠征に失敗し、失意のうちに帰国した年(前479年)と考えられる。ワシュティを離別し、ギリシア軍に敗れ、理性を取り戻してから考えると、すべてにおいてやりすぎであったという反省の気持ちが強くなったのであろう。そこで、もう一度、ワシュティを連れ戻したいと願ったが、それはもはや不可能なことであった(1:19-21)。”とあります。

 王の寂しさを紛らわすための侍従たちの進言、及びその進言に王が同意したことが2-4節に次のように記されています。
“2 王に仕える侍従たちは言った。「王のために容姿の美しい未婚の娘たちを探しましょう。3 王は王国のすべての州に役人を任命し、容姿の美しい未婚の娘たちをみな、スサの城の後宮〔王のハレム(筆者挿入)〕に集めて、女たちの監督官である王の宦官ヘガイの管理のもとに置き、化粧品を彼女たちに与えるようにしてください。4 そして、王のお心にかなう娘を、ワシュティの代わりに王妃としてください。」
このことは王の心にかなったので、彼はそのようにした。”(2017)とあります。

 5-7節には、モデルカイとハダサ(エステル)の紹介が次のように記されています。
“5 スサの城に一人のユダヤ人がいて、その名をモルデカイといった。この人はヤイルの子で、ヤイルはシムイの子、シムイはベニヤミン人キシュの子であった。6 このキシュは、ユダの王エコンヤと一緒に捕らえ移された捕囚の民とともに、エルサレムから捕らえ移された者であった。エコンヤはバビロンの王ネブカドネツァルが捕らえ移したのであった。7 モルデカイはおじの娘ハダサ、すなわちエステルを養育していた。彼女には父も母もいなかったからである。この娘は姿も美しく、顔だちも良かった。モルデカイは、彼女の父と母が死んだとき、彼女を引き取って自分の娘としていた。”(2017)とあります。

 モルデカイもエステルもエルサレムに帰還せずペルシアの当時の首都であるスサに残留した人たちでした。
モルデカイは、B.C.597年ユダの王エコンヤ(別称:エホヤキン)と一緒にバビロンに捕囚となったキシュの子孫でした。キシュはベニヤミン族の出でした。エホヤキン時代のバビロン捕囚のことは2列王記24:8-16に記されています。
エステルの父母が死んだ後、モデルカイがエステルの養育をしていましたが、モデルカイとエステルはいとこでした。
エステルは容姿端麗の娘でした。

 8節には、“王の命令〔容姿の美しい未婚の娘たちをみな、スサの城の後宮に集めること(筆者挿入)〕、すなわちその法令が伝えられて、多くの娘たちがスサの城に集められ、ヘガイの管理のもとに置かれたとき、エステルも王宮に連れて行かれて、女たちの監督官ヘガイの管理のもとに置かれた。”(2017)と記されています。

 “アラム語訳第二タルグム〔「タルグム」は翻訳、解釈の意(筆者挿入)〕によると、「モルデカイは、エステルを王宮に取られるのを恐れて、彼女を隠した。その間、異教徒の娘たちは、王宮に行きたいばかりに、王の家来たちの前で踊をおどったりして媚を打っていた。しかし結局、乙女たちを隠す者は死刑に処するという命令が出たため、モルデカイはやむなく、エステルを差し出したのであった」。”(新聖書注解)と記されています。

 9節には、“この娘〔エステル(筆者挿入)〕はヘガイの目〔心(第三版)〕にかない、彼の好意を得た。彼は急いで化粧品とごちそうを彼女に与え、また王宮から選ばれた七人の侍女を彼女に付けた。また、ヘガイは彼女とその侍女たちを、後宮の最も良いところに移した。”(2017)とあります。

 「ヘガイの心にかない」について、注解付新改訳聖書の注は、“ヘガイはエステルこそ王妃になるに違いないと直感し、好意を示したのであろう。”と述べています。

 10節には、“エステルは自分の民族も、自分の生まれも明かさなかった。モルデカイが、明かしてはいけないと彼女に命じておいたからである。”(2017)と記されています。

 10節に関して、新聖書注解は次のように述べています。
“エステルは自分がユダヤ人であることを故意に隠していた。モルデカイが固く口留めしたからである。〔ダニエルはエステルとは異なり、初めから信仰を表明していました(ダニエル1:8){筆者挿入}〕。私たちキリスト者も、ダニエルのように旗印を鮮明にすべきであるが、ある特定の場合には、聖霊の導きを受けながら、身を隠さなければならないときもある。”(抜粋)とあります。

 11節には、“モルデカイは毎日、後宮〔ハレム(筆者挿入)〕の庭の前を行き来し、エステルの安否と、彼女がどうされるかを知ろうとしていた。”(2017)と記されています。

 ハレムには普通宦官以外は入れません。それに対し、注解付新改訳聖書の注は、“モルデカイは城門の門番であり、比較的自由に行動することが出来たと思われる。”と述べています。
 
 王の前に出るまでの彼女たちの準備とその期間、王の前に出るときの彼女たちの権利、王と関係を持った女性に対する王の評価とその後の扱いについて12-14節に次のように記されています。
“12 娘たちは、女たちの規則にしたがって、十二か月の期間が終わった後、一人ずつ順番にクセルクセス王のところに入って行くことになっていた。準備の期間は、六か月は没薬の香油を、次の六か月は香料と女たちのための化粧品を用いて化粧することで、完了するのであった。
13 このようにして、娘が王のところに入って行くとき、その娘の願うものはみな与えられ、それを携えて後宮から王宮に行くことができた。
14 娘は夕方入って行き、朝になると第二の後宮に帰ることになっていた。そこは、側女たちの監督官である、王の宦官シャアシュガズの管理のもとにあった。そこの女は、王が気に入って指名されるのでなければ、二度と王のところには行けなかった。”(2017)とあります。

 衣食住は満たされていたでしょうが、飼い殺しのようにされてしまった女性たちはみじめなものだと思います。

 エステルが王妃に選ばれていった状況が15-18節に次のように記されています。
“15 さて、モルデカイが引き取って自分の娘とした、彼のおじアビハイルの娘エステルが、王のところに入って行く順番が来たとき、彼女は女たちの監督官である、王の宦官ヘガイの勧めたもののほかは、何一つ求めなかった。
こうしてエステルは、彼女を見るすべての者から好意を受けていた。
16 エステルが王宮のクセルクセス王のもとに召し入れられたのは、王の治世の第七年の第十の月、すなわちテベテの月であった。
17 王はほかのどの女よりもエステルを愛した。このため、彼女はどの娘たちよりも王の好意と寵愛を受けた。王は王冠を彼女の頭に置き、ワシュティの代わりに彼女を王妃とした。
18 それから、王はすべての首長と家臣たちのために大宴会、すなわちエステルの宴会を催した。諸州には免税を布告し、王にふさわしい贈り物を配った。”(2017)とあります。

 女たちの監督官ヘガイとエステルの関係は、9節に、“この娘はヘガイの目にかない、彼の好意を得た。彼は急いで化粧品とごちそうを彼女に与え、また王宮から選ばれた七人の侍女を彼女に付けた。また、ヘガイは彼女とその侍女たちを、後宮の最も良いところに移した。”と記されていました。
ヘガイは女たちの監督官を王から任されている人ですから、王の好みもよく知っていたことでしょう。
エステルの賢さは、ヘガイに従ったところにありました。
15節に、“エステルが、王のところに入って行く順番が来たとき、彼女は女たちの監督官である、王の宦官ヘガイの勧めたもののほかは、何一つ求めなかった。”と記されています。
エステルが王のもとに召されたのは、王の治世の第七年の第十の月(2:16)でした。

 17節には、“王はほかのどの女よりもエステルを愛した。このため、彼女はどの娘たちよりも王の好意と寵愛を受けた。王は王冠を彼女の頭に置き、ワシュティの代わりに彼女を王妃とした。”と記されています。
女たちの監督官ヘガイの目は高かったのでした。またヘガイは王の好みを知っていた人でもあったでしょう。

 クセルクセス王が如何にエステルを気に入ったかは、18節に、“王はすべての首長と家臣たちのために大宴会、すなわちエステルの宴会を催した。諸州には免税を布告し、王にふさわしい贈り物を配った。”と記されているところからよく分かります。

 好色家クセルクセスとクセルクセスを殺すたくらみをしていた者たちをモデルカイが発見し、そのことを知らせたモデルカイとエステルの話が19-23節に次のように記されています。
“19 娘たちが二度目に集められたとき、モルデカイは王の門のところに座っていた。
20 エステルは、モルデカイが彼女に命じていたように、自分の生まれも自分の民族も明かしていなかった。エステルはモルデカイに養育されていたときと同じように、彼の命令に従っていた。
21 そのころ、モルデカイが王の門のところに座っていると、入り口を守っていた王の二人の宦官ビグタンとテレシュが怒って、クセルクセス王を手にかけようとしていた。
22 このことがモルデカイの知るところとなり、彼はこれを王妃エステルに知らせた。エステルはこれをモルデカイの名で王に告げた。
23 このことが追及され、その事実が明らかになったので、彼ら二人は木にかけられた。このことは王の前で年代記に記録された。”(2017)とあります。

 18節と19節の間には、相当の期間が経過していたと思われる、と新聖書注解は述べています。
王に対する謀反人たちをモルデカイが発見し、そのことが年代記に記録されたことは主の摂理なのでしょう。
それは後になって明らかになります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
エステルは、モルデカイの教えによく聞き従い、またヘガイの教えによく聞き従いました。
私たちは、私たちの主イエス様の教えによく聞き従って歩むことができますよう助け導いてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
“「24 ですから、わたしのこれらのことばを聞いて、それを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人にたとえることができます。
25 雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家を襲っても、家は倒れませんでした。岩の上に土台が据えられていたからです。
26 また、わたしのこれらのことばを聞いて、それを行わない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人にたとえることができます。
27 雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもその倒れ方はひどいものでした。」
28 イエスがこれらのことばを語り終えられると、群衆はその教えに驚いた。29 イエスが、彼らの律法学者たちのようにではなく、権威ある者として教えられたからである。”(マタイ7章・2017)

2021年10月 4日 (月)

エステル記1章 王妃ワシュティの失脚

 1節には、“クセルクセスの時代、クセルクセスが、インドからクシュまで百二十七州を治めていた時のことである。”(2017)と記されています。

 クセルクセスを、ヘブライ語聖書は、アハシュヴェロースと記しています。
第三版、口語訳は、アハシュエロスと表記しています。
 聖書辞典は、アハシュエロスについて、“ペルシヤ語ではクシャヤルシャで,「偉大な人」という意味。1.エステル記に登場する王(エステル1:1)。ペルシヤの碑文にはクシャヤルシャと刻まれており,ギリシヤ名ではクセルクセス(1世)として知られていた。彼は前486年ダリヨス1世に次いで王に即位した。即位後2年目にエジプトを平定。3年目にはインドからエチオピヤまでの広大な地域を127州に分けて統治している(エステル1:1)。4年の準備期間をおいて前480年,ギリシヤ侵略を試みたが,サラミスの海戦で敗北,ギリシヤ征服を断念した。前465年,彼は2人の侍臣に殺された。エズラ4:6は、捕囚期間中パレスチナに居住していた人々が,神殿再建に反対して彼のもとに告訴状を届けたと報じている。”と記しています。

 聖書辞典にあるようにクセルクセス王の統治年代は、B.C.486-465年です。
エステル記の出来事は、クセルクセス王の統治年代に起こった事柄であり、注解付新改訳聖書の緒論は、“エズラ記では6章と7章の間に当たる時代と考えられる。”と述べています。

 180日に及ぶ宴会の中で領土拡大のためのギリシア遠征会議がもたれたことが2-4節に次のように記されています。
“2 クセルクセス王がスサの城で、王座に着いていたころ、
3 その治世の第三年〔B.C.483年(筆者挿入)〕に、彼はすべての首長と家臣たちのために宴会を催した。それにはペルシアとメディアの有力者、貴族たち、および諸州の首長たちが出席した。
4 王は彼の王国の栄光の富と大いなる栄誉を幾日も示して、百八十日に及んだ。”(2017)とあります。

 この宴会に出席したのは、すべての首長と家臣たち、即ちペルシアとメディアの有力者、貴族たち、および諸州の首長たちでした。
この長期間の宴会の性質について、新聖書注解は次のような見解を述べています。
“古代の王は自分の権威を示すためにあらゆる方法を用いた〔バビロンのネブカドネツァル王は120日の宴会を催したという記載が旧約続編ユディト書1:16にあります。{ユディト書は架空の信仰物語です}(筆者挿入)〕が、ペルシア王はその最たるものであった。〔・・・中略・・・(筆者挿入)〕この宴会はギリシア遠征に関係があった。ヘロドトス〔古代ギリシアの歴史家(筆者挿入)〕は、〔クセルクセスが、(筆者挿入)〕即位の翌年エジプトを従えた後、ギリシア遠征に備える会議を開いたことを伝えている。「ペルシア人には、きわめて重要な事柄を、酒を飲みながら相談する習慣がある。その相談で皆が賛成したことを、相談会の会場になった家の主人が、翌日しらふでいる一同に提起し、しらふの時にも賛成ということになれば採用し、そうでなければ廃案にする。またしらふで予備相談したことは、酒の席で改めて決定するのである。」(『歴史』Ⅰ133)。しかし、このような酒飲み会議の連続で決定したギリシア遠征は、やがて完全な失敗に終わるのである。”とあります。

 5-8節には、おそらくギリシア遠征を決定した後の宴会の様子と思われるものが次のように記されています。
“5 この期間が終わると〔会議付きの宴会が終了した後(筆者挿入)〕、王は、スサの城にいた身分の高い者から低い者に至るまでのすべての民のために、七日間、王宮の園の庭で宴会を催した。
6 白綿布や青色の布が、白や紫色の細ひもで大理石の柱の銀の輪に結び付けられ、金と銀でできた長椅子が、緑色石、白大理石、真珠貝や黒大理石のモザイクの床の上に置かれていた。
7 金の杯で酒がふるまわれたが、その杯は一つ一つ種類が違っていた。王室のぶどう酒は、王にふさわしく豊かにあった。
8 しかし飲酒は、「強要しないこと」という法に従っていた。だれでもそれぞれ自分の思いのままにさせるようにと、王が宮廷のすべての長に命じていたからである。”(2017)とあります。

 “ギリシア遠征遠征を前にして国民を欺く手段に過ぎなかったであろう。”と新聖書注解は、解説しています。

 9節には、“王妃ワシュティも、クセルクセス王の王宮で婦人たちのために宴会を催した。”(2017)とあります。

 新聖書注解は、“ペルシアの宴会には、普通妻や妾たちも出席した。しかし、この時は、一応会議目的の宴会のため、王妃は女官たちを集めて、別の部屋で集まりを持っていた。”と述べています。

 王妃ワシュティがクセルクセス王の命令に従わなかったことに対し、クセルクセス王の怒りが燃え上がった様子が10-12節に次のように記されています。
“10 七日目に、クセルクセス王はぶどう酒で心が陽気になり、王に仕える七人の宦官〔王とハレムの間の連絡を受け持つ役目を果たしたが、仕事の性質上去勢されていた。(新聖書注解)〕メフマン、ビゼタ、ハルボナ、ビグタ、アバグタ、ゼタル、カルカスに命じ、11 王妃ワシュティに王冠をかぶらせて、王の前に連れて来るようにと言った。
彼女の容姿がすばらしかったので、その美しさを民と首長たちに見せるためであった。
12 しかし、王妃ワシュティは宦官から伝えられた王の命令を拒み、来ようとはしなかった。
そのため王は激しく怒り、その憤りは彼のうちで燃え立った。”(2017)とあります。

 王妃ワシュティが王妃の位から退位させられた経緯が13-22節に次のように記されています。
“13 そこで王は時を熟知している、知恵のある者たちに言った
──このように、法令と裁判に詳しいすべての者に諮るのが、王の慣わしであった。14 王の側近はペルシアとメディアの七人の首長たち、カルシェナ、シェタル、アデマタ、タルシシュ、メレス、マルセナ、メムカンで、彼らは王の面前に控えながら、王国の最高の地位に就いていた──
15 「王妃ワシュティは、宦官によって伝えられたクセルクセス王の命令に従わなかった。法令にしたがって、彼女をどう処分すべきか。」
16 メムカンは王と首長たちの前で答えた。
「王妃ワシュティは王一人だけではなく、クセルクセス王のすべての州の全首長と全住民にも悪いことをしました。17 王妃のことが女たちみなに知れ渡り、『クセルクセス王が王妃ワシュティに、王の前に来るように命じたのに、来なかった』と言って、女たちは自分の夫を軽く見るようになるでしょう。18 今日にでも、王妃のことを聞いたペルシアとメディアの首長の夫人たちは、王のすべての首長たちにこのことを言って、並々ならぬ軽蔑と怒りが起こることでしょう〔今晩にも、国中の役人の妻たちは、夫たちに口答えすることでしょう。そうなれば、領地内はくまなく軽蔑や怒りであふれます(リビングバイブル)〕。
19 もし王がおよろしければ、ワシュティはクセルクセス王の前に出てはならない、という勅令をご自分でお出しになり、ペルシアとメディアの法令の中に書き入れて、変更することのないようにされてはいかがでしょうか。王妃の位は、彼女よりももっとすぐれた者にお授けください。20 王が出される詔勅がこの大きな王国の隅々まで告げ知らされれば、女たちは、身分の高い者から低い者に至るまでみな、自分の夫を敬うようになるでしょう。」
21 この進言は王と首長たちの心にかなったので、王はメムカンの言ったとおりにした。
22 王は、王のすべての州に書簡を送った。各州にはその文字で、各民族にはその言語で書簡を送り、男子はみな一家の主人となること、また自分の民族の言語で話すことを命じた〔外国人妻も夫の国の原語で話すようにという命令(筆者挿入)〕。”(2017)とあります。

 現代の女性はメムカンの進言とそれに基づく王の決定に怒りを覚えるか、呆れることでしょう。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
イエス様が女性に取った行動は一人一人を大切にするものでした。
キリスト者はキリストの花嫁です。
キリストの花嫁は、この上なく大切に扱われていますから感謝します。
やがての時には、イエス様のような霊の体、永遠の体、光り輝く美しい体、を与えられますから感謝します。
御父、御子、聖霊なる三位一体の神に感謝し、私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2021年10月 3日 (日)

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 イスラエルの民が律法に基づき、混血の者をイスラエルの信仰共同体から切り離したことが1-3節に次のように記されています。
“1 その日、民が聞いているところでモーセの書が朗読され、その中に、アンモン人とモアブ人は決して神の集会に加わってはならない、と書かれているのが見つかった。
2 それは、かつて彼らが、パンと水をもってイスラエル人を迎えることをせず、かえってバラムを雇ってイスラエル人を呪わせようとしたからであった。私たちの神はその呪いを祝福に変えられた。
3 民はこの律法を聞くとすぐに、混血の者をみなイスラエルから切り離した。”(2017)とあります。

 1.2節の元となっている律法は、申命記23:3-5の箇所でしょう。その箇所には次のように記されています。
“3 アンモン人とモアブ人は主の集会に加わってはならない。その十代目の子孫さえ、決して主の集会に加わることはできない。
4 これは、あなたがたがエジプトから出て来た道中で、彼らがパンと水をもってあなたがたを迎えることをせず、アラム・ナハライムのペトルからベオルの子バラムを雇って、あなたに呪いをもたらそうとしたからである。〔民数記22-24章に詳細が記されています(筆者挿入)〕
5 しかし、あなたの神、主はバラムに耳を貸そうとはせず、かえってあなたの神、主はあなたのために呪いを祝福に変えられた。あなたの神、主はあなたを愛しておられたからである。”(2017)とあります。

 3節に関し新聖書注解は次のように述べています。
“国外追放などではなく、信仰共同体からの分離を意味する。具体的には、神殿や祭儀などの一切からの締め出しを意味しよう。”とあります。

 ヤハウェ(主)に対して不敬なアンモン人トビヤを排除したことが4-9節に次のように記されています。
“4 これより以前、祭司エルヤシブは、私たちの神の宮の部屋を任されていて、トビヤと親しい関係にあったので、5 トビヤのために一つの大きな部屋をあてがっていた。
以前その部屋は、穀物のささげ物、乳香、器、またレビ人や歌い手や門衛たちのために定められていた、穀物と新しいぶどう酒と油の十分の一、さらに祭司のための奉納物を保管するところであった。
6 この間ずっと、私〔ネヘミヤ(筆者挿入)〕はエルサレムにいなかった。私が、バビロンの王アルタクセルクセス〔アルタクセルクセスはペルシア帝国の王ですがバビロニア帝国を征服してからはバビロンの王でもありました(筆者挿入)〕の三十二年〔B.C.433年(筆者挿入)〕に王のところに行き、その後しばらくして王にいとまを乞い、7 エルサレムに帰って来たからである。そのとき私は、エルヤシブがトビヤのために行った悪、すなわち、神の宮の庭にある一つの部屋を彼にあてがったことに気づいた。
8 私は大いに気分を害し、トビヤ家の家財をすべてその部屋から外へ放り出し、9 命じて、その部屋をきよめさせた。そして私は、神の宮の器を、穀物のささげ物や乳香と一緒に再びそこに納めた。”(2017)とあります。

 4節に、「祭司エルヤシブ」とありますが、この人は大祭司だと思います。
但し、新共同訳スタディ版の注は、「祭司エルヤシブ」は大祭司エルヤシブではないのではないか、と考察し、注解付新改訳の注と新聖書注解は、大祭司ではないだろうか、と考察しています。
 聖書に戻ると、ネヘミヤ13:28には、“大祭司エルヤシブの子エホヤダの子の一人は、ホロン人サンバラテの婿であった。”(2017)とあります。
サンバラテは、ネヘミヤによるエルサレム城壁再建工事を妨害したサマリヤの総督でした(ネヘミヤ2:10‐19、4:1.7、6:1‐14参照)。
そしてトビヤは、サマリヤの総督サンバラテのもとでネヘミヤによる城壁修復工事に反対し妨害した人です。

 大祭司の系譜は、昨日のネヘミヤ12:10.11に次のように記されていました。
“10 ヨシュアはエホヤキムを生み、エホヤキムはエルヤシブを生み、エルヤシブはエホヤダを生み、11 エホヤダはヨナタンを生み、ヨナタンはヤドアを生んだ。”(2017)とありました。
 大祭司エルヤシブは、エルサレムの再建に尽力しました。
ネヘミヤ3:1には、“大祭司エルヤシブは、その仲間の祭司たちと、羊の門の再建に取りかかった。彼らはそれを聖別して、扉を取り付けた。そしてメアのやぐらのところまで聖別し、ハナンエルのやぐらにまで及んだ。”(2017)と記されています。

 一方トビヤは、アンモン人の役人で、サマリヤの総督サンバラテのもとでネヘミヤによる城壁修復工事に反対し妨害した人です。
ネヘミヤ4:7.8には、“7 サンバラテ、トビヤ、アラブ人、アンモン人、アシュドデ人たちは、エルサレムの城壁の修復がはかどり、割れ目もふさがり始めたことを聞いたとき、激しく怒り、8 皆でエルサレムに攻め入って混乱を起こそうと、陰謀を企てた。”(2017)と記されています。
エルサレム城壁再建に対するその他のトビヤの心の状態と言動については、ネヘミヤ2:10.19、4:3、6章に記されています。
このトビヤと大祭司エルヤシブは親しい関係にあったのです。
すなわちエルヤシブは、二心状態であったと思われます。主にも仕え、この世にも仕えるという。
 エルヤシブは、主へのささげ物を保管する部屋から奉納物を移動させ、その部屋をトビヤに与えていたのです。
4.5節には、“祭司エルヤシブは、私たちの神の宮の部屋を任されていて、トビヤと親しい関係にあったので、5 トビヤのために一つの大きな部屋をあてがっていた。以前その部屋は、穀物のささげ物、乳香、器、またレビ人や歌い手や門衛たちのために定められていた、穀物と新しいぶどう酒と油の十分の一、さらに祭司のための奉納物を保管するところであった。”と記されています。

 4.5節に記されている事柄が起こったのは、ネヘミヤがアルタクセルクセス王のもとに行っている間のことであったのです(7)。
もしネヘミヤがエルサレムにいたならば、そのようなことは起こらなかったでしょう。
5節のようなことが起こったことの考察として、ネヘミヤ記5章より、新聖書注解は、“トビヤとユダヤ上層部とは、現実的に利害が一致する関係にあった。そして恐らく、それは民衆を犠牲にすることの上に成り立っていた。”と述べています。

 7ー9節は、ネヘミヤによる宮きよめです。
イエス様も公生涯の間に宮きよめを2回行っています(ヨハネ2:13-16、マタイ21:12-17)。
8節に関連して、注解付新改訳聖書の注は、“トビヤは、ネヘミヤのエルサレム到着を知り、いち早く逃亡したようである。”と述べています。

 10-13節には、ネヘミヤが、レビ人に対する処遇を誓約通りに戻させたことが書いてあります。10-14節には次のように記されています。
“10 また私は、レビ人の分が支給されていなかったために、務めに当たるレビ人と歌い手たちが、それぞれ自分の農地に逃げ去っていたことを知った。
11 私は代表者たちを詰問し、「どうして神の宮が見捨てられているのか」と言った。そして私はレビ人たちを集め、元の職務に就かせた。
12 ユダの人々はみな、穀物と新しいぶどう酒と油の十分の一を貯蔵庫に持って来た。
13 そこで私は、祭司シェレムヤ、学者ツァドク、レビ人の一人ペダヤに貯蔵庫を管理させ、マタンヤの子ザクルの子ハナンを彼らの助手とした。彼らが忠実な者と認められていたからである。彼らの任務は仲間に分配をすることであった。
14 私の神よ、どうか、このことのゆえに私を覚えていてください。私が神の宮とその務めのためにした数々の誠実な行いを、ぬぐい去らないでください。”(2017)とあります。

 ネヘミヤ一人がいないことによって、イスラエルの民はバックスライドし、ヤハウェ(主)に対する誓約はどうなったの?という状態になってしまったことを見せられます。誓約(盟約)の内容は、ネヘミヤ10:30-39に記されています。
 レビ人に関することについて、ネヘミヤ10:37には、“私たちの土地の十分の一はレビ人たちのものとする。レビ人は、私たちの耕作するすべての町から十分の一を受け取る者たちである。”(2017)と記されています。

 ネヘミヤが律法に基づき、言葉と権威によって安息日を厳守させたことが15-22節に次のように記されています。
“15 そのころ私は、ユダのうちで安息日にぶどう踏みをしている者、麦束を運んでいる者、また、ろばに荷物を負わせている者、さらに、ぶどう酒、ぶどうの実、いちじくなど、あらゆる品物を積んで、安息日にエルサレムに運び込んでいる者を見つけた。それで私は、彼らが食糧を売ったその日に、彼らを戒めた。
16 また、そこに住んでいたツロの人々も、魚などあらゆる商品を運んで来て、安息日に、しかもエルサレムでユダの人々に売っていた。
17 そこで、私はユダの有力者たちを詰問して言った。
「あなたがたが行っているこの悪事は何か。安息日を汚しているではないか。18 あなたがたの先祖も、このようなことをしたので、私たちの神はこのすべてのわざわいを、私たちとこの都の上にもたらされたのではないか。それなのに、あなたがたは安息日を汚して、イスラエルの上にまたもや御怒りを招こうとしている。」
19 安息日の前、エルサレムの門に夕闇が迫ると、私は命じて扉を閉めさせ、安息日が終わるまでは開いてはならないと命じた。そして、私の配下の若い者の何人かを門の見張りに立て、安息日に荷物が持ち込まれないようにした。
20 それで商人やあらゆる品物を売る者たちは、一、二度エルサレムの外で夜を過ごした。
21 そこで、私は彼らを戒めて言った。
「なぜ、あなたがたは城壁の前で夜を過ごすのか。もう一度このようなことをすれば、私はあなたがたを処罰する。」
その時から、彼らはもう安息日には来なくなった。
22 また私はレビ人に、安息日を聖なるものとするために、彼らが身をきよめ、門の見張りとして来るように命じた。私の神よ、このことにおいても、どうか私を覚えていてください。そして、あなたの豊かな恵みにしたがって私をあわれんでください。”(2017)とあります。

 申命記5章には安息日律法が次のように記されています。
“12 安息日を守って、これを聖なるものとせよ。あなたの神、主が命じたとおりに。
13 六日間働いて、あなたのすべての仕事をせよ。
14 七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはいかなる仕事もしてはならない。あなたも、あなたの息子や娘も、それにあなたの男奴隷や女奴隷、牛、ろば、いかなる家畜も、また、あなたの町囲みの中にいる寄留者も。そうすれば、あなたの男奴隷や女奴隷が、あなたと同じように休むことができる。
15 あなたは自分がエジプトの地で奴隷であったこと、そして、あなたの神、主が力強い御手と伸ばされた御腕をもって、あなたをそこから導き出したことを覚えていなければならない。それゆえ、あなたの神、主は安息日を守るよう、あなたに命じたのである。”(2017)とあります。

 ネヘミヤが再度雑婚問題を取り扱かわねばならなかったことが23-29節に次のように記されています。
“23 そのころまた私は、アシュドデ人、アンモン人、モアブ人の女を妻にしているユダヤ人たちに気がついた。
24 彼らの子どもの半分は、アシュドデのことばか、あるいはそれぞれほかのことばを話して、ユダヤのことばが分からなかった。
25 そこで私は彼らを詰問してののしり、そのうちの数人を打って毛を引き抜き、神にかけて誓わせて言った。
「あなたがたの娘を彼らの息子に嫁がせてはならない。また、彼らの娘をあなたがたの息子、あるいはあなたがた自身の妻としてはならない。26 イスラエルの王ソロモンも、このことで罪を犯したではないか〔1列王記11:1-10を参照(筆者挿入)〕。多くの国の中で彼のような王はいなかった。彼は神に愛され、神は彼をイスラエル全土を治める王としたのに、その彼にさえ異国人の女たちが罪を犯させてしまった。27 あなたがたについても、異国人の女を妻とし、私たちの神の信頼を裏切るという、この大きな悪が行われていることを聞かなければならないのか。」
28 大祭司エルヤシブの子エホヤダの子の一人は、ホロン人サンバラテの婿であった。それで、私は彼を私のところから追い出した。
29 私の神よ、どうか彼らのことを覚えていてください。彼らは祭司職を汚し、祭司職とレビ人たちの契約を汚したのです。”(2017)とあります。

 イスラエルにおいてヤハウェ(主)が、異国人との結婚を許さなかったのは、異教の神を信じている者と結婚することによって、それが背教につながるからです。

 ネヘミヤの働きのまとめが30.31節に次のように記されています。
“30 私は異教的なもの一切から彼らをきよめ、祭司とレビ人のそれぞれの務めにしたがって職務に就かせ、31 定められた時に行う薪のささげ物と、初物についても規定を定めた。私の神よ、どうか私を覚えて、いつくしんでください。”(2017)とあります。

 ネヘミヤは、ヤハウェ(主)のみ旨に従い、イスラエルの民がヤハウェ(主)を信じ、ヤハウェ(主)に誠実を尽くす信仰共同体となるべく、尽力したのでした。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
ネヘミヤが一人いない状態になるだけで、主のみ前に誓約迄した人たちが、信仰的に崩れていくのを見させて頂きました。
新約の時代は、イエス様を信じた人に御聖霊が住んでくださることによって、旧約時代と同じようになってしまうことはありませんが、常に御言葉に従い、御聖霊に従うようにしないと霊的力が失われ、霊的に危険な状態に陥ることを覚えます。
私たちキリスト者全員を背教からお守りください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2021年10月 2日 (土)

ネヘミヤ記12章 バビロン捕囚から帰還した祭司とレビ人のリスト及びエルサレム城壁の奉献式

 1-6節は、バビロン捕囚から最初に帰還した祭司のリストが次のように記されています。
“1 シェアルティエルの子ゼルバベルおよびヨシュアと一緒に上って来た、祭司とレビ人は次のとおりである。
セラヤ、エレミヤ、エズラ、2 アマルヤ、マルク、ハトシュ、3 シェカンヤ、レフム、メレモテ、4 イド、ギネトイ、アビヤ、5 ミヤミン、マアデヤ、ビルガ、6 シェマヤ、エホヤリブ、エダヤ、7 サル、アモク、ヒルキヤ、エダヤ。以上はヨシュアの時代に、祭司とその同族のかしらであった者たちである。”(2017)とあります。

 8.9節は、バビロン捕囚から最初に帰還したレビ人のリストが次のように記されています。
“8 また、レビ人では、ヨシュア、ビヌイ、カデミエル、シェレベヤ、ユダ、マタンヤで、感謝の歌を受け持っていたのはマタンヤとその兄弟たちであった。
9 また、彼らの兄弟のバクブクヤとウンニは、務めのときには彼らの向かい側に立った。”(2017)とあります。

 10.11節は、バビロン捕囚から解放された後の大祭司の系図が次のように記されています。
“10 ヨシュアはエホヤキムを生み、エホヤキムはエルヤシブを生み、エルヤシブはエホヤダを生み、11 エホヤダはヨナタンを生み、ヨナタンはヤドアを生んだ。”(2017)とあります。

 大祭司エホヤキムの時代の時代に祭司で一族の頭であった者たちのリストが12-21節に次のように記されています。
“12 次に、エホヤキム〔大祭司ヨシュアの子。10節参照(筆者挿入)〕の時代に、祭司で一族のかしらであった者は次のとおりである。
〔「エホヤキムの時代」について、注解付新改訳聖書の注は、“B.C.520年、神殿再興の年には、まだヨシュアが活躍していた。3:1によれば、B.C.445年の城壁修復開始の時の大祭司は、エルヤシブであった。したがって、エホヤキムの時代は、B.C.520-445年の間のどこかである。”と述べています。(筆者挿入)〕
セラヤ族ではメラヤ、エレミヤ族ではハナンヤ、13 エズラ族ではメシュラム、アマルヤ族ではヨハナン、14 メリク族ではヨナタン、シェバンヤ族ではヨセフ、15 ハリム族ではアデナ、メラヨテ族ではヘルカイ、16 イド族ではゼカリヤ、ギネトン族ではメシュラム、17 アビヤ族ではジクリ、ミンヤミン族、モアデヤ族ではピルタイ、18 ビルガ族ではシャムア、シェマヤ族ではヨナタン、19 エホヤリブ族ではマテナイ、エダヤ族ではウジ、20 サライ族ではカライ、アモク族ではエベル、21 ヒルキヤ族ではハシャブ、エダヤ族ではネタンエル。”(2017)とあります。

 22.23節には、
“22 エルヤシブ、エホヤダ、ヨハナン、ヤドアの時代にレビ人は一族のかしらとして登録され、また、祭司はペルシア人ダレイオスの治世に登録された。23 レビの子孫で一族のかしらたちは、エルヤシブの子ヨハナンの時代まで、年代記に記されていた。”(2017)とあります。

 この箇所は、解釈が一定していないようです。
ダレイオスの治世、とありますが、ダレイオス2世の場合であれば、B.C.423-404年であり、ダレイオス3世であれば、B.C.336-331年となるとのことです。ネヘミヤ記の著作年代は、B.C.430年頃か、それより少し後になると思われると注解付新改訳聖書のネヘミヤ記緒論は述べています。それに基づけば、ダレイオス2世の時代でしょう。私は、26節より、ここに記されているダレイオスは、ダレイオス2世だと思います。
「年代記に記されていた」とありますが、「年代記」は宮廷に保管された公式文書です。

 24.25節は、エズラ、ネヘミヤ時代のレビ人のかしらたち、聖歌隊の奉仕と門衛のリストが次のように記されています。
“24 レビ人のかしらたちは、ハシャブヤ、シェレベヤ、およびカデミエルの子ヨシュアであり、その兄弟たちが彼らの向かい側に立って、組と組が相応じて、神の人ダビデの命令に基づき、賛美をして感謝をささげた。
25 マタンヤ、バクブクヤ、オバデヤ、メシュラム、タルモン、アクブは門衛で、門の倉を見張っていた。”(2017)とあります。

 26節には、“以上はエホツァダクの子ヨシュアの子エホヤキムの時代と、総督ネヘミヤ、および学者である祭司エズラの時代の人々である。”(2017)とあり、1-25節をまとめています。

 エルサレム城壁を奉献するにあたり、職務についていないレビ人を集めたこと、祭司やレビ人が身をきよめたこと、門と城壁をきよめたことが27-30節に次のように記されています。
“27 エルサレムの城壁の奉献式に際して、彼らはあらゆる場所からレビ人を捜し出してエルサレムに連れて来た。
シンバルと琴と竪琴に合わせて感謝の歌を歌い、喜びをもって奉献式を行うためであった。
28 歌い手たちは、エルサレムの周辺の低地やネトファ人の村々から、29 またベテ・ギルガルやゲバとアズマウェテの農地から集まって来た。この歌い手たちは、エルサレムの周辺に自分たちの村々を建てていたのである。
30 祭司とレビ人は自分たちの身をきよめ、また民と門と城壁をきよめた。”(2017)とあります。

 レビ人の中には、民の間に散在してレビ人としての職務についていない人たちも多くいました。その理由は、おそらくレビ人に対して律法で定められたレビ人への支給分が払われていなかったので、レビ人は自活する必要があったためであると思われます(ネヘミヤ13:10参照)。

 レビ人と祭司への支給の取り決めは、ネヘミヤ10:37-39に次のように記されています。
“37 また、私たちの初物の麦粉と奉納物、およびあらゆる木の果実、新しいぶどう酒と油を祭司たちのところに、私たちの神の宮の部屋に携えて来る。また、私たちの土地の十分の一はレビ人たちのものとする。レビ人は、私たちの耕作するすべての町から十分の一を受け取る者たちである。
38 レビ人が十分の一を集めるとき、アロンの子孫である祭司が、そのレビ人とともにいなければならない。レビ人は、その十分の一の十分の一を私たちの神の宮へ携え上り、宝物倉の部屋に納めなければならない。
〔レビ人が治める十分の一は、祭司のためのものです。(筆者挿入)〕
39 この部屋に、イスラエルの子らとレビ人たちは、穀物、新しいぶどう酒、油の奉納物を携えて来るようになっているからである。そこには聖所の用具があり、また、当番の祭司や門衛や歌い手たちもいる。このようにして私たちは、自分たちの神の宮をなおざりにはしない。」”(2017)とあります。

 エルサレム城壁の奉献式の様子が、31-43節に次のように記されています。
“31 私〔ネヘミヤ(筆者挿入)〕はユダの長たちを城壁に上らせ、感謝の歌をささげる二つの大きな賛美隊として配置した。
 一組は城壁の上を右の方〔反時計回り(筆者挿入)〕に、〔谷の門から(筆者挿入)〕糞の門に向かって進んだ。32 彼らのうしろに続いて進んだ者は、ホシャヤとユダの長たちの半分、33 アザルヤ、エズラ、メシュラム、34 ユダ、ベニヤミン、シェマヤ、エレミヤであった。
〔32-34節の人々は、31節のユダの長たちの半分と思われる(注解付新改訳聖書の注)〕
35 祭司のうちのある者もラッパ〔金属製の長くまっすぐなラッパ(新聖書注解)〕を持って進んだ。まず、ヨナタンの子ゼカリヤ。
ヨナタンはシェマヤの子、シェマヤはマタンヤの子、マタンヤはミカヤの子、ミカヤはザクルの子、ザクルはアサフの子である。
36 次に、ゼカリヤの兄弟たちシェマヤ、アザルエル、ミラライ、ギラライ、マアイ、ネタンエル、ユダ、ハナニで、神の人ダビデの楽器を持って続いた。
学者エズラが彼らの先頭に立った。
37 彼らは泉の門のところで、城壁の上り口にあるダビデの町の階段をまっすぐに上り、ダビデの家の上を通って東の方の水の門〔水の門はキドロンの谷から城内に入る門(新共同訳スタディー版の注)〕に来た。
 38 感謝の歌をささげるもう一組の賛美隊は、左の方〔谷の門から時計回り(筆者挿入)〕に進んだ。私〔ネヘミヤ(筆者挿入)〕はそのうしろに従った。民の半分〔つかさたちの半分の意であろう(注解付新改訳聖書の注)〕は城壁の上を進み、炉のやぐらの上を通って、幅広の城壁のところに進み、39 エフライムの門の上を通り、エシャナの門を過ぎ、魚の門と、ハナンエルのやぐらと、ハ・メアのやぐらを過ぎて、羊の門まで進んだ。そして監視の門〔警備の門(新共同訳)〕で立ち止まった。
〔出発地点は南西部にある谷の門、到着地点は北壁の東側にある監視の門(警備の門)ということのようです(筆者挿入)〕
 40 こうして、感謝の歌をささげる二つの賛美隊は神の宮で位置についた。〔監視の門は神域に近い門です(筆者挿入)〕
私〔エレミヤ(筆者挿入)〕も、私とともにいた代表者たちの半分もそうした。
41 また祭司たち、エルヤキム、マアセヤ、ミンヤミン、ミカヤ、エルヨエナイ、ゼカリヤ、ハナンヤもラッパを持って、そこにいた。
42 また、マアセヤ、シェマヤ、エルアザル、ウジ、ヨハナン、マルキヤ、エラム、エゼルもいた。
こうして、歌い手たちは歌い、イズラフヤが指揮をした。
43 彼らはその日、数多くのいけにえを献げて喜んだ。神が彼らを大いに喜ばせてくださったからである。女も子どもも喜んだので、エルサレムの喜びの声ははるか遠くまで聞こえた。”(2017)とあります。

 おもに神殿奉仕者の任務について44-47節に次のように記されています。
“44 その日、財宝や、奉納物、初物や十分の一を納める部屋を管理する人たちが任命され、祭司とレビ人のために律法で定められた分を、町々の農地からそこに集めた。これは、職務に就いている祭司とレビ人をユダの人々が喜んだからである。
45 彼らは、自分たちの神への任務ときよめの任務を果たした。歌い手や門衛たちも同様であった。ダビデとその子ソロモンの命令のとおりである。
46 昔から、ダビデとアサフの時代から、歌い手たちのかしらたちがいて、神への賛美と感謝の歌がささげられた。
47 ゼルバベルの時代とネヘミヤの時代、全イスラエルは、歌い手と門衛のために定められた分を日ごとに渡していた。彼らはまたレビ人の分を聖別し、レビ人はアロンの子らの分を聖別していた。”(2017)とあります。

 44-47節について、実用聖書注解は次のように述べています。
“ユダヤ人が神の民にふさわしく聖く生き、喜んで主に仕えるのが、ネヘミヤの願いであった。そのため、奉献式の喜びの機会を用いて、正しい神礼拝が行われるように、必要な組織や任務の整備をした。人々のささげ物の管理者が任命されて、祭司やレビ人、歌うたいや神殿の門衛などの奉仕者たちが職務に専念できるようにした。これらの整備は、かつてダビデ王(1歴代誌23-26章)やソロモン王(2歴代誌8:14)が定めた制度に基づいて行われたと述べて(45-46)、新しい制度の確立ではなく、いつしか顧みられなくなった制度の復興を強調していよう。”とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
実用聖書注解の解説の中に、“ユダヤ人が神の民にふさわしく聖く生き、喜んで主に仕えるのが、ネヘミヤの願いであった。”とあります。
詩篇100篇には、“2 喜びをもって主に仕えよ。喜び歌いつつ御前に来たれ。3 私たちは主のもの主の民その牧場の羊。”(2017)とあります。
私たちキリスト者は、神の民であると共に神の子どもです。
神の子どもの立場にふさわしく聖く生き、喜びをもってあなたにお従いする者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 指揮者のために。ダビデの賛歌。
1 全地よ主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に向かって喜びの声をあげよ。
2 喜びをもって主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に仕えよ。喜び歌いつつ御前に来たれ。
3 知れ。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕こそ神。主〔原語は「フー」で「彼」(筆者挿入)〕が私たちを造られた。私たちは主〔原語の意は「彼」(筆者挿入)〕のもの、主〔原語の意は「彼」(筆者挿入)〕の民、その牧場の羊。
4 感謝しつつ主〔原語の意は「彼」(筆者挿入)〕の門に、賛美しつつその大庭に入れ。主〔原語の意は「彼」(筆者挿入)〕に感謝し御名をほめたたえよ。
5 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はいつくしみ深くその恵みはとこしえまでその真実は代々に至る。”(詩篇100篇・2017)

2021年10月 1日 (金)

ネヘミヤ記11章 居住地・居住者リスト

 エルサレムに住んでいた者とエルサレムへの移住民について1.2節には次のように記されています。
“1 民の指導者たちはエルサレムに住んでいたが、それ以外の民はくじを引いて、十人のうちから一人ずつ、聖なる都エルサレムに来て住むようにし、あとの九人をほかの町々に住まわせた。
2 民は、自分から進んでエルサレムに住もうとする人々をみな祝福した。”(2017)とあります。

 1節について、新聖書注解は、“一般の民は経済的理由からであろうが他の町々に住み、農耕地に近い所に住むことを選んだ。しかし城壁完成後は首都防衛上の必要(7:1-14)から、そして安全性が高まったことでもあり、住民増加をはかって、くじによる移住という政策が実施された。”述べています。

 2節を読むと、くじで当たった人以外にも自分から進んでエルサレムに住んだ人々がいたことが分かります。文面からするとエルサレムに住みたいと思う人は少なかったのでしょう。

 3-19節には、エルサレムの居住者リストが次のように記されています。
“3 エルサレムに住んだこの州のかしらたちは次のとおりである。ユダの町々には、イスラエルの人々、祭司、レビ人、宮のしもべたち、ソロモンのしもべたちの子孫が、それぞれ自分たちの町の自分の所有地に住んだ。
〔リビングバイブルは次のように意訳しています。“エルサレムに転居した地方の役人の名は、次のとおりです。しかし、大半の指導者、祭司、レビ人、神殿奉仕者、ソロモン臣下の子孫などは、故郷のユダの町々に住んでいました。”とあります。(筆者挿入)〕
 〔ユダ部族は4b-6節、ベニヤミン部族は7-9節、祭司の指導者では10-14節、レビ人は15-17節、門衛は19節に、エルサレムに住んだ人たちのリストが次のように記されています。(筆者挿入)〕
 4 エルサレムには、ユダ族とベニヤミン族のうちのある者が住んだ。
 ユダ族では、まずウジヤの子アタヤ。ウジヤはゼカリヤの子、ゼカリヤはアマルヤの子、アマルヤはシェファテヤの子、シェファテヤはマハラルエルの子、マハラルエルはペレツの子孫の一人である。5 次にバルクの子マアセヤ。バルクはコル・ホゼの子、コル・ホゼはハザヤの子、ハザヤはアダヤの子、アダヤはエホヤリブの子、エホヤリブはゼカリヤの子、ゼカリヤはシロ人の子孫である。6 エルサレムに住んだペレツの子孫は合計四百六十八人の勇士であった。
 7 ベニヤミン族では次のとおりである。まずメシュラムの子サル。メシュラムはヨエデの子、ヨエデはペダヤの子、ペダヤはコラヤの子、コラヤはマアセヤの子、マアセヤはイティエルの子、イティエルはエシャヤの子である。8 彼の次にガバイとサライで、九百二十八人。9 ジクリの子ヨエルが彼らの監督者であり、セヌアの子ユダがこの町の副監督者であった。
 10 祭司のうちでは、エホヤリブの子エダヤと、ヤキン、11 ヒルキヤの子セラヤであった。ヒルキヤはメシュラムの子、メシュラムはツァドクの子、ツァドクはメラヨテの子、メラヨテはアヒトブの子である。セラヤは神の宮のつかさであった。12 彼らの同族で宮の務めをする者は八百二十二人。また、エロハムの子アダヤ。エロハムはペラルヤの子、ペラルヤはアムツィの子、アムツィはゼカリヤの子、ゼカリヤはパシュフルの子、パシュフルはマルキヤの子である。13 アダヤの同族で一族のかしらたちは二百四十二人。また、アザルエルの子アマシュサイ。アザルエルはアフザイの子、アフザイはメシレモテの子、メシレモテはイメルの子である。14 彼らの同族の勇士たちは百二十八人。彼らの監督者はハゲドリムの子ザブディエルであった。
 15 レビ人のうちでは、ハシュブの子シェマヤ。ハシュブはアズリカムの子、アズリカムはハシャブヤの子、ハシャブヤはブンニの子である。16 また、レビ人のかしらのうちシャベタイとエホザバデは、神の宮の外まわりの仕事をつかさどっていた。17 また、ミカの子マタンヤ。ミカはアサフの子のザブディの子である。マタンヤは祈りの時に感謝の歌を歌い始める指導者、バクブクヤはその同族の副指導者であった。また、シャムアの子アブダ。シャムアはエドトンの子のガラルの子である。18 聖なる都にいるレビ人は合計二百八十四人であった。
 19 門衛では、アクブとタルモン、および門の見張りをする彼らの同族で、百七十二人であった。”(2017)とあります。

 1歴代誌9:1-3には、
“1 全イスラエルは系図に記載された。それは『イスラエルの王の書』にまさしく記されている。ユダは、その不信の罪のゆえに、バビロンに捕らえ移されていた。
2 彼らの所有地である彼らの町々に戻って来て最初に住みついたのは、イスラエルの人々、祭司たち、レビ人および宮のしもべたちであった。
3 エルサレムには、ユダ族、ベニヤミン族、エフライムおよびマナセ族の者が住んだ。”(2017)と記され、 
1歴代誌9:4-34には、捕囚からの期間後に、エルサレムに住んだ人々のリストが記されています。

 20.25-36節には、ユダ(この時代はペルシアのユダ州)の居住地リスト、及び一部の居住者について次のように記されています。
“20 そのほかのイスラエルの人々、祭司、レビ人たちは、ユダのすべての町で、それぞれ自分の相続地にいた。
 〔21-24節は、19節に続くものとして読んだ方が良さそうです(筆者挿入)〕
 21 宮のしもべたちはオフェル〔宮殿地区とダビデの町の間の場所でエルサレムの城内(筆者挿入)〕に住み、ツィハとギシュパは宮のしもべたちをつかさどっていた。
22 エルサレムにいるレビ人の監督者は、バニの子ウジであった。バニはハシャブヤの子、ハシャブヤはマタンヤの子、マタンヤはミカの子である。ウジはアサフの子孫の歌い手の一人で、神の宮の礼拝を指導していた。23 歌い手たちには王の命令が下っていて、日課が定められていた。
24 また、ユダの子ゼラフの子孫の一人で、メシェザブエルの子ペタフヤは、〔ペルシア帝国の使者として(筆者挿入)〕民に関するすべての事柄について王〔ペルシア帝国の王(筆者挿入)〕を助ける役を務めた。
 〔25-30節は、ユダ族の居住地リスト(筆者挿入)〕
 25 農地がある村々で、ユダの子孫の一部が住んだのは、キルヤテ・アルバとそれに属する村々、ディボンとそれに属する村々、エカブツェエルとその村々、26 ヨシュア、モラダ、ベテ・ペレテ、27 ハツァル・シュアル、ベエル・シェバとそれに属する村々、28 ツィクラグ、メコナとそれに属する村々、29 エン・リンモン、ツォルア、ヤルムテ、30 ザノアハ、アドラムとそれらに属する村々、ラキシュとその農地、アゼカとそれに属する村々であった。こうして彼らは、ベエル・シェバからヒノムの谷までの一帯に住みついた。
 〔31-36節は、ベニヤミン族の居住地リスト(筆者挿入)〕
 31 ベニヤミンの子孫は、ゲバから、ミクマス、アヤ、ベテルとそれに属する村々、32 アナトテ、ノブ、アナネヤ、33 ハツォル、ラマ、ギタイム、34 ハディデ、ツェボイム、ネバラテ、35 ロデとオノ、および職人の谷に住んだ。36 レビ人のうち、ユダにいたある組はベニヤミンに加わった。”(2017)とあります。

 余談になりますが、
キリスト者の永遠不変の国籍は御父の王国です(ピリピ3:20)。
キリスト者一人一人は、そこから地上のどこかへ遣わされているのです。そしてその場において、使節として祭司として労するのです。
パウロは、「私はこの福音のために、鎖につながれながらも使節の務めを果たしています。宣べ伝える際、語るべきことを大胆に語れるように、祈ってください。」(エペソ6:20・2017)とのべ、
ペテロは、「あなたがたは選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神のものとされた民です。それは、あなたがたを闇の中から、ご自分の驚くべき光の中に召してくださった方の栄誉を、あなたがたが告げ知らせるためです。」(1ペテロ2:9・2017)と述べています。
イエス様のたとえ話の中に、終末後の時代についての話ですが、御父の御国に返った者について、イエス様は、「そのとき、正しい人たちは彼らの父の御国で太陽のように輝きます。」(マタイ13:43・2017)と語られました。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
私たちキリスト者の一人一人は天のあなたの王国の名簿に名が記されていますことを感謝します。
あなたからこの世に遣わされたものとして、御霊に導かれ力を与えられて、祭司としてあなたをほめたたえ、人々とあなたとの間のとりなしの祈りをし、使節としてみことばを様々な方法を用いて伝えて行くことができますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。



2021年9月30日 (木)

ネヘミヤ記9:38-10:39{新改訳、口語訳、リビングバイブル訳(ヘブライ語聖書、新共同訳、聖書協会共同訳、岩波訳は。ネヘミヤ記10:1-40)} 誓約/新約の聖徒は御霊によって歩む

 押印して誓約を結んだ者たち(高官たち、レビ人たち、祭司たち)のリストが、9:38-10:27に次のように記されています。
“9:38 これらすべてのことのゆえに、私たちは文書をもって盟約〔誓約(新共同訳)〕を結んだ。そして、私たちの高官たち、レビ人たち、祭司たちはそれに印を押した。
10:1 印を押した者は次のとおりである。
 ハカルヤの子の総督ネヘミヤ、およびゼデキヤ、〔38節に高官たちと複数形なので、ゼデキヤは祭司ではなく高官なのでしょう(筆者挿入)〕
 2 セラヤ、アザルヤ、エレミヤ、3 パシュフル、アマルヤ、マルキヤ、4 ハトシュ、シェバンヤ、マルク、5 ハリム、メレモテ、オバデヤ、6 ダニエル、ギネトン、バルク、7 メシュラム、アビヤ、ミヤミン、8 マアズヤ、ビルガイ、シェマヤ。以上は祭司たち〔2-8節は祭司たち(筆者挿入)〕であった。
 9 レビ人では、アザンヤの子ヨシュア、ヘナダデの子らのうちのビヌイ、カデミエル、10 および彼らの親類で、シェバンヤ、ホディヤ、ケリタ、ペラヤ、ハナン、11 ミカ、レホブ、ハシャブヤ、12 ザクル、シェレベヤ、シェバンヤ、13 ホディヤ、バニ、ベニヌ。
 14 民のかしらでは、パルオシュ、パハテ・モアブ、エラム、ザト、バニ、15 ブンニ、アズガデ、ベバイ、16 アドニヤ、ビグワイ、アディン、17 アテル、ヒゼキヤ、アズル、18 ホディヤ、ハシュム、ベツァイ、19 ハリフ、アナトテ、ネバイ、20 マグピアシュ、メシュラム、ヘジル、21 メシェザブエル、ツァドク、ヤドア、22 ペラテヤ、ハナン、アナヤ、23 ホセア、ハナンヤ、ハシュブ、24 ハ・ロヘシュ、ピルハ、ショベク、25 レフム、ハシャブナ、マアセヤ、26 アヒヤ、ハナン、アナン、27 マルク、ハリム、バアナ。”(2017)とあります。

 押印にはよらず、誓約に加わった人々について28.29節に次のように記されています。
“28 このほかの民、祭司、レビ人、門衛、歌い手〔詠唱者(聖書協会共同訳)、聖歌隊員(リビングバイブル)〕、宮のしもべたち〔神殿奉仕者(リビングバイブル)〕、また、諸国の民と関係を絶って神の律法についた者全員、その妻、息子、娘たち、すべて理解できるまでになった者は、29 彼らの親類のすぐれた人々と歩調を合わせつつ、神のしもべモーセを通して与えられた神の律法に歩み、私たちの主、主のすべての命令、その定めと掟を守り行うという、次のような、のろいの誓いに加わった。”(2017)とあります。

 誓約の内容は30-39節に次のように記されています。
“30 「私たちの娘をこの地の民に与えず、また、彼らの娘を私たちの息子の妻としない。
31 諸国の民が安息日に商品、あるいはどんな穀物を売りに持って来ても、私たちは安息日や聖なる日には彼らから買わない。
また、私たちは七年目には土地を休ませ、あらゆる負債を免除する。
32 私たちは、自分たちの神の宮での礼拝のために、毎年シェケルの三分の一を献げる義務を自らに課す。33 これは、並べ供えるパンと常供の穀物のささげ物のため、常供の全焼のささげ物のため、安息日、新月の祭り、例祭、聖なるささげ物のため、そしてイスラエルの宥めを行う罪のきよめのささげ物のため、および私たちの神の宮のすべての用途のためである。
34 また私たち、祭司とレビ人と民は、薪のささげ物について、毎年定められた時に、父祖の家ごとに神の家に携えて来ることを、くじによって決める。律法に記されているとおり、私たちの神、主の祭壇の上で燃やすためである。
35 また、私たちの土地の初なりと、あらゆる木の初なりの果実をすべて、毎年、主の宮に携えて来ることに決める。36 また、律法に記されているとおり、私たちの子どもと家畜の初子、私たちの牛や羊の初子を、私たちの神の宮に、私たちの神の宮で仕えている祭司たちのところに携えて来ることに決める。37 また、私たちの初物の麦粉と奉納物、およびあらゆる木の果実、新しいぶどう酒と油を祭司たちのところに、私たちの神の宮の部屋に携えて来る。また、私たちの土地の十分の一はレビ人たちのものとする。レビ人は、私たちの耕作するすべての町から十分の一を受け取る者たちである。
38 レビ人が十分の一を集めるとき、アロンの子孫である祭司が、そのレビ人とともにいなければならない。レビ人は、その十分の一の十分の一を私たちの神の宮へ携え上り、宝物倉の部屋に納めなければならない。
39 この部屋に、イスラエルの子らとレビ人たちは、穀物、新しいぶどう酒、油の奉納物を携えて来るようになっているからである。そこには聖所の用具があり、また、当番の祭司や門衛や歌い手たちもいる。このようにして私たちは、自分たちの神の宮をなおざりにはしない。」”(2017)とあります。

 誓約内容のまとめ
1.雑婚をしないこと(30)
2.安息日に物を買わないこと(31)
3.安息年(七年目)の規定を守ること(31)
4.神殿祭儀を維持するための責任を果たすこと(32.33)
5.祭壇用の薪のささげものをすること(34)
6.各種の初なりのものを奉献すること(35-37前半)
7.十分の一のささげ物規定を守ること(37後半-38)

 雑婚禁止に関連する律法は、申命記7:3に、
“彼ら〔ヒッタイト人、ギルガシ人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、およびエブス人(申命記7:1)及びその他の異国人(筆者挿入)〕と姻戚関係に入ってはならない。あなたの娘をその息子に嫁がせたり、その娘をあなたの息子の妻としたりしてはならない。”(2017)と記されています。

 安息日に関する律法は、申命記5章に、
“12 安息日を守って、これを聖なるものとせよ。あなたの神、主が命じたとおりに。
13 六日間働いて、あなたのすべての仕事をせよ。
14 七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはいかなる仕事もしてはならない。あなたも、あなたの息子や娘も、それにあなたの男奴隷や女奴隷、牛、ろば、いかなる家畜も、また、あなたの町囲みの中にいる寄留者も。そうすれば、あなたの男奴隷や女奴隷が、あなたと同じように休むことができる。
15 あなたは自分がエジプトの地で奴隷であったこと、そして、あなたの神、主が力強い御手と伸ばされた御腕をもって、あなたをそこから導き出したことを覚えていなければならない。それゆえ、あなたの神、主は安息日を守るよう、あなたに命じたのである。”(2017)と記され、
 エレミヤ書17章には、
“21 主はこう言われる。あなたがた自身、気をつけて、安息日に荷物を運ぶな。また、それをエルサレムの門の内に持ち込むな。
22 また、安息日に荷物を家から出すな。いかなる仕事もするな。安息日を聖なるものとせよ。”(2017)と記されています。

 安息年に関する律法は、
七年目は地の全き休みのための安息、主の安息となる。あなたの畑に種を蒔いたり、ぶどう畑の刈り込みをしたりしてはならない。”(レビ25:4・2017)と記され、
七年目には、その土地をそのまま休ませておかなければならない。民の貧しい人々が食べ、その残りを野の生き物が食べるようにしなければならない。ぶどう畑、オリーブ畑も同様にしなければならない。”(出エジプト23:11・2017)と記されています。

 神殿祭儀を維持するための責任に関する律法には、
“11 主はモーセに告げられた。
12 「あなたがイスラエルの子らの登録のためにその頭数を調べるとき、各人はその登録にあたり、自分のたましいの償い金を主に納めなければならない。これは、彼らの登録にあたり、彼らにわざわいが起こらないようにするためである。
13 登録される者がそれぞれ納めるのは、これである。 聖所のシェケルで半シェケル。一シェケルは二十ゲラで、半シェケルが主への奉納物である。
14 二十歳またそれ以上の者で、登録される者はみな、主にこの奉納物を納める。
15 あなたがたのたましいのために宥めを行おうと、主に奉納物を納めるときには、 富む人も半シェケルより多く払ってはならず、 貧しい人もそれより少なく払ってはならない。
16 イスラエルの子らから償いのための銀を受け取ったなら、それを会見の天幕の用に充てる。”(出エジプト30章・2017)と記されています。

 祭壇の火を絶やしてはいけないという律法は、
“12 祭壇の火はそのまま燃え続けさせ、それを消してはならない。祭司は朝ごとに、その上に薪をくべ、その上に全焼のささげ物を整え、その上で交わりのいけにえの脂肪を焼いて煙にする。
13 火は絶えず祭壇の上で燃え続けさせなければならない。消してはならない。”(レビ記6章・2017)と記されています。

 初穂のものを主にささげるということについての律法は、
あなたの土地の初穂の最上のものを、あなたの神、主の家に持って来なければならない。”(出エジプト23:19)と記され、
あなたの土地から取れる初穂の最上のものを、あなたの神、主の家に持って来なければならない。”(出エジプト34:26・2017)と記されています。

 十分の一の規定についての律法は、
“24 イスラエルの子らが奉納物として主に献げる十分の一を、わたしが相続のものとしてレビ人に与えるからである。
26 「あなたはレビ人に告げなければならない。わたしがあなたがたに相続のものとして与えた十分の一をイスラエルの子らから受け取るとき、あなたがたはその十分の一の十分の一を、主への奉納物として献げなさい。
27 これは、打ち場からの穀物や、踏み場からの豊かなぶどう酒と同じように、あなたがたの奉納物と見なされる。
28 こうして、あなたがたもまた、イスラエルの子らから受け取るすべての十分の一の中から、主への奉納物を献げなさい。その中から主への奉納物を祭司アロンに与えなさい。
29 あなたがたへのすべての贈り物のうち、それぞれの最上の部分で聖別される分から主へのすべての奉納物を献げなさい。
”(民数記18章・2017)と記されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
捕囚後帰還したイスラエルの民は、主が与えられた律法に従って歩むということを心に定めた様子が記されています。
私たちキリスト者には、あなたは、「御霊によって(or御霊に従って)歩みなさい」とガラテヤ5:16で命じられ、また「御霊に従って歩む私たちのうちに、律法の要求が満たされる」とローマ8:4で教えてくださっておられます。
イエス様を信じた時に与えられた御聖霊との交わりが深くされて、あなたの御言葉のように、常に御霊によって歩み続けることができますようお整え下さい。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2021年9月29日 (水)

ネヘミヤ記9:1-37 罪の告白

 仮庵の祭の二日後に、イスラエルの民は、罪の告白をし、礼拝をしたことが1-5節に次のように記されています。
“1 その月の二十四日〔仮庵の祭が終わって二日後(筆者挿入)〕に、イスラエルの子らは集まって断食をし、粗布をまとって土をかぶった〔悲しみと謙遜、悔い改めの表現(筆者挿入)〕。
2 イスラエルの子孫はすべての異国の人々と関係を絶ち〔異邦人との雑婚、及び異教的慣習から身を聖別した、の意(注解付新改訳聖書の注)〕、立ち上がって、自分たちの罪と先祖の咎を告白した。
3 彼らはそれぞれ所定のところに立って、昼の四分の一は、彼らの神、主のみおしえの書を朗読し、次の四分の一は、彼らの神、主に告白をして礼拝した。
4 ヨシュア、バニ、カデミエル、シェバンヤ、ブンニ、シェレベヤ、バニ、ケナニはレビ人の台の上に立ち、彼らの神、主に向かって大声で叫んだ。
5 レビ人のヨシュア、カデミエル、バニ、ハシャブネヤ、シェレベヤ、ホディヤ、シェバンヤ、ペタフヤは言った。
「立ち上がって、あなたがたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕をほめたたえよ。
とこしえからとこしえまで。
あなた〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の栄光の御名はほむべきかな。すべての祝福と賛美の上に高く上げられて。〔すべての祝福と賛美を越えるあなたの栄光の御名はほむべきかな。(第三版)〕」”(2017)とあります。

 告白の祈りが6-31節に次のように記されています。
“6 「ただ、あなただけが主です。〔申命記5:6.7、6:4への応答(筆者挿入)〕
あなたは天と、天の天と、その万象を、地とその上のすべてのものを、海とその中にあるすべてのものを造られました。〔創世記1章への応答(筆者挿入)〕
あなたはそのすべてを生かしておられます。〔申命記32:39等への同意(筆者挿入)〕
天の万象〔「軍勢」(新共同訳、口語訳、第三版)〕はあなたを伏し拝んでいます。
〔余談になりますが、御使いたちがヤハウェ(主)の御前に伏して、ヤハウェ(主)を礼拝しているのを見ることができるのは黙示録7:11.12です。(筆者挿入)〕
 7 あなたこそ神である主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕です。あなたはアブラムを選んでカルデア人のウルから連れ出し、その名をアブラハムとされました。〔創世記11:31、12:4、17:5(筆者挿入)〕
 8 彼の心が御前に忠実であるのを見て、あなたは彼と契約を結び〔創世記17:4.5(筆者挿入)〕、カナン人、ヒッタイト人、アモリ人、ペリジ人、エブス人、ギルガシ人の地を彼の子孫に与えるとされました。〔創世記15:18-21(筆者挿入)〕
そしてその約束を果たされました。あなたは正しい方だからです。」〔ヨシュア記(筆者挿入)〕
 9 あなたはエジプトで私たちの先祖の苦難を見て、葦の海のほとりで、その叫びを聞かれました。〔出エジプト1.2章。エジプト全体から見るとイスラエル人が住んでいたゴシェンの地は葦の海に近い(筆者挿入)〕
 10 ファラオとそのすべての家臣、その国のすべての民に対して、数々のしるしと不思議を行われました。〔出エジプト7-12章(筆者挿入)〕
彼らが私たちの先祖に対して傲慢にふるまったのを、あなたがみこころに留められたからです。こうして、今日あるとおり、あなたは名をあげられました。
 11 あなたは私たちの先祖の前で海を裂き、彼らは海の真ん中の乾いた地面を渡りました。追っ手は、奔流に呑み込まれる石のように、あなたが海の深みに投げ込まれました。〔出エジプト14:16-30(筆者挿入)〕
 12 昼は雲の柱の中にあって彼らを導き、夜は火の柱の中にあってその行くべき道を照らされました。」〔出エジプト13:21.22(筆者挿入)〕
 13 あなたはシナイ山の上に下り、天から彼らと語り、正しい定めと、まことのみおしえ、良き掟と命令を彼らにお与えになりました。〔出エジプト19:18-31:18(筆者挿入)〕
 14 あなたの聖なる安息を彼らに教え、あなたのしもべモーセを通して、命令と掟とみおしえを彼らに命じられました。」〔中心的内容は、出エジプト20:1-17(筆者挿入)〕
 15 彼らが飢えたときには、天からパンを与え、渇いたときには、岩から水を出し、〔出エジプト16-17:7(筆者挿入)〕
彼らに与えると誓われたその地に入ってそこを所有するよう、彼らに命じられました。」〔民数記13:2、33:51-53、申命記1:8(筆者挿入)〕
 16 しかし彼ら、私たちの先祖は傲慢にふるまい、うなじを固くし、あなたの命令に聞き従いませんでした。17 彼らは聞き従うことを拒み、彼らの間で行われた奇しいみわざを思い出さず、かえってうなじを固くし、かしらを立てて、逆らって奴隷の身に戻ろうとしました。〔民数記13:31-14:4(筆者挿入)〕
それにもかかわらず、あなたは赦しの神であり、情け深く、あわれみ深く、怒るのに遅く、恵み豊かであられ、彼らをお捨てになりませんでした。」
 18 彼らが自分たちのために鋳物の子牛を造り、『これが、あなたをエジプトから導き上ったあなたの神だ』と言って、ひどい侮辱を加えたときでさえ、19 あなたは大きなあわれみをかけ、彼らを荒野に見捨てられませんでした。昼は雲の柱が彼らから離れず、道中を導き、夜は火の柱が、行くべき道を照らしました。〔出エジプト32章、40:38(筆者挿入)〕
 20 あなたは、彼らを賢くしようと、ご自分の良き霊を与え〔民数記11:16.17(筆者挿入)〕、彼らの口からあなたのマナを絶やさず〔出エジプト16:14-35、民数記11:7-9(筆者挿入)〕、彼らが渇いたときには水を与えられました〔出エジプト17:1-6、民数記20:1-11(筆者挿入)〕。
 21 四十年の間、あなたは彼らを養われました。彼らは荒野で何も不足することなく、上着はすり切れず、足も腫れませんでした。」〔申命記2:7、8:4(筆者挿入)〕
 22 あなたは諸王国と諸民族を彼らに渡し、それらを領地として割り当てられました。彼らはシホンの地、ヘシュボンの王の地と、バシャンの王オグの地を所有しました。〔民数記21:21-35(筆者挿入)〕
 23 あなたは彼らの子孫を空の星のように増やし〔申命記1:10(筆者挿入)〕、彼らの先祖たちに、『入って行って所有せよ』と言った地に、彼らを導き入れられました。24 その子孫は入って行って、その地を所有しました。あなたは、この地の住民、カナン人を彼らの前に屈服させて、その手に渡し、王たちとその地の人々を、彼らの思いのままに扱わせました。25 こうして、彼らは城壁のある町々と肥えた土地を攻め取り、あらゆる良い物に満ちた家、掘り井戸とぶどう畑、そしてオリーブと果樹を、豊かに手に入れました。彼らは食べて満腹し、肥え太って、あなたの大いなる恵みを楽しみました。」〔ヨシュア記(筆者挿入)〕
 26 「しかし、彼らはあなたに逆らい、反逆して、あなたの律法をうしろに投げ捨て、あなたに立ち返らせようとして彼らを戒めたあなたの預言者たちを殺し、数々のひどい侮辱を加えました。27 そこであなたは彼らを敵の手に渡され、敵が彼らを苦しめました。彼らがその苦難の時にあなたに叫び求めると、あなたは天からこれを聞き入れ、あなたの大いなるあわれみによって救う者たちを彼らに与え、敵の手から救われるようにしてくださいました。28 しかし、一息つくと、彼らはまたあなたの前に悪事を行いました。あなたは彼らを敵の手に捨て置き、敵が彼らを支配しました。彼らが再びあなたに叫び求めると、あなたは天からこれを聞き入れ、あわれみによって、たびたび彼らを救い出されました。」
〔26-28節は、概ね(おおむね)士師記。26節の「彼らを戒めたあなたの預言者たちを殺し」という内容に合致する聖書箇所は王国時代の1列王記18:4、19:10、2歴代誌24:20-22(筆者挿入)〕
 29 「あなたは彼らを戒めて、あなたの律法に立ち返らせようとされました。しかし、彼らは傲慢にふるまい、あなたの命令に聞き従わず、その命令を行う人は、それによって生きるというあなたの定めに背いて罪を犯し、肩を怒らして、うなじを固くし、聞き入れようとはしませんでした。30 それでも、あなたは何年も彼らを忍び、あなたの霊により、あなたの預言者たちを通して彼らを戒められましたが、彼らは耳を傾けませんでした。そのため、あなたは彼らを地のもろもろの民の手に渡されました。31 しかし、あなたはその大いなるあわれみにより、彼らを滅ぼし尽くすことはせず、お見捨てにもなりませんでした。あなたは、情け深くあわれみ深い神です。」
〔29-31節は、全イスラエルからなる王国が、10部族と2部族に分裂した後の王国時代からここで祈られている時代までを大まかに述べています(筆者挿入)〕
”(2017)とあります。

 憐れみを求める祈りが32-37節に次のように記されています。
“32 私たちの神、大いなる神よ。力強く恐るべき方、契約と恵みを守られる方よ。
今、アッシリアの王たちの時代〔イスラエルへのアッシリアの侵攻の時代(筆者挿入)〕から今日〔B.C.445年第7の月の24日{ネヘミヤ2:1、6:15、8:2、9:1等を参照}(筆者挿入)〕まで、私たちと私たちの王たち、高官たち、祭司、預言者、私たちの先祖、また、あなたの民全体に降りかかった困難をみな、どうか小さなことと見なさないでください。
33 私たちに降りかかったすべてのことにおいて、あなたは正しくあられます。あなたは真実を行われましたが、私たちは悪を行ったのです。
34 私たちの王、高官、祭司、先祖たちはあなたの律法を守らず、あなたがお与えになった命令と警告にも、耳を傾けませんでした。35 彼らは自分たちの王国の中で、あなたが下さったその大きな恵みの中で、また、あなたが彼らの前に置かれた、広くて肥えた土地にいても、あなたに仕えず、また自分たちの悪い行いから立ち返ることもありませんでした。
36 ご覧ください。私たちは今、奴隷です〔ネヘミヤの時代、ユダ州を治めているのはアケメネス朝ペルシア(筆者挿入)〕。私たちが実りと良い物を食べられるようにと、あなたが先祖に与えてくださった、この地で。ご覧ください。私たちは奴隷です。
37 私たちの罪のゆえに、この地の豊かな産物は、あなたが私たちの上に立てられた王たちのものとなっています。彼らは私たちのからだを支配し、家畜も彼らの思いのままです。私たちは大きな苦しみの中にいます。」”(2017)とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
イスラエルの時代を俯瞰すると、指導者があなたに従った時々もありましたが、背教の時代も多く、特に国が滅ぼされ前の時代は背教の程度もひどい状態であったことを覚えます。
あなたは、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約の故に、あなたご自身の御性質の故に、契約を反故にすることはなく、あなたに背教し続けた民を裁いて滅ぼし尽くしてしまうことをせず、矯正し、あなたのみ前に立つことができるようにさせてくださっておられることを覚えます。
私たちキリスト者も、私たちの行いに対して、あなたが対処したとしたら、「義人はいない。一人もいない。」とある通り、すべての者が滅ぼされてしまうことです。
しかし憐れみ豊かなあなたは、イエス・キリストの贖いの故に、私たち主キリスト・イエスを信じた者を救ってくださいました。
救われた後にも罪を犯すことはたびたびありますが、義なるあなたは、イエス・キリストの贖いの故に、私たちが罪を告白すれば、きよめてくださる恵みを与えてくださっておられます。
私たちは、キリスト・イエスを通してあなたに見られている存在とされておりますことを感謝します。
願わくは、日々、あなたに喜ばれる歩みをしていくことができますようお整え下さい。
あなたの御名を崇め、私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・・・・・
 “事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。”(エペソ2:8・新共同訳)
 “あなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました。”(1コリント1:30・2017)
 “私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。”(1ヨハネ1:9・2017)

2021年9月28日 (火)

ネヘミヤ記7:72後半-8:18 律法の朗読と仮庵の祭/キリストの千年王国、新天新地、花婿と花嫁の結婚

 エルサレム城壁の完成は、エルルの月すなわち第6の月の25日でした(ネヘミヤ6:15)。
第7の月の第1日の規定として、レビ23:23-25には、
“23 主はモーセにこう告げられた。
24 「イスラエルの子らに告げよ。第七の月の一日はあなたがたの全き休みの日であり、角笛を吹き鳴らして記念する聖なる会合を開く。25 あなたがたは、いかなる労働もしてはならない。食物のささげ物〔原語は「イシャー」で「焼いた献げもの」の意で(筆者挿入)、新共同訳はその後の文も含めて「燃やして主にささげる献げ物を携えなさい」と訳し、第三版は「火によるささげ物」と訳しています。(筆者挿入)〕を主に献げなさい。」”(2017)と記されています。
 
 7:72後半部分-8:1前半部分には、おそらく第7の月の1日に、イスラエルの民全体がエルサレムの水の門(ギホンの泉の近く)に集まってきたことが次のように記されています。
“7:72 ・・・。イスラエルの子らは自分たちの町々にいたが、第七の月が来たとき、
8:1前半 民全体が、一斉に水の門の前の広場に集まって来た。”(2017)とあります。

 8:1後半には、イスラエルの民が、エズラに律法の書を持ってくるように願ったことが次のように記されています。
“そして彼らは、主がイスラエルに命じたモーセの律法の書を持って来るように、学者エズラに言った。”(2017)とあります。

 エズラによる律法の朗読が行われました。そして律法の御言葉を聞いた民は耳を傾け、かつ理解し、主をほめたたえて礼拝すると共に、自分たちの罪に悲しみの涙も流したこと、その後に主との交わりの食事を楽しんだことが、1-12節に次のように記されています。
“2 そこで、第七の月の一日に祭司エズラは、男、女、および、聞いて理解できる人たちすべてからなる会衆の前に律法を持って来て、3 水の門の前の広場で夜明けから真昼まで、男、女、および理解できる人たちの前で、これを朗読した。
民はみな律法の書に耳を傾けた。
4 学者エズラは、このために作られた木の壇の上に立った。
彼のそばには、右手にマティテヤ、シェマ、アナヤ、ウリヤ、ヒルキヤ、マアセヤが立ち、左手にペダヤ、ミシャエル、マルキヤ、ハシュム、ハシュバダナ、ゼカリヤ、メシュラムが立った。
5 エズラは民全体の目の前で、その書〔書は巻物になっています(筆者挿入)〕を開いた。
彼は民全体よりも高いところにいたのである。
彼がそれを開くと、民はみな立ち上がった。
6 エズラが大いなる神、主をほめたたえると、民はみな両手を上げながら「アーメン、アーメン」と答え、ひざまずき、顔を地に伏せて主を礼拝した。
7 ヨシュア、バニ、シェレベヤ、ヤミン、アクブ、シャベタイ、ホディヤ、マアセヤ、ケリタ、アザルヤ、エホザバデ、ハナン、ペラヤなどレビ人たちは、民に律法を解き明かした。その間、民はその場に立っていた。8 彼らが神のみおしえの書を読み、その意味を明快に示したので、民は読まれたことを理解した。
〔7.8節を、リビングバイブルは次のように意訳しています。“エズラが巻物を読み上げると、レビ人のヨシュア、バニ、シェレベヤ、ヤミン、アクブ、シャベタイ、ホディヤ、マアセヤ、ケリタ、アザルヤ、エホザバデ、ハナン、ペラヤなどが人々の中に入って行き、その個所の意味を説明しました。”とあります。(筆者挿入)〕
 9 総督であるネヘミヤと、祭司であり学者であるエズラと、民に解き明かすレビ人たちは、民全体に向かって言った。
「今日は、あなたがたの神、主にとって聖なる日である。悲しんではならない。泣いてはならない。」
民が律法のことばを聞いたときに、みな泣いていたからである。
〔民が泣いた理由について、新共同訳スタディ版の注は、“自分たちが律法を守って来なかったことを知ったからである。”と述べています。(筆者挿入)〕
10 さらに、彼は彼らに言った〔「そして彼らに言った」(口語訳)、ヘブライ語聖書には「彼は」の語はありません。「彼は」の箇所を→新共同訳、聖書協会共同訳は、「彼らは」と訳しています。(筆者挿入)〕。「行って、ごちそう〔原語は「マシュマーン」で、脂身、こってりとした料理、ごちそうの意(筆者挿入)〕を食べ、甘いぶどう酒を飲みなさい。何も用意できなかった人には食べ物を贈りなさい。今日は、私たちの主にとって聖なる日である。悲しんではならない。主を喜ぶことは、あなたがたの力だからだ。」
〔「主を喜ぶことは、あなたがたの力です。」(口語訳)という訳が直訳ですが、新共同訳は、「主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である。」と訳し、岩波訳は、「ヤハウェにある喜びこそがあなたがたの力の源泉である。」と訳しています。(筆者挿入)〕
11 レビ人たちも、民全体を静めながら言った。
「静まりなさい。今日は聖なる日だから。悲しんではならない。」
12 こうして、民はみな帰って行き、食べたり飲んだり、ごちそうを贈ったりして、大いに喜んだ。教えられたことを理解したからである。”(2017)とあります。

 イスラエルの民が律法に従い仮庵の祭を行ったことが13-18節に次のように記されています。
“13 二日目に、民全体の一族のかしらたちと、祭司たち、レビ人たちは、律法のことばをよく調べるために、学者エズラのところに集まって来た。
14 そして彼らは、主がモーセを通して命じた律法に次のように書かれているのを見出した。
すなわち、「イスラエルの子らは第七の月の祭りの間、仮庵の中に住まなければならない〔レビ23:33-36参照(筆者挿入)〕。
15 また、『山へ出て行き、オリーブの葉、野生のオリーブの木の葉、ミルトスの葉、なつめ椰子の葉、また茂った枝木などの枝を取って来て、書かれているとおりに仮庵を作るように』と、自分たちのすべての町とエルサレムに通達を出して、知らせなければならない」とあった。
16 そこで民は出て行き、枝を取って来て、それぞれ自分の家の屋根の上や庭の中、また神の宮の庭、水の門の広場、エフライムの門の広場に、自分たちのために仮庵を作った。
17 捕囚から帰って来た全会衆は仮庵を作り、その仮庵に住んだ。ヌンの子ヨシュアの時代から今日まで、イスラエルの子らはこのようにしていなかったので、それは非常に大きな喜びであった。
18 神のみおしえの書は、最初の日から最後の日まで毎日朗読された。祭りは七日間祝われ、八日目には定めにしたがって、きよめの集会が行われた。”(2017)とあります。

 レビ23章には次のように記されています。
“33 主はモーセにこう告げられた。
34 「イスラエルの子らに告げよ。この第七の月の十五日には、七日間にわたる主の仮庵の祭りが始まる。
35 最初の日には、聖なる会合を開く。あなたがたは、いかなる労働もしてはならない。
36 七日間、あなたがたは食物のささげ物を主に献げなければならない。八日目も、あなたがたは聖なる会合を開かなければならない。あなたがたは食物のささげ物を主に献げる。これはきよめの集会であり、いかなる労働もしてはならない。/
39 特に、あなたがたがその土地の収穫をし終える第七の月の十五日には、七日間にわたる主の祭りを祝わなければならない。最初の日は全き休みの日であり、八日目も全き休みの日である。
40 最初の日に、あなたがたは自分たちのために、美しい木の実、なつめ椰子の葉と茂った木の大枝、また川辺の柳を取り、七日間、あなたがたの神、主の前で喜び楽しむ
41 年に七日間、主の祭りとしてこれを祝う。これはあなたがたが代々守るべき永遠の掟であり、第七の月に祝わなければならない。
42 あなたがたは七日間、仮庵に住まなければならない。イスラエルで生まれた者はみな仮庵に住まなければならない。
43 これは、あなたがたの後の世代が、わたしがエジプトの地からイスラエルの子らを導き出したとき、彼らを仮庵に住まわせたことを知るためである。わたしはあなたがたの神、主である。」”(2017)とあります。

 余談になりますが、
仮庵の祭は、ヤハウェ(主)がエジプトの地からイスラエルの子らを導き出したとき、彼らを仮庵に住まわせたことを記念し、感謝し、ヤハウェ(主)をほめたたえるときでもありますが、また収穫の感謝の時でもあり、更には、キリストの千年王国の予型でもあります。
 レビ23:42には、“あなたがたは七日間、仮庵に住まなければならない。”とあります。
「七日間」の「七」は完全数で、予型としては、キリストの千年王国の全期間を表しています。
 「仮庵」は、ヤハウェ(主)が、永遠に存続する新天新地(イザヤ65:17、黙示録21:1-22:5参照)を新たに創造なさる前段階の時代の予型でもあります。
 キリストの千年王国時代には、悪魔(サタン)悪霊は地上にはいません。悪魔用の牢獄に入れられています(黙示録20:1-3a)。
そして、キリスト様が、イスラエルの中心のエルサレムにおられるのです。
イスラエルの中心に神が臨在されるのです。創世記3章のエデンの園におけるアダムとエバの堕罪前の状態に似ています{しかし違いはあります(イザヤ2:1-4、ゼカリヤ14:16-31、エゼキエル40-48章、その他参照)}。
 キリストの千年王国に入る前に、天において、花婿キリスト・イエス様と花嫁教会(キリスト者の総体)の婚礼の儀が天において行われます(黙示録19:6-9)。
天における花婿キリスト・イエス様と花嫁教会の婚礼の儀は、花嫁教会を構成するキリスト者が霊の体を頂いた後のことですが、地上にあっても、キリスト者は霊において御子キリストの霊と一つとされています。これはキリストとの霊における結婚です。
1コリント6:17には、“主と交わる者は、主と一つの霊となるのです。”(聖書協会共同訳)と記されています。
主とはキリストの霊です。
ローマ8:9には、「神の霊があなたがたの内に宿っているなら、あなたがたは肉の内にではなく霊の内にあります。キリストの霊を持たない者は、キリストに属していません。」(聖書協会共同訳)と記されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
あなたからの驚くべき恵みを感謝します。
あなたの御厚意を踏みにじるようなことをせず、あなたの御厚意に叶った歩み、霊の人としての歩みをし続けることができますよう祝福してください。
御名を崇め感謝して、私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2021年9月27日 (月)

ネヘミヤ7:1-72前半 帰還した人々の人数リスト他

 エルサレム城壁の完成、ヤハウェ(主)に仕える者たちの任命、エルサレムの警備について1-4節には次のように記されています。
“1 城壁が築き直され、私が扉を取り付けたとき、門衛、歌い手、レビ人が任命された。
2 私は兄弟ハナニとこの城の長〔要塞の長(新共同訳)〕ハナンヤに、エルサレムを治めるように命じた。これは、ハナンヤが誠実な人であり、多くの人にまさって神を恐れていたからであった。
3 私は彼らに言った。「太陽が高く昇って暑くなるまでは、エルサレムの門を開けてはならない。そして彼らが警備に立っている間に、門をしっかりと閉じておきなさい。エルサレムの住民を、それぞれ物見のやぐらか自分の家の前に、見張りとして立てなさい〔またエルサレムの住民の中から番兵を立てて、おのおのにその所を守らせ、またおのおのの家と向かい合う所を守らせよ(口語訳)〕。」
4 この町は広々としていて大きかったが、その中の住民は少なく、家もまだ十分に建てられていなかった。”(2017)とあります。

  城壁が築き直され、扉が取り付けた(1)ところで、城壁再建が終了しました。
その後ネヘミヤは、門衛、歌い手、レビ人を任命しました(1)。
ネヘミヤは、自分の兄弟のハナニと要塞の長ハナンヤにエルサレムの行政を託しました(2)。
ハナンヤを用いた理由は、ハナンヤが誠実で、だれよりも神を畏れる人物であったからでした(2)。

 3節に、「太陽が高く昇って暑くなるまでは、エルサレムの門を開けてはならない。そして彼らが警備に立っている間に、門をしっかりと閉じておきなさい。エルサレムの住民を、それぞれ物見のやぐらか自分の家の前に、見張りとして立てなさい。」とあります。
普通城門は、日の出に開門し、日没に閉門します。しかし、防衛の働きをする人数がまだ少なかったので、開門時間を短くしたのでしょう。それ故、警備のためにエルサレムの住民の力も必要とされました。

 防衛の働き人が少なかったのは、4節に、“この町は広々としていて大きかったが、その中の住民は少なく、家もまだ十分に建てられていなかった。”(2017)とあることからも分かります。

 新共同訳スタディ版の注は、当時の人口を次のように述べています。
“ユダ王国の滅亡以後、町の人口は激減し、捕囚後の当初は2万人に満たなかったとも言われる。”とあります。

 ダビデ王の晩年のレビ人に関係する記述が1歴代誌23:3-5節に次のように記されています。
“3 レビ人のうち、三十歳以上の者を数えたところ、その男子の頭数は三万八千人であった。4 「そのうち、主の宮の務めを指揮する者は二万四千人、つかさとさばき人は六千人、5 四千人は門衛となり、四千人は私が賛美するために作った楽器を手にして、主を賛美する者となりなさい。」”(2017)とあります。
 ところが、ネヘミヤ7:45には、“門衛は、シャルム族、アテル族、タルモン族、アクブ族、ハティタ族、ショバイ族、百三十八人”とあり、
7:44には、“歌い手は、アサフ族、百四十八人。”とあり、
7:43には、“レビ人は、ホダウヤ族のヨシュアとカデミエルの二族、七十四人。”(2017)と記されています。
 上記の人数を見ると、3節のネヘミヤの次の言葉の背景が分かります。
エレミヤ時代のエルサレムの図を見ると門は12あります。東の門、ミカフデ(召集)の門、馬の門、羊の門、水の門、泉の門、糞門、谷の門、隅の門、エフライムの門、ミシュネの門、魚の門の12です。

 捕囚から帰還した人々の系図の一覧人数、及び奴隷の人数、家畜の数等が、5-68節に次のように記されていますが、本文に入る前に、注意点を新聖書注解から抜粋します。
“この記事と参照のリストとの比較は、帰還初期と城壁建設時との変化の様子の幾分かを推察させる。後者に記される町の名で前者にないもの、ベテ・ツル、テコア、ケイラなどは、エルサレムからずっと南方にあり、帰還初期にはまだ人が住んでいなかったと解される。
はるかに複雑な問題は、エズラ2章との比較である。本質的には両者は同じものであるが、所々に小さな差異がある。人名の差異については、両リストの書かれた時期の相違を理由にする解釈もあるが、筆写の時の写し違いであろう。”と述べています。
<以下、本文>
 “5 私の神は私の心に示して、私に有力者たちや、代表者たちや、民衆を集めて、彼らの系図を記載させた
 私は最初に上って来た人々の系図を発見し、その中に次のように書かれているのを見つけた。
6 バビロンの王ネブカドネツァルが引いて行った捕囚の民で、その捕囚の身から解かれてエルサレムとユダに上り、それぞれ自分の町に帰ったこの州の人々は次のとおりである。
7 彼らは、ゼルバベル、ヨシュア、ネヘミヤ、アザルヤ、ラアムヤ、ナハマニ、モルデカイ、ビルシャン、ミスペレテ、ビグワイ、ネフム、バアナと一緒に帰って来た。
 イスラエルの民の人数は次のとおりである。
8 パルオシュ族、二千百七十二人。9 シェファテヤ族、三百七十二人。10 アラフ族、六百五十二人。11 ヨシュアとヨアブの二族からなるパハテ・モアブ族、二千八百十八人。12 エラム族、一千二百五十四人。13 ザト族、八百四十五人。14 ザカイ族、七百六十人。15 ビヌイ族、六百四十八人。16 ベバイ族、六百二十八人。17 アズガデ族、二千三百二十二人。18 アドニカム族、六百六十七人。19 ビグワイ族、二千六十七人。20 アディン族、六百五十五人。21 ヒゼキヤ族、すなわちアテル族、九十八人。22 ハシュム族、三百二十八人。23 ベツァイ族、三百二十四人。24 ハリフ族、百十二人。25 ギブオン族、九十五人。26 ベツレヘムとネトファの人々、百八十八人。27 アナトテの人々、百二十八人。28 ベテ・アズマウェテの人々、四十二人。29 キルヤテ・エアリムとケフィラとベエロテの人々、七百四十三人。30 ラマとゲバの人々、六百二十一人。31 ミクマスの人々、百二十二人。32 ベテルとアイの人々、百二十三人。33 別のネボの人々、五十二人。34 別のエラム族、一千二百五十四人。35 ハリム族、三百二十人。36 エリコ人、三百四十五人。37 ロデ人とハディデ人とオノ人、七百二十一人。38 セナア人、三千九百三十人。
 39 祭司は、ヨシュアの家系のエダヤ族、九百七十三人。40 イメル族、一千五十二人。41 パシュフル族、一千二百四十七人。42 ハリム族、一千十七人。
 43 レビ人は、ホダウヤ族のヨシュアとカデミエルの二族、七十四人。
 44 歌い手〔詠唱者(新共同訳)〕は、アサフ族、百四十八人。
 45 門衛は、シャルム族、アテル族、タルモン族、アクブ族、ハティタ族、ショバイ族、百三十八人。
 46 宮のしもべは、ツィハ族、ハスファ族、タバオテ族、47 ケロス族、シア族、パドン族、48 レバナ族、ハガバ族、シャルマイ族、49 ハナン族、ギデル族、ガハル族、50 レアヤ族、レツィン族、ネコダ族、51 ガザム族、ウザ族、パセアハ族、52 ベサイ族、メウニム族、ネフィシェシム族、53 バクブク族、ハクファ族、ハルフル族、54 バツリテ族、メヒダ族、ハルシャ族、55 バルコス族、シセラ族、テマフ族、56 ネツィアハ族、ハティファ族。
 57 ソロモンのしもべたちの子孫は、ソタイ族、ソフェレテ族、ペリダ族、58 ヤアラ族、ダルコン族、ギデル族、59 シェファテヤ族、ハティル族、ポケレテ・ハツェバイム族、アモン族。60 宮のしもべたちと、ソロモンのしもべたちの子孫は、合計三百九十二人。
 61 次の人々はテル・メラフ、テル・ハルシャ、ケルブ、アドン、イメルから引き揚げて来たが、自分たちの先祖の家系と血統がイスラエル人であったかどうかを証明できなかった。62 デラヤ族、トビヤ族、ネコダ族、六百四十二人。
 63 祭司の中では、ホバヤ族、ハ・コツ族、バルジライ族。このバルジライは、ギルアデ人バルジライの娘の一人を妻にしたので、その名で呼ばれていた。64 これらの人々は自分たちの系図書きを捜してみたが、見つからなかったので、彼らは祭司職を果たす資格がない者とされた。65 そのため総督は彼らに、ウリムとトンミムを使える祭司が起こるまでは、最も聖なるものを食べてはならないと命じた。
 66 全会衆の合計は四万二千三百六十人であった
 67 このほかに、彼らの男女の奴隷が七千三百三十七人いた。
また、彼らには男女の歌い手が二百四十五人いた。
 68 らくだは四百三十五頭。ろばは六千七百二十頭であった。”(2017)とあります。

 ささげものの一覧が69-71節に次のように記されています。
“69 一族のかしらの何人かは、工事のためにささげ物をした。
総督は資金として金一千ダリク、鉢五十、祭司の長服五百三十着を献げ、
70 また、一族のかしらのある者は、工事資金として金二万ダリク、銀二千二百ミナを献げた。
71 そのほかの民の献げたものは、金二万ダリク、銀二千ミナ、祭司の長服六十七着であった。”(2017)とあります。

 新聖書注解は、“69-72上は、エズラ記との相違が目立つが、本質的な矛盾はない。”と述べています。

 72節前半には、“こうして、祭司、レビ人、門衛、歌い手、民のある者たち、宮のしもべたちが、すなわち、全イスラエルが自分たちの元の町々に住んだ。”(2017)と記されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
エルサレムの城壁が完成しましたが、住んでいる人々の人数が少なかったので、開門時間に注意が払われています。
その時、その時に置かれている状況を鑑みつつ、適切な対応をしていくことの大切さを覚えます。
常にあなたに相談しつつ、導きを頂いて事を進めて行くことができますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2021年9月26日 (日)

ネヘミヤ記6章 敵の攻撃とネヘミヤの祈り、エルサレム城壁の完成

 1.2節には、敵がネヘミヤを暗殺しようとして(推測)、ネヘミヤに会見を申し込んできたことが次のように記されています。
“1 さて、サンバラテ、トビヤ、アラブ人ゲシェム、その他の私たちの敵に、私が城壁を築き直し、破れ口が残っていないことが伝えられたときのこと、ただし、まだ門には扉を取り付けていなかったときのことである。
2 サンバラテとゲシェムは私のところに使いをよこして言った。
「さあ、オノの平地のケフィリムで会見しよう。」
彼らは私に危害を加えようと企んでいたのである。”(2017)とあります。

 1節のサンバラテ(新共同訳は「サンバラト」)について、新共同訳スタディ版の注は、“ユダの北にあるサマリアの長官。エフライム山地南西部のベト・ホロンあるいはヨルダン川東岸のホロナイム出身といわれる。”と述べています。
 
 トビヤについて、聖書辞典は次のように述べています。
アモン人〔アンモン人(2017){筆者挿入}〕の役人で,サマリヤの総督サヌバラテ〔サンバラテ(2017){筆者挿入}〕のもとで,ネヘミヤによる城壁修復工事に反対し,妨害した(ネヘミヤ2:10,19,4:3,7,6:1)。彼自身シェカヌヤの娘と結婚し,彼の息子のヨハナンもベレクヤの子メシュラム〔エルサレムの城壁を修理した人(ネヘミヤ3:4,30){筆者挿入}〕の娘と結婚していたので(ネヘミヤ6:18),ユダの重立った人々とトビヤとの間に情報交換がなされていたし(ネヘミヤ6:17,19),ネヘミヤを脅すこともできた。ネヘミヤにとってはトビヤは第一の敵であって,サヌバラテよりも強敵と思われたに違いない(ネヘミヤ6:14)。祭司エルヤシブはトビヤと親しい関係にあったので,ネヘミヤが留守の間に祭司のための奉納物がかつて保管されていた部屋をトビヤに提供したほどであった(ネヘミヤ13:4‐5)が,ネヘミヤはトビヤを追い出し,その部屋を聖別した。”とあります。

 アラブ人ゲシェムについて、新共同訳スタディ版の注は、“ペルシアの庇護を受け、アラブの多くの部族を治めていた。アラブの部族はユダの南や東のエドム(イドマヤ)に住んでいた。”と述べています。

 2節には、「オノの平地のケフィリムで会見しよう。」とあります。
「オノのケフィリム」は、エルサレムの北西約50km、現テルアビブの南にあるヤッファから南東に10kmほど入ったところです。

 ネヘミヤは、「彼らは私に危害を加えようと企んでいたのである。」と述べていますが、ネヘミヤのいうことはその通りだと思います。

 サンバラテとゲシェムがエレミヤのところに使いを送って、「さあ、オノの平地のケフィリムで会見しよう。」と言ってきたこと(2)に対し、ネヘミヤは次のように答えました。3節には次のように記されています。
“3 そこで、私は彼らのところに使者たちを遣わして言った。「私は大工事をしているから、下って行けない。私が工事をそのままにして、あなたがたのところへ下って行ったために、工事が止まるようなことがあってよいものだろうか。」”(2017)とあります。

 ネヘミヤは仕事を理由に断ったのですが、サンバラテとゲシェムは、諦めるということを知らないのか、執拗に使いを送ってきました。4節には次のように記されています。
“4 彼らは同じようなことを、四度も私のところに言ってよこした。それで私も同じことを彼らに答えた。”(2017)とあります。

 ネヘミヤは幾度誘われても同じように断りました。
敵は方針を変えて、ネヘミヤには覚えのない事柄を捏造して手紙とし、さらに開封された状態の手紙として持参して脅迫し、ネヘミヤをおびき出そうとする手を使いました。5-7節には次のように記されています。
“5 サンバラテは五度目にも同じようにして、若い者を私のところによこした。その手に一通の開封された手紙を持っていた。
6 それには次のように書いてあった。「諸国民の間で言いふらされ、また、ゲシェム〔ゲシェムについては1節を参照(筆者挿入)〕も言っていることには、あなたとユダヤ人たちは反逆を企んでいて、そのために、あなたは城壁を築き直している。このうわさによれば、あなたは彼らの王になろうとしている。
7 また、あなたは預言者さえ立てて、ここユダには王がいると、自分についてエルサレムで宣言させようとしている。今にこのことは王に聞こえるであろう。さあ、来なさい。一緒に相談しよう。」”(2017)とあります。

 ネヘミヤは、エルサレムで、王になろうとは全く思ってもいないにもかかわらず、敵はありもしないことを手紙に書き、その内容を誰でも読むことが出来るようなあり様で、即ち手紙を封印することなく使いの者に持たせたのです。
手紙に関連して、新共同訳スタディ版の注は、“手紙はパピルスや羊皮紙に書かれた。パピルス紙は葦で作られ、羊皮紙は動物の皮を乾燥させて表面を削り、紙状にしたもの。手紙は開封されないように巻いてひもで結び、場合によっては蝋や粘土に印を押して封印した。サンバラトが手紙を封印しなかったのはネヘミヤがペルシアへの反逆で非難されていることを広く知らしめるためであった。”と述べています。

 ネヘミヤは、敵のいいようにやられるだけではなく、反論しました。8節には、次のように記されています。
“8 そこで、私は彼のところに人を遣わして言った。「あなたが言っているようなことは、なされていない。それはあなたが心の中で勝手に考え出したことだ」と。”(2017)とあります。

 ネヘミヤは敵に対し、人を遣わして反論しただけではなく、敵の目的を考察すると共に、敵の攻撃から守られるようヤハウェ(主)に祈りました。9節には次のように記されています。
“9 これらのことはみな、「彼らの工事に対する気力が落ち、工事は中止されるだろう」と考えて、私たちを脅すためであった。ああ、今、どうか私を力づけてください。”(2017)とあります。

 ネヘミヤに対するサタンの巧妙な誘惑等をネヘミヤが切り抜けた様子が10-14節に次のように記されています。
“10 私がメヘタブエルの子デラヤの子シェマヤの家に行ったところ、彼は引きこもっていた。そしてこう言った。
「神の宮、神殿の中で会い、神殿の戸を閉じておこう。彼らがあなたを殺しにやって来るから。きっと夜分に殺しにやって来る。」
11 そこで私は言った。「私のような者が逃げてよいものか。私のような者で、だれが神殿に入って生き続けるだろうか。私は入らない。」
12 私には分かった。今、彼を遣わしたのは、神ではないと。彼がこの預言を私に伝えたのは、トビヤとサンバラテが彼を買収したからだと。
13 私が恐れて、言われるがままにして罪を犯し、私の悪評が立って、私がそしられるようにするために、彼は買収されたのだった。
14 わが神よ。トビヤやサンバラテのこれらのしわざと、また、私を恐れさせようとした女預言者ノアデヤや、その他の預言者たちのしわざを覚えていてください。”(2017)とあります。

 10節の「デラヤの子シェマヤ」について、新共同訳スタディ版の注は、“歴代誌に出てくる祭司デラヤの子ばらば、シェマヤも祭司である。”と述べています。
1歴代誌24:1.18には、“1 アロンの子らの組分け。18 第二十三はデラヤ・・・に当たった。”と記されています。
シェマヤの誘惑は、「敵が刺客を放っても、神殿の中に隠れれば、安全ですよ。」というものでした。
それに対してネヘミヤは、「私のような者が逃げてよいものか。私のような者で、だれが神殿に入って生き続けるだろうか。私は入らない。」と答えています。
神殿の聖所の中に入れるのは祭司だけであり、特に至聖所の中に入れるのは大祭司だけであり、それも1年に1回だけでした(ヘブル9:6.7)。

 余談になりますが、至聖所は、最も聖なるところで、大祭司であっても第7の月の10日の贖罪日に入れるだけであったのです(レビ16:29-34、23:27、ヘブル9:7)が、イエス様が十字架上で贖いを成し遂げられたとき、神殿の聖所と至聖所を隔てる幕が上から下へと真っ二つに裂けたのです。
マタイ27:51には、“すると見よ、神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。”(2017)と記されています。
イエス・キリストによる贖いが成就したので、イエス様を信じる者は誰でも至聖所に入れるようになったのです。至聖所は神の臨在の場所でした。
新約の恵みは驚嘆するほどに素晴らしい恵みです。
イエス様を信じる者は、イエス様の内に置かれたのです。そしてイエス様がその人の心の内、特に霊の内に住んでくださるのです。
1コリント1:30には、“あなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました。”(第三版)と記され、
コロサイ1:27には、“この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト”(2017)と記されています。
霊的に体験して実感している人は幸いです。
パウロはテモテへの手紙Ⅱの最後の祝祷に、「主があなたの霊とともにいてくださいますように。」(4:22・2017)と記しています。

 話を元に戻します。
ネヘミヤは、デラヤの子シェマヤの言葉を聞き、シェマヤの助言の出どころをすぐに察知しました。
12.13節に、“12 私には分かった。今、彼を遣わしたのは、神ではないと。彼がこの預言を私に伝えたのは、トビヤとサンバラテが彼を買収したからだと。13 私が恐れて、言われるがままにして罪を犯し、私の悪評が立って、私がそしられるようにするために、彼は買収されたのだった。”と記されています。

 真相を察知するや否や、ネヘミヤはヤハウェ(主)に祈りました。
「わが神よ。トビヤやサンバラテのこれらのしわざと、また、私を恐れさせようとした女預言者ノアデヤや、その他の預言者たちのしわざを覚えていてください。」(14)と。

 エルサレムの城壁の完成と周辺諸国民の驚きと恐れが15.16節に次のように記されています。
“15 こうして、城壁は五十二日かかって、エルルの月〔ヘブライ歴では第6の月、太陽暦では8-9月(筆者挿入)〕の二十五日に完成した〔B.C.445年のことでした(筆者挿入)〕。
16 私たちの敵がみなこれを聞いたとき、周囲の国々の民はみな恐れ、大いに面目を失った。この工事が私たちの神によってなされたことを知ったからである。”(2017)とあります。

 城壁の完成は、ネヘミヤが遣わされてから、1年以内、それも着工してから52日間で完成したのです。

 ユダの有力者たちと神の敵・ネヘミヤの敵であるトビヤとがどの様に通じていたのか、その理由は何か、ということとトビヤがネヘミヤに脅迫の手紙をしばしば送って来ていたことが17-19節に次のように記されています。
“17 またそのころ、ユダの有力者たちはトビヤのところにひんぱんに手紙を送っていて、トビヤも彼らに返事をしていた。
18 それは、トビヤがアラフの子シェカンヤの婿であり、また、トビヤの子ヨハナンもベレクヤの子メシュラムの娘を妻に迎えていたので、彼に誓いを立てていた者がユダの中に大勢いたからである。
19 さらに、彼らは私の前でトビヤの善行を語り、彼に私の言うことを筒抜けにしていた。トビヤは私を脅すために、たびたび手紙を送って来た。”(2017)とあります。

 トビヤについては1節の説明の箇所に解説してあります。
ここには記されていませんが、ネヘミヤは、トビヤからの手紙を読むたびにヤハウェ(主)に祈りをささげていたことでしょう。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
何があっても、いかなる環境に置かれても、いつでもどこでもあなたにお祈りさせて頂けますことを感謝します。
敵の脅迫、敵の陰謀に対して、ネヘミヤはすぐに祈りを献げましたが、私たちも思い煩いそうになった時には、直ちにあなたに祈ることができますように。
しっかりと長く祈ることにも、短祈にも習熟させて頂けますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
(ピリピ4:6.7)「何も思い煩わないで〔何事も思い煩ってはならない(口語訳)〕、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって〔直訳:「キリスト・イエスの中で」(筆者挿入)〕守ってくれます。」(2017)
(1ペテロ5:7)「神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい。」(口語訳)
(詩篇50:15)「悩みの日にわたしを呼べ、わたしはあなたを助け、あなたはわたしをあがめるであろう」(口語訳)

2021年9月25日 (土)

ネヘミヤ記5章 同胞間の問題の処理

 2-5節には、困窮しているユダの民とその妻たちからの、同胞のユダヤ人に対する抗議の内容が述べられています。1-5節には次のように記されています。
“1 さて、民とその妻たちから、同胞のユダヤ人たちに対して強い抗議の声があがった。
2 ある者は、「私たちには息子や娘がいて、大人数だ。食べて生きるために穀物を手に入れなければならない」と言い、
3 またある者は、「私たちの畑も、ぶどう畑も、家も抵当に入れなければならない。この飢饉に際して穀物を手に入れるために」と言った。
4 またある者は言った。「私たちは、畑やぶどう畑に課された王の税金を支払うために、金を借りなければならなかった。
5 現に、私たちの血肉は私たちの同胞の血肉と同じだし、私たちの子どもも彼らの子どもと同じだ。それなのに、今、私たちは息子や娘を奴隷に売らなければならない。実際、もう娘が奴隷にされている者もいる。ところが、私たちの畑もぶどう畑も他人の所有となっているので、私たちにはどうする力もない。」”(2017)とあります。

 1節に、「同胞のユダヤ人たち」(新共同訳は、「同胞のユダの人々」という訳)というグループが登場します。
「同胞のユダの人々」について、新共同訳スタディ版の注は、“ペルシアの官吏と共に働いていた少数の特権階級がいたと思われる。食糧不足と重税によって民の多くは飢え(5:2)、貧しいものは借金を抱えていた(5:3.4)。この状況を利用して、特権階級は高利で金を貸した(5:10.11)。”と述べています。

 困窮しているユダの民とその妻たちからの、同胞のユダヤ人に対する抗議の内容は悲惨なものでした。
1.飢饉による食糧不足に陥っているという者、食糧の確保が難しいという者(2.3)
2.飢饉による食糧不足に際し、穀物を入手するためには、自分たちの畑も、ぶどう畑も、家も抵当に入れなければならないという者(3)
3.畑やぶどう畑に課された王の税金を支払うために、金を借りなければならないという者(4)
4.すでに畑もぶどう畑も他人の所有となっているので、支払いに困窮し、すでに娘を奴隷として売った者、或いは息子や娘を奴隷として売らなければならないという者(5)
たちからの切実な抗議があったのでした。

 上記の抗議内容を聞いたネヘミヤは、“私は彼らの抗議と、これらのことばを聞いて、激しく腹を立てた”(6)と述べています。
 そしてネヘミヤは熟考した上で、有力者たちや代表者たちである同胞のユダヤ人たちの悪行を叱責し、彼らに、自分がどの様なことを行っているのか、また行おうとしているのかということについて話し、更にネヘミヤは、彼らに対し、自分に見習うように命じました。7-11節には次のように記されています。
“7 私は十分考えたうえで、有力者たちや代表者たちを非難して言った。
「あなたがたはみな、自分の同胞たちに、利子をつけて金を貸している。」
そして大集会を開いて彼らを責め、8 彼らに言った。
「私たちは、異邦の民に売られた同胞のユダヤ人を、できる限り買い取った。それなのに、あなたがたはまた自分の同胞を売ろうとしている。彼らはまた私たちに売られなければならなくなる〔彼らは私たちに売られることになるのに(聖書協会共同訳)〕。」
すると彼らは黙ってしまい、一言も言えなかった。
9 私は続けた。
「あなたがたのしていることは良くない。あなたがたは、私たちの敵である異邦の民から侮辱を受けることなく、私たちの神を恐れつつ歩むべきではないか。10 私も、私の親類の者も、私の配下の若い者たちも、彼らに金や穀物を貸してやったが、私たちはその負債を帳消しにしよう。11 だから、あなたがたも今日、彼らの畑、ぶどう畑、オリーブ畑、家、それに、あなたがたが彼らに貸していた金や穀物、新しいぶどう酒、油などの利息分を彼らに返してやりなさい。」”(2017)とあります。

 7節には、「有力者たちや代表者たちである同胞のユダヤ人たちが、自分の同胞たちに、利子をつけて金を貸している。」とあります。
利子について律法には次のように記されています。
金銭の利息であれ食物の利息であれ、すべて利息をつけて貸すことのできるものの利息を、あなたの同胞から取ってはならない。異国人からは利息を取ってもよいが、あなたの同胞からは利息を取ってはならない。それは、あなたが入って行って所有しようとしている地で、あなたの神、主があなたのすべての手のわざを祝福されるためである。”(申命記23:19.20・2017)とあります。
というわけで、有力者たちや代表者たちは律法違反を行っていたのです。

 8節に、「私たちは、異邦の民に売られた同胞のユダヤ人を、できる限り買い取った。」と記されています。
これについて新共同訳スタディ版の注は、“ネヘミヤは異邦人に売られた同胞を買い戻すよう捕囚から帰還した人々に促してきた。しかし特権階級にある人々は逆に同胞を売るに等しい行為をしており、ネヘミヤと側近たちがそれらの人々を買い戻さなければならなくなった。”と述べています。

 7-11節をリビングバイブルは次のように意訳しています。
“7 しばらく考えたのち、裕福な官僚たちをきびしく責めることにしました。「いったい、あなたがたのやってることは何だ。イスラエル人を助ける条件として、抵当を取るなど、そんなことがよくもできたものだ。」そして彼らの処分を決めるため、みなの前で裁判を開きました。
8 私はその法廷で、彼らを告発しました。「私たちはみな、遠い国での奴隷生活から引き揚げて来た者たちを援助しようと、できるだけのことをしてきた。それに対して、あなたがたはむりやり彼らを奴隷に戻そうとしている。私はいったい何度、彼らを買い戻せばよいのか。」彼らは、全く反論することができませんでした。
9 さらに私は続けました。「あなたがたのしていることは、実に恐ろしいことだ。いったい、神を恐れる気持ちがあるのか。回りには、私たちを滅ぼそうとすきをうかがう敵がうごめいているではないか。10 あなたがた以外のものはみな、同胞のユダヤ人には、利子も取らずに金や穀物を貸してやっているのだ。こうした高利貸しのようなまねはやめなさい。11 畑、ぶどう園、オリーブ園、家をみな返し、証文を破りなさい。」”とあります。

 12節には、“すると彼らは、「私たちは返します。彼らから何も要求しません。私たちはあなたの言われるとおりにします」と言った。そこで私は祭司たちを呼んで、この約束を実行する誓いを立てさせた。”(2017)とあり、ユダヤ人の裕福な官僚たちは、ネヘミヤの要求を受け入れ、かつ神の前で約束を守ると誓ったのです。

 ネヘミヤは、誓いを守らなかった場合、神が呪ってくださるようにと祈りました。13節には次のように記されています。
“13 私はまた、衣の裾を振って言った。「この約束を果たさない者はだれでも、神がこのように、その人の家から、また、その人の勤労の実から振り落としてくださいますように。このように振り落とされて、無一文になりますように。」すると全会衆は、「アーメン」と言って主をほめたたえた。こうして民はこの約束を実行した。”(2017)とあります。

 14-19節には、総督任期中のエレミヤのありようが次のように記されています。
“14 また、私がユダの地の総督として任命された日から、すなわち、アルタクセルクセス王の第二十年から第三十二年まで〔B.C.445-B.C.433年(筆者挿入)〕の十二年間、私も私の親類も総督としての手当てを受けなかった。
15 私の前任の総督たちは民の負担を重くし、銀四十シェケルのほかにパンとぶどう酒を民から取り立てた。しかも、彼らに仕える若い者たちは民にいばりちらした。しかし、私は神を恐れて、そのようなことはしなかった。
16 また、私はこの城壁の工事に力を注ぎ、私たちは農地を買わなかった。私の配下の若い者たちはみな工事に集まっていた。
17 ユダヤ人と代表者たち百五十人、また私たちの周囲の国々から来る者〔ネヘミヤに対する訪問客(注解付新改訳聖書の注)〕が、私の食卓に着いていた。
18 そのため、一日に牛一頭、選り抜きの羊六頭が料理され、私のためには何羽かの鳥が料理された。それに、十日ごとに、あらゆる種類のぶどう酒がたくさん用意された。それでも私は、この民に重い負担がかかっていたので、総督としての手当を要求しなかった。
19 私の神よ。どうか私がこの民のためにしたすべてのことを覚えて、私をいつくしんでください。”(2017)とあります。

 14-19節について、新聖書注解は、“この部分はネヘミヤの任期の終了以後に回顧的に記したものであることは明らか。この記事がここに入れられたことは、ネヘミヤが前記の改革を断行し得た秘訣が、彼のこの無欲廉潔な人格にあったことを明らかにする意味で適切。”と述べています。
新聖書注解は、“ネヘミヤが前記の改革を断行し得た秘訣が、彼のこの無欲廉潔な人格にあった”と述べているのは、その通りであると思いますが、ネヘミヤは総督としての手当てを受け取らなくても、上記のような生活ができたということもまた事実です。

 ネヘミヤの総督の期間は、アルタクセルクセス王の第二十年から第三十二年まで〔B.C.445-B.C.433年(筆者挿入)〕の十二年間とありました。
エズラがエルサレムに遣わされてエルサレムに到着したのは、エズラ7:8に、“エズラは王〔アルタクセルクセス王(筆者挿入)〕の第七年〔B.C.458年(筆者挿入)〕の第五の月にエルサレムに着いた。”(2017)と記されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
ネヘミヤは内憂外患の中で、あなたに祈りながら、そして貪欲に陥ることなく、事を進めていっていることを覚えます。
私たちキリスト者も地上に置かれている間、常に何かしらの問題を抱えながら歩むことになりますが、常に祈り、あなたの導きと助けを頂きながら、また感謝をもって歩み続けることができますよう祝福してください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2021年9月24日 (金)

ネヘミヤ記4章{(新改訳、口語訳、リビングバイブル訳、文語訳は1-23節)、(ヘブライ語聖書、新共同訳、聖書協会共同訳、岩波訳はネヘミヤ3:33-4:17)} 城壁の再建を妨害する人たち 

 1-3節には、城壁を建てさせまいとする敵からの言葉の攻撃が次のように記されています。
“サンバラテは私たちが城壁を築き直していることを聞くと、怒り、非常に憤慨して、ユダヤ人たちを嘲った。
2 彼はその同胞とサマリアの有力者たちの前で言った。「この哀れなユダヤ人たちは、いったい何をしているのか。あれを修復して、いけにえを献げようというのか。一日で仕上げようというのか。焼けてしまった石を瓦礫の山の中から拾って、生き返らせようというのか。」
3 彼のそばには、アンモン人トビヤがいて、彼も「彼らが築き直している城壁など、狐が一匹上っただけで、その石垣を崩してしまうだろう」と言った。”(2017)とあります。

 1-3節は、2:19の箇所の言い換えのようなものです。時系列的には、その箇所に入るのだと思います。ですから時系列的には、ネヘミヤ4章はネヘミヤ3章の一部の記載よりも前にきます。

 なおネヘミヤ2:17-20には次のように記されています。
“17 私は彼らに言った。「私たちが直面している困難は見てのとおりだ。エルサレムは廃墟となり、その門は火で焼き払われたままだ。さあ、エルサレムの城壁を築き直し、もうこれ以上、屈辱を受けないようにしよう。」
18 そして、私に恵みを下さった私の神の御手のことと、また王が言ったことばを彼らに告げた。すると彼らは「さあ、再建に取りかかろう」と言って、この良い仕事に着手した。
19 ところが、ホロン人サンバラテと、アンモン人でその部下のトビヤ、およびアラブ人ゲシェムは、これを聞いて私たちを嘲り、蔑んで言った。「おまえたちのしているこのことは何だ。おまえたちは王に反逆しようとしているのか。」
20 私は彼らにことばを返して言った。「天の神ご自身が私たちを成功させてくださる。それで、そのしもべである私たちは、再建に取りかかっているのだ。あなたがたには、エルサレムのうちに何の取り分も、権利も、ゆかりもない。」”(2017)とあります。

 4.5節の祈りはネヘミヤによるものだと思いますが、次のように記されています。
“4 「お聞きください、私たちの神よ。私たちは軽蔑されています。彼らの侮辱を彼ら自身の頭上に返し、彼らが捕囚の地でかすめ奪われるようにしてください。5 彼らの咎をおおい隠すことなく、彼らの罪を御前から消し去らないでください。彼らが、建て直している者たちを憤慨させたからです。」”(2017)とあります。

 ネヘミヤは、短祈(短い祈り)が得意であったようです。ネヘミヤ2:4.5を読むと、アルタクセルクセス王との会話の中で短祈を用いている箇所が記されています。王に質問されるや否や、ネヘミヤはヤハウェ(主)に祈ってから王に答えています。ですから、ネヘミヤは、敵の言葉の攻撃に、自分の言葉をもって直ちに反撃したのではなく、先ずヤハウェ(主)に祈りをささげたのではないかと思います。その上で、ネヘミヤ2:20に記されているように、「天の神ご自身が私たちを成功させてくださる。それで、そのしもべである私たちは、再建に取りかかっているのだ。あなたがたには、エルサレムのうちに何の取り分も、権利も、ゆかりもない。」と答えたのではないかと私は思います。

 敵からの言葉の攻撃にもかかわらず、城壁再建者たちは仕事をしました。6節には次のように記されています。
“こうして私たちは城壁を築き直し、城壁はすべて、その半分の高さまでつなぎ合わされた。民に働く気があったからである。”(2017)とあります。

 城壁再建工事を止めないユダヤ人たちに対して、敵は言葉と武力を用いて、再建工事を阻止しようと陰謀を企てました。7.8節には次のように記されています。
“7 サンバラテ、トビヤ、アラブ人、アンモン人、アシュドデ人たちは、エルサレムの城壁の修復がはかどり、割れ目もふさがり始めたことを聞いたとき、激しく怒り、8 皆でエルサレムに攻め入って混乱を起こそうと、陰謀を企てた。”(2017)とあります。

 敵の陰謀に対して、ネヘミヤは先ず祈り、対策を立て、対処しました。9節には次のように記されています。
“そこで私たちは、私たちの神に祈り、彼らに備えて昼も夜も見張りを置いた。”(2017)とあります。

 ユダの民の疲弊と混乱、敵の策略、それらに対する対処とその効果について10-15節には次のように記されています。
“10 ユダの人々は言った。「荷を担ぐ者の力は弱り、瓦礫は山をなしている。城壁を築き直すことなど、私たちにできはしない。」
11 私たちの敵は言った。「彼らが気づかないうちに、見つけないうちに、彼らの真ん中に入り込み、彼らを殺して、その工事をやめさせよう。」
12 そのため、彼らの近くに住んでいたユダヤ人たちはやって来て、四方八方から十回も私たちに言った。「私たちのところに戻って来てください。」
13 そこで私は、民をその家族ごとに、城壁のうしろの低い場所の空地に、剣や槍や弓を持たせて配置した。
14 私は彼らの様子を見て立ち上がり、有力者たちや代表者たち、およびその他の人たちに言った。「彼らを恐れてはならない。大いなる恐るべき主を覚え、自分たちの兄弟、息子、娘、妻、また家のために戦いなさい。」
15 私たちの敵が、自分たちの企みが私たちに悟られたこと、神がそれを打ち壊されたことを聞いたとき、私たちはみな城壁に戻り、それぞれ自分の工事に当たった。”(2017)とあります。

 10-15節をリビングバイブルは次のように意訳しています。
“10 ところが指導者の中にも、不満をもらす者が現れてきました。彼らは言いました。「働く者が疲れてきてしまった。瓦礫が多すぎて、自分たちだけでは処理することなど出来ない。」
11 敵はその間、力ずくで工事を止めさせようと、奇襲をしかけて私たちを皆殺しにする〔「皆殺しにする」は言い過ぎで、原語は、「彼らを殺す」の意です。リビングバイブルの文脈の中では「私たちを殺す」(筆者挿入)〕計画を着々と進めていました。
12 敵はまた、近くの町や村から来た者〔「敵の近くに住んでいるユダヤ人たち」のこと(筆者挿入)〕が自分たちの町や村に戻るたび、エルサレムには行かないようにそそのかしました。
13 私は、城壁のうしろの空地に、各家族ごとに武装した者を配置しました。
14 そしてこのような状況を踏まえ、指導者や民を集めて、こう言いました。「恐れてはなりません。神様は偉大で、恵み深いお方ではありませんか。さあ戦うのです。友のため、家族のため、家のために。」
15 敵は、陰謀が神によってあばかれて私たちに知らされ、失敗に終わったことを知りました。今や、私たちは一丸となって城壁工事を再開しました。”とあります。

 敵に対する対抗策を施しながら城壁の再建工事を続行していった様子が16-23節に次のように記されています。
“16 その日以来、私の配下の若い者の半分は工事を続け、もう半分は、槍、盾、弓、よろいで身を固めていた。隊長たちがユダの全家を守った。
17 城壁を築く者たち、荷を担いで運ぶ者たちは、片手で仕事をし、片手に投げ槍を握っていた。
18 築く者はそれぞれ剣を腰にして築き、角笛を吹き鳴らす者は私のそばにいた。
19 私は有力者たち、代表者たち、およびそのほかの人々に言った。「この工事は大きく、また範囲は広い。私たちは城壁の上で互いに遠く離れ離れになっている。
20 どこででも、角笛が鳴るのを聞いたら、私たちのところに集まって来なさい。私たちの神が私たちのために戦ってくださるのだ。」
21 こうして私たちはこの工事を進めたが、その半分の者は、夜明けから星が現れるまで槍を手にしていた。
22 そのときまた、私は民に言った。「それぞれ自分の配下の若い者と一緒に、エルサレムの内側で夜を明かすようにしなさい。そうすれば、夜には見張りがいて、昼には働くことができる。」
23 私も、私の親類の者も、私の配下の若い者たちも、私を守る見張りの人々も、私たちの中のだれも服を脱がず、水場でもそれぞれ投げ槍を持っていた。”(2017)とあります。

 私たちキリスト者も、敵の攻撃を受ける場合があります。敵とは、悪魔(サタン)悪霊です。
悪魔悪霊は人を介して攻撃してくる場合も多々あります。
しかし、私たちキリスト者の敵は、人ではありません。敵対してくる人のためには祈らなければなりません。人とではなくその背後にいる悪しき霊と戦うのです(エペソ6:12)。
悪しき霊は、主なる神様の許可の範囲内でしか私たちに攻撃を仕掛けることは出来ません。
キリスト者の誰もが経験する事柄としては、聖書を読むのが億劫であるとか、祈る気になれない、などというものでしょう。
キリストの御名によって、それらの働きをしてくる悪しき霊を追い払えば、それらはいなくなります。
また御言葉によって対処する場合もあります。
悪しき霊が関与する事故や病気に遭遇する人もいるかも知れません。しかし、主はそれ以上の恵みを与えてくださいます。
また成功させて高慢にさせるという手を使うこともあれば、落ち込ませるという手を使う場合もあります。
その他、色々ありますが、キリスト者はキリストの御名によって、また神のことばによって悪しき霊に対処することができます。
私たちの主は、「天においても地においても、すべての権威が与えられてい」るお方です。(マタイ28:18)

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
悪魔悪霊に対しても私たちはキリストの御名によって勝利を得させて頂けますから感謝します。
霊を見分ける霊的力を豊かにしてくださり、悪しき霊に直ちに対処していくことができますように。
栄光は主に在ります。
決して自分に栄光を帰することがありませんように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2021年9月23日 (木)

ネヘミヤ記3章 エルサレムの城壁の再建

 この章は、エルサレム城壁の再建と再建者のリスト、及び協力的でなかった人々等が列挙してあります。
この章の内容は、時系列的には錯綜している箇所もあります。
1節の「扉を取り付けた」、3節の「扉、錠、かんぬきを取り付けた」、6節の「扉、錠、かんぬきを取り付けた」、13.14.15節の「扉、錠、かんぬきを取り付け」という記載は、7:1の、“城壁が築き直され、私が扉を取り付けたとき、門衛、歌い手、レビ人が任命された。”(2017)の箇所と関連していることと思われます。6:1には、“さて、サンバラテ、トビヤ、アラブ人ゲシェム、その他の私たちの敵に、私が城壁を築き直し、破れ口が残っていないことが伝えられたときのこと、ただし、まだ門には扉を取り付けていなかったときのことである。”(2017)とありますから。そして4:1には、“サンバラテは私たちが城壁を築き直していることを聞くと、怒り、非常に憤慨して、ユダヤ人たちを嘲った。”(2017)と記されているのですから。なお新改訳の4:1は、新共同訳等では、3:33となっています。
以上、時系列的に書かれているのではないということを述べました。

 1-5節には、エルサレム城壁の北側を再建した人々のリストが次のように記されています。
“1 こうして大祭司エルヤシブは、その仲間の祭司たちと、羊の門の再建に取りかかった。彼らはそれを聖別して、扉を取り付けた。そしてメアのやぐらのところまで聖別し、ハナンエルのやぐらにまで及んだ。
2 その傍らではエリコの人々が建て、その傍らではイムリの子ザクルが建てた。
3 魚の門はセナアの子らが建てた。彼らは梁を置き、扉、錠、かんぬきを取り付けた。
4 彼らの傍らではハ・コツの子ウリヤの子であるメレモテが修復を行い、その傍らではメシェザブエルの子ベレクヤの子であるメシュラムが修復を行い、その傍らではバアナの子ツァドクが修復を行った。
5 その傍らではテコア人たちが修復を行ったが、彼らの貴族たちはその上役に頭を下げることはなく、工事に協力しなかった。”(2017)とあります。

 6-12節には、エルサレム城壁の西側を再建した人々のリストが次のように記されています。
“6 エシャナの門はパセアハの子エホヤダと、ベソデヤの子メシュラムが修復を行った。彼らは梁を置き、扉、錠、かんぬきを取り付けた。
7 彼らの傍らでは、ギブオン人メラテヤ、メロノテ人ヤドン、それにユーフラテス川西方の総督の管轄に属する、ギブオンとミツパの人々が修復を行った。
8 その傍らでは金細工人のハルハヤの子ウジエルが修復を行い、その傍らでは香料作りの一人ハナンヤが修復を行った。こうして、彼らはエルサレムを、幅広の城壁のところまで修復した。
9 その傍らでは、エルサレム地区の半区の長、フルの子レファヤが修復を行った。
10 その傍らではハルマフの子エダヤが自分の家のそばの部分を修復し、その傍らではハシャブネヤの子ハトシュが修復を行った。
11 その続きの部分は、ハリムの子マルキヤと、パハテ・モアブの子ハシュブが、炉のやぐらと一緒に修復した。
12 その傍らでは、エルサレム地区の残りの半区の長、ハ・ロヘシュの子シャルムが、自分の娘たちと一緒に修復を行った。”(2017)とあります。

 13.14節には、エルサレム城壁の南側を再建した人々のリストが次のように記されています。
“13 谷の門はハヌンと、ザノアハの住民が修復を行った。彼らはそれを建て直し、扉、錠、かんぬきを取り付け、糞の門までの城壁千キュビトを修復した。
14 糞の門はベテ・ハ・ケレム地区の長、レカブの子マルキヤが修復した。彼はそれを建て直し、扉、錠、かんぬきを取り付けた。”(2017)とあります。

 15-27節には、エルサレム城壁の東南側を再建した人々のリストが次のように記されています。
“15 泉の門はミツパ地区の長、コル・ホゼの子シャルンが修復した。彼はそれを建て直し、屋根を付け、扉、錠、かんぬきを取り付けた。また、王の園のシェラフの池の城壁を、ダビデの町から下って来る階段のところまで修復した。
16 その向こうでは、ベテ・ツル地区の半区の長、アズブクの子ネヘミヤが、ダビデの墓地のそばまでと、人工貯水池までと、勇士たちの家のところまでを修復した。
17 その向こうでは、バニの子レフムなどレビ人たちが修復を行った。その傍らでは、ケイラ地区の半区の長、ハシャブヤが自分の地区のために修復を行った。
18 その向こうでは、ケイラの残りの半区の長、ヘナダデの子バワイなど、彼らの同僚たちが修復を行った。
19 その傍らでは、ミツパの長、ヨシュアの子エゼルが、城壁の曲がり角の隅にある武器倉に向かう上り坂のそばで、続きの部分を修復した。
20 その向こうでは、ザカイの子バルクが続きの部分を、城壁の曲がり角から大祭司エルヤシブの家の門のところまで熱心に修復した。
21 その向こうでは、ハ・コツの子ウリヤの子メレモテが続きの部分を、エルヤシブの家の門からエルヤシブの家の端まで、修復を行った。
22 その向こうでは、低地の人々である祭司たちが修復を行った。
23 その向こうでは、ベニヤミンとハシュブが自分たちの家のそばの部分を修復した。その向こうでは、アナネヤの子マアセヤの子アザルヤが自分の家の近くを修復した。
24 その向こうでは、ヘナダデの子ビヌイが続きの部分を、アザルヤの家から城壁の曲がり角の隅まで修復した。
25 ウザイの子パラルは、城壁の曲がり角の部分と、監視の庭のそばにあって上の王宮から突き出ているやぐらを修復した。その向こうでは、パルオシュの子ペダヤと、26 オフェルに住む宮のしもべたちが、東の方の水の門と突き出ているやぐらのそばの部分までを修復した。
27 その向こうでは、テコア人が、突き出ている大きなやぐらのそばからオフェルの城壁までの続きの部分を修復した。”(2017)とあります。

 28-32節には、エルサレム城壁の東北側を再建した人々のリストが次のように記されています。
“28 馬の門から上の方は、祭司たちがそれぞれ自分の家のそばの部分を修復した。
29 その向こうでは、イメルの子ツァドクが自分の家のそばの部分を修復した。その向こうでは、シェカンヤの子、東の門を守る者シェマヤが修復を行った。
30 その向こうでは、シェレムヤの子ハナンヤと、ツァラフの六男ハヌンが、その続きの部分を修復した。その向こうでは、ベレクヤの子メシュラムが自分の部屋のそばの部分を修復した。
31 その向こうでは、金細工人の一人マルキヤが、召集の門の向かい側にある、宮のしもべたちや商人たちの家のところまでと、角の二階の部屋のところまでを修復した。
32 角の二階の部屋と羊の門の間は、金細工人と商人たちが修復した。”(2017)とあります。

 多くのユダヤ人たちは、力を合わせて城壁の再建事業を行いました。
しかし、中には、働かない人たちもいました。5節には、“その傍らではテコア人たちが修復を行ったが、彼らの貴族たちはその上役に頭を下げることはなく、工事に協力しなかった。”と記されています。

 現代でも会堂建築を行うとき同じような状況が見られます。
また霊的な意味での教会を建てあげていくために、各キリスト者に与えられてる御霊の賜物を用いて、キリスト者全員で教会を建てあげていくように、と勧められています。共同体が皆で力を合わせて自分の分を果たしていくことの大切さを覚えます。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
働きの面においても、あなたのみ旨に叶った歩みをさせて頂けますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・・・・・
 “4 一つのからだには多くの器官があり、しかも、すべての器官が同じ働きをしてはいないように、5 大勢いる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、一人ひとりは互いに器官なのです。
6 私たちは、与えられた恵みにしたがって、異なる賜物を持っているので、それが預言であれば、その信仰に応じて預言し、7 奉仕であれば奉仕し、教える人であれば教え、8 勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜しまずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は喜んでそれを行いなさい。”(ローマ12章・2017)

 “4 さて、賜物はいろいろありますが、与える方は同じ御霊です。
5 奉仕はいろいろありますが、仕える相手は同じ主です。
6 働きはいろいろありますが、同じ神がすべての人の中で、すべての働きをなさいます。
7 皆の益となるために、一人ひとりに御霊の現れが与えられているのです。
8 ある人には御霊を通して知恵のことばが、ある人には同じ御霊によって知識のことばが与えられています。
9 ある人には同じ御霊によって信仰、ある人には同一の御霊によって癒やしの賜物、10 ある人には奇跡を行う力、ある人には預言、ある人には霊を見分ける力、ある人には種々の異言、ある人には異言を解き明かす力が与えられています。
11 同じ一つの御霊がこれらすべてのことをなさるのであり、御霊は、みこころのままに、一人ひとりそれぞれに賜物を分け与えてくださるのです。
12 ちょうど、からだが一つでも、多くの部分があり、からだの部分が多くても、一つのからだであるように、キリストもそれと同様です。”(1コリント12章・2017)

2021年9月22日 (水)

ネヘミヤ記2章 ネヘミヤにエルサレム再建の許可がおりたこと、ネヘミヤのエルサレム城壁の視察、工事の開始

 ネヘミヤにエルサレム再建の許可がおりた様子が1-8節に次のように記されています。
“1 アルタクセルクセス王の第二十年のニサンの月に、王の前にぶどう酒が出されたとき、私はぶどう酒を取り、王に差し上げた。それまで、私は王の前で気持ちが沈んでいたことはなかった。
2 すると、王は私に言った。
「病気でもなさそうなのに、なぜ、そのように沈んだ顔をしているのか。きっと心に悲しみがあるに違いない。」
私は非常に恐れて、3 王に言った。
「王よ、永遠に生きられますように。私の先祖の墓がある都が廃墟となり、その門が火で焼き尽くされているというのに、どうして沈んだ顔をしないでいられるでしょうか。」
4 王は私に言った。
「では、何を望んでいるのか。」
私は天の神に祈ってから、5 王に答えた。
「もしも王が良しとされ、このしもべにご好意をいただけますなら、私をユダの地、私の先祖の墓のある都〔エルサレム(筆者挿入)〕へ遣わして、それを再建させてください。」
6 王は私に言った。王妃もそばに座っていた。
「旅はどのくらいかかるのか。いつ戻って来るのか。」
王はこれを良しとして、私を遣わしてくださることになり、私は予定を伝えた。
7 また私は王にこう言った。
「もしも王様がよろしければ、ユダに着くまで私が通行できるように、ユーフラテス川西方の総督たちへの手紙をいただけるでしょうか。8 そして、宮の城門の梁を置くため、また、あの都の城壁と私が入る家のために木材をもらえるように、王家の園の管理人アサフへの手紙もお願いします。」
わが神の恵みの御手が私の上にあったので、王はそれをかなえてくださった。”(2017)とあります。

 神殿再建の命令がキュロス王から発せられたのは、B.C.538年のことでした(エズラ1章)。
エルサレム再建の許可は、B.C.445年のことでした。

 ネヘミヤ1:1には、“・・・。第二十年のキスレウの月〔太陽暦の11-12月頃(筆者挿入)〕に、私がスサの城にいたときのことであった。”(2017)とありました。
ネヘミヤ2:1には、“アルタクセルクセス王の第二十年のニサンの月〔太陽暦の3-4月頃(筆者挿入)〕”(2017)とあります。
おそらくアケメネス朝ペルシアの年の始まりは太陽暦で言うと9月{秋分の祭(メフラガーン)がある}であったのでしょう。(ウィキペディアのイラン暦を参考にして)

 5節には、「もしも王が良しとされ、このしもべにご好意をいただけますなら、私をユダの地、私の先祖の墓のある都〔先祖の墓のある町(新共同訳)〕へ遣わして、それを再建させてください。」というネヘミヤの言葉があります。
“私の先祖の墓のある都”の「都」と訳されている語の原語は、「イール」で、city, townの意があります。新共同訳、口語訳、第三版は、「町」と訳しています。
新共同訳スタディ版の注は、“アルタクセルクセス王はもともと再建に否定的であった(エズラ4:17-22)。”と注しています。
ネヘミヤはそれを知っていたのではないかと想像します。それ故、新共同訳等はエルサレムのことを「町」と訳したのではないかと思います。

 そうはいってもアルタクセルクセス王は、ネヘミヤに、ネヘミヤの願いが叶うようにヨルダン川西方の総督たちへの手紙を書いてくれましたし、ネヘミヤの護衛の兵まで遣わしてくださったのです。護衛の兵といっても騎兵を指揮したのは軍の高官です(9節後半)。

 ユーフラテス川西方の総督たちに、アルタクセルクセス王からの手紙を彼らに手渡したところ、彼らは不機嫌になったと、9節前半と10節に次のように記されています。
“9 それで私はユーフラテス川西方の総督たちのところに行き、王の手紙を彼らに手渡した。王は、軍の高官たちと騎兵たちを私とともに送り出してくださった。
10 ホロン人サンバラテと、アンモン人でその部下のトビヤは、これを聞いて非常に不機嫌になった。イスラエル人の益を求める者がやって来たからである。”(2017)とあります。

 ネヘミヤが、腹心の者たち数人のみを連れて夜間にエルサレムの城壁の調査をしたことが、11-16節に次のように記されています。
“11 こうして私はエルサレムに着いて、そこに三日間とどまった。
12 ある夜、私は起きて出て行った。ほかに数人の者も一緒であった。
しかし私は、私の神がエルサレムのためにさせようと私の心に示しておられることを、だれにも告げなかった。
また私自身が乗った動物のほかに、動物はいなかった。
13 私は夜、谷の門を通って竜の泉の方、糞の門のところに出て行き、エルサレムの城壁を調べた。それは崩され、その門は火で焼き尽くされていた。
14 さらに、泉の門と王の池の方へ進んで行ったが、私が乗っていた動物の通れる場所がなかった。
15 夜のうちに流れを上って行って、城壁を調べた。そしてまた引き返し、谷の門を通って戻った。
16 代表者たち〔役人たち(新共同訳)〕は、私がどこへ行っていたか、また私が何をしていたかを知らなかった。
ユダヤ人にも、祭司たちにも、有力者たちにも、代表者たち〔役人(新共同訳)〕にも、そのほか工事をする者たちにも、その時まで私は何も告げていなかった。”(2017)とあります。

 敵に知られないようにするためには、内部の者にも知られないようにするというのは普通のことでしょう。

 17.18節には、“17 私は彼らに言った。「私たちが直面している困難は見てのとおりだ。エルサレムは廃墟となり、その門は火で焼き払われたままだ。さあ、エルサレムの城壁を築き直し、もうこれ以上、屈辱を受けないようにしよう。」
18 そして、私に恵みを下さった私の神の御手のことと、また王が言ったことば〔城壁修理の許可の言葉(筆者挿入)〕を彼らに告げた。すると彼らは「さあ、再建に取りかかろう」と言って、この良い仕事に着手した。”(2017)と記されています。

 ネヘミヤの呼びかけに対して、イスラエル人たちは、城壁再建に着手しました。
一方、ユダヤ人が力を持つことを快く思わない者たちは、城壁再建の仕事をさせまいと、まずは言葉で妨害してきました。19節には次のように記されています。
“19 ところが、ホロン人サンバラテと、アンモン人でその部下のトビヤ、およびアラブ人ゲシェムは、これを聞いて私たちを嘲り、蔑んで言った。「おまえたちのしているこのことは何だ。おまえたちは王に反逆しようとしているのか。」”(2017)とあります。

 敵対する者たちに対してネヘミヤは、20節に記されているように、「天の神ご自身が私たちを成功させてくださる。それで、そのしもべである私たちは、再建に取りかかっているのだ。あなたがたには、エルサレムのうちに何の取り分も、権利も、ゆかりもない。」(20・2017)と答えたのでした。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
ネヘミヤはヤハウェ(主)が豊かに働いてくださっておられることを感じていたようです。
私たちもあなたが共に歩んでくださっておられることをいつも感じながら歩む者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

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